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2007-11-16 18:54:41

ベントレー・タイプRコンチネンタル

テーマ:ヨーロッパ車



なかなかエレガントなデザインのこのクルマの名前をベントレーRタイプ・コンチネンタルという。1952年から1955年まで208台が生産された。その中で写真の個体と同じボディが架装されていたのは196台。このボディを作ったのはコーチビルダーのH・J・ミュリナーである。 残りの12台は異なったデザインのボディが架装されていた。


H・J・ミュリナーの前身は1760年にノーザンプトンで産声を上げた馬車製造業だった。その後19世紀に入って、子孫達が各地に散らばり馬車製造を行うようになった一方で、子孫の一人であったヘンリー・ジャーヴィス・ミュリナーはいくつかのミュリナー一族のコーチビルダーを統合、1900年に自動車を対象としたコーチビルダーのH・J・ミュリナーを創設する。


H・J・ミュリナーとロールス・ロイスとの関係は最初から商売抜きで親密だった、それはミュリナー自身とロールスが友人関係だったことが理由である。その親しさを表すエピソードとしては、その初期にはこれも伝統あるコーチビルダーであるバーカー製のボディを多用していたロールス・ロイスながら、ロールス個人の70hpシルヴァー・ゴーストはH・J・ミュリナー製のボディを架装していたという事実が存在している。


1908年、ヘンリー・ジャーヴィス・ミュリナーは、思うところあって自社をジョン・クロール&サン社に売却する。ただしこの時点でH・J・ミュリナーの名は既にブランドとして成立していたことから、社名はもとより組織にも大きな変更は無く、実際には資本体系が変わっただけだった。 そしてH・J・ミュリナーはその後もロールス・ロイスのボディを手掛て行くこととなる。ロールスロイスがベントレーを吸収合併した後はスポーツモデルのボディ製作にも進出。その技術はさらに高まって行った。


そんなH・J・ミュリナーの戦後の代表作と言って良いのが写真のベントレーRタイプ・コンチネンタルである。この時代、ロールス・ロイスもベントレーも主力生産モデルは自社製のボディを架装するようになっていたのだが、そうした中で全車コーチビルドボディで製作されたコンチネンタルは究極のエレガンスと言っても過言では無い。






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