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2012-05-30 16:13:45

長女が山形に嫁にいった

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5月26日(土)天童温泉 緑の迎賓館で挙式、披露宴が行われた。

初めての花嫁の父、バージンロードを二人で歩き、婿さんに渡した。

胸にジーンとくるものがあったが、緊張のあまりなにがなんだかわからずじまいに終了した。

披露宴には180名近くの関係者が集まってくれた。

盛大に豪華にやった。最後の娘の挨拶にジーンとくるものがあった。

ジーンとくるものと腰が痛くなるほどお辞儀して大変だった。

娘を嫁がせる父親におれもなったんだな。

婿殿はとても良い奴でお似合いの夫婦になればいいが、、、、30年前のことが思い出させる

一日となった。

おめでとう、、、幸せになるんだよ、、、、それが俺の一番の願い。

おれは、これから、自分の生き方を模索しながら定年を迎える。

あとは孫の顔を見るのが楽しみだな。へば
2012-02-29 10:42:45

あれから1年

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あれから1年 悪夢だった。2月7~8日父を日赤に検査のため連れて行き、即、入院と言われたが、14日までなにか整理していた父。14日の入院も一人で行くと言ったが家内と二人で病院に行った。まさか、
何カ月も入院とは考えてなかったが、長ければ2~3カ月かと。しかし、17日には病院に呼ばれ、告知されたのが膵臓癌、しかも末期で年内はもたないと言われた。大きな石で頭を叩かれたようなショックだった
 どうしていいのか、どう接していいのか、、、わからない。そうしているうちに末っ子が大学受験で家内と東京に行った。無理だろうか、、、受かってくれればいいが、、、心配事が重なる。
3月はじめ、高校の卒業式に家内と二人で、下宿を引き払い、あとは合格発表待ち。怖い。
仕事で八戸に行かねばならない3月7日、吉報が入った。国立東京学芸大学に合格。うれしうれしが、、、素直に喜べない。孫の成長を楽しみにしていた父がどんな気持ちだろうか?悲しい。
 合格と共に東京のアパート探しに3月11日新幹線で盛岡ー仙台―福島ー東京国分寺に午後2時45分ごろ正門に入るや否や大きな揺れが襲った。とても立っていられず後輩の車によりかかった。なんだこれは。
巨大地震である。大学の大きな建物や窓ガラスなどガタガタ、ガタガタ、何度も、何度も繰り返した。
夕方、これではアパートどころじゃない、大変だ、、、と立川のホテルに向かい、早めの夕食を済ませ、9階の部屋に入ったが、そこで見た現実は、東京の夜景が車の大渋滞と、救急車、消防車がひっきりなしに動いていて、人が長い長い列をなして歩いている姿だった。そしてテレビに映し出された三陸の悲惨な津波の跡が映し出されていた。ホテルも一晩中揺れていた。大変なことになったぞ。
翌朝、後輩の車で移動した。電車や飛行機も止まっている。まずは、JRをキャンセルし、羽田に向かう。
空港は大混雑、、人ひとでごった返し、ここで一晩待ったら明日飛行機に乗れるかな、、、ようやく明日の
朝一の飛行機が取れたが、宿泊のホテルが取れない。どこもいっぱいだ。どうにかして浜松町のビジネスホテルを確保し明日に備える。家とはほとんど連絡がとれず、メールで安否確認をしただけ。
翌朝、朝一8時の飛行機が出ることとなった。3月13日羽田を離陸したが、間もなく右手に福島の方向、
原発がどうなっているかとても心配だった。父はどうしているんだろうか?病院にいるから安心だが、、、
後で聞いた話だが、相当揺れたらしい、6階の個室、テレビはもう見たくないというほど心が痛んだみたいだった。いつどんな時が来るかわからないから、日頃から一生けん命頑張れ、金はいつでも使うことが出来るから、辛抱しなさい。ためるのは容易じゃない。使うのは簡単だ。だから、辛抱すれ。いつも父の言葉だった。30年勤務してきた職人はうつと家庭に問題があり、酒におぼれ3月をもって解雇とした。父の入院後みんなで協力して頑張ろうといった矢先、またまた勤務中に酒をあおり、とてもいてもたっても居られなかった。今に始まったことではないここ数年何度も何度も注意や警告を発してきたが、、、とうとう堪忍袋の緒が切れた。なんだか、いろんなこながあったし、時代の変遷期なのかなという気がしてきた。さらには解雇後自殺までした。なんということだろうか。1か月も行方知れずで家の人も心配していたが、父には一度も顔を見せずに他界した。その弟も牛舎を給料を渡したその時に辞めると言い出した。どうしたらいいんだ、、、まだ50頭近く牛や馬がいる。早く整理しなくてはならない。
4月1日東京学芸大学入学式に息子といっった。大学の国際寮に入ることとなり、又一つ大きな転機に入ったなと。父の喜ぶ姿が見たかった。期待していた孫が一発東京の国立大に入ったことを元気な姿で見てほしかった。父は抗がん治療より緩和ケア―に移して、痛みなくモルヒネで過ごしていた。
そんな父が、俺はばあさんより先に行くなとポツリ話したことが痛ましかった。母は入院して2年なるが内臓は丈夫である。父は8月お盆をすぎてからその生涯を一期としてとじた。80歳だった。

2011-12-01 09:24:58

再始動

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ながらく沈黙してました。12月師走から再始動頑張ります。へば

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