New 天の邪鬼日記

小説家、画家、ミュージシャンとして活躍するAKIRAの言葉が、君の人生を変える。


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 昨夜は「HARUKO」を撮った野澤監督がきた。
 今までオレやONSENSのドキュメント(前橋大蓮寺のDVD)を撮ってくれているが、今回はテレビ番組のロケで大笹牧場と日光江戸村にきたのだ。頭を槍が貫通しても生きていた人のドキュメントで、先週はボストンのハーバード大学へ取材にいってたそうだ。
 スタッフは東京に返し、野澤さんだけでうちへきた。オレはキムチ鍋をつくって迎える。タケちゃんに電話したが、ヤスコちゃん(別れた奥さん)とケンカして落ちこんでるのでいけないという。キムチ鍋は5、6人前つくってしまったので、野澤さんと二人じゃもったいないので、ヤスコちゃんから番号を教わったアンティック着物屋のうたかた女将と5歳の息子海璃を呼ぶことにして、その友だちのリエちゃんがもきた。
 野澤さんが直接タケちゃんに電話して「落ちこんでるときこそ楽しく飲もうぜ」と強引に誘い、タケちゃんもきた。
 するとヤスコちゃんがあらわれたではないの!
 ついさっきまで大げんかしていたふたりがここで鉢合わせしたのである。こういうシンクロがあるからおもしろい。二人は火花を散らしながらもいっしょに鍋をつまんだ。
 もうひとつのシンクロははじめてきたリエちゃんとタケちゃんが同郷で、学校と学年はちがうが吹奏楽の大会で同じステージに立っていたという発見である。当時タケちゃんがウッドベースを弾いていた鹿沼西中は全国大会3位にまではいった名門だったんだって。
 まだあるシンクロは、今日が女将のお父さんの命日だったことだ。
 女将が座ったこたつの角はオレのおやじが死んで倒れていたところだった。女将の父は大工の棟梁で、3女だった女将は、あぐらをかいた父のひざのうえという特等席を独占していたという。父親は42歳の若さで他界し、調理師の母親が娘3人を育てたという。
 そんな話を聞いたら、女将の父に歌を捧げるしかない。またもや超ぜいたくな「こたつライブ」である。「背中」、「ハローマイマム」、「ぼくの居場所」などを歌って、去年父を亡くした野澤さん(そのドキュメントはフジテレビで放映された)やシングルマザーで子育て奮闘中の女将や8年つき合った彼氏と別れたリエちゃんを泣かせてしまった。

 今日はずっとひきこもって曲を作っていた。
 やべえよ、オレ。マジ、自分が怖い。1日で3曲も完成させちゃったよ。ひとりで放っておくと、名曲製造マシーンと化すのだ。
 目隠しをはずせとシャウトする「Blinkers」、軽快なロック「ハッピーエンドはありえない」、沖縄ライブにむけた「ぬちどう宝」の詩をひとつだけのせておこう。

「ぬちどう宝」(命は宝)

青い海に還りし命(いぬち)
神の贈りし
赤子の瞳

黄色い土に芽吹いた命
名もなき花の
可憐な姿

ぬちどう宝 ぬちどう宝
ほかに従う理(ことわり)もなし
ぬちどう宝 ぬちどう宝
あああ海がなるさ

愛しい里に育む命
風に舞い飛ぶ
子どもらの声

熱き想いを秘めたる命
恋の喜び
愛の苦しみ

ぬちどう宝 ぬちどう宝
ほかに従う理もなし
ぬちどう宝 ぬちどう宝
あああ花が咲くさ

市に売られし子豚の命
朝夕いただく
海山の幸

ウタキに祈る老婆の命
森をふるわす
精霊の歌

ぬちどう宝 ぬちどう宝
ほかに従う理もなし
ぬちどう宝 ぬちどう宝
あああ風が吹くさ

崖を飛びこむ乙女の命
耳をつんざく
砲弾の音

鎌で首切る農夫の命
波に洗わる
戦死者の骨

ぬちどう宝 ぬちどう宝
ほかに従う理もなし
ぬちどう宝 ぬちどう宝
あああ空がなくさ

ぬちどう宝 ぬちどう宝
ぬちどう宝 ぬちどう宝
ぬちどう宝 ぬちどう宝
あああ日が昇るさ
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 昨夜21時08分、「ネパールの赤ひげ先生」こと岩村昇さんが死去された。
 オレが1981年にネパールへいったとき、ポカラで知り合ったネパール人の家族に招かれ、何日もお世話になったことがある。はじめは「なんでこんなに親切にしてくれるのだろう?」と思ったが、彼らは「ドクターイワムラに子供の病気を直してもらった」という。岩村さんと同じ日本人であるという理由だけでオレまで歓待されるほど、現地で岩村さんは尊敬されていた。
 愛媛県宇和島市で生まれ、広島で被爆する。その体験をきっかけに医師を志したという。
 1959年、タンセン(ポカラ郊外の山村)の病院の院長をしていたカール・フレデリックス医師が来日したとき「日本人の若い医師でいっしょに働く者はいないか」と呼びかけ、当時32歳の岩村さんが自ら手を挙げた。
 1962年、岩村さんは鳥取大助教授を辞めて、妻の史子さんと荷物を自分たちで背負いポカラから徒歩で3日間も山々を越えていく山間の町タンセンに赴任していった。
 熱い志だけはもっていたものの、日本で学んできた常識や価値観がまったく通用しない最貧国の現実に突き当たる。
 学校を卒業する子どもは20%、識字率もわずか28%、平均寿命37歳、結核、癩、マラリア、コレラ、天然痘、赤痢などの伝染病が蔓延している。

ある村で結核がひどくて重病で、喀血という、結核菌に食われた胸の中の肺から血が出るんですけれども、口から血を吐いている患者さんをどうしても病院につれて帰ってあげなくてはならない。病院まで行きますのに自動車道路はありませんし、患者さんは弱って歩けません。誰かが担いであげなくてはなりません。ちょうどその時通りかかったお百姓さんが、「ちょうど私がタンセンの町まで塩を(山で一番大切な物は塩ですねえ)買いに行きます。ついでですから、この患者さんをタンセンの町まで背負ってあげますよ」と言って、何と三日間、おばあさんを背負って山を下ったり登ったりしてくれました。私は嬉しかったので、そのお百姓さんに御礼をしようと思って、ポケットからお金を出しかけたら、その人は怒りました。
「先生、私はお金をもらおうと思って、お金を儲けるために患者さんを運んだのではありません。」「じゃあ、何の為に運んだんですか?」その時そのお百姓さんが言った言葉を私は忘れることができません。「みんなで生きる為ですよ。私には体力があります。健康があります。このあばあさんには自分で歩いていく体力がない。病気になっちゃって。だから私にあるものを、このおばあさんにないものを、私に余っている体力を、このおばあさんに上げて、こうやってみんなで生きていくんですよ。」そう言ってさっさと町の方に去って行きました。その足は裸足です。お金があったらズックの靴が買えますのにねえ。着ている洋服はぼろぼろになっています。お金があれら、せっかくタンセンの町まで来たのだから、新しいシャツでも買えたのに…。(「岩村昇博士 心のメッセージ」より)

 このときお百姓さんが言った「サンガイ・ジウネ・コラギ」(みんなで生きるために=Living is Sharing)という言葉が、岩村さんの一生を決定づけた。

 現地で18年間にわたって医療に取り組み、現地の孤児12人を養子として育て、「ネパールの赤ひげ」と呼ばれる。ネパールから日本にくるたび日本全国を講演し、ネパールの実情を訴え、日本人のボランティア活動に大きな影響を与えてきた.
 81年に帰国、アジアの青年を日本に招いて農漁業の研修をする「PHD協会」を神戸市に設立する。85年にNGO「国際人材開発機構」を立ち上げる。
 タイの山奥に高床式の小屋を建てて住みつき、豪雨や熱射病と戦いながら医療活動をしたり、フィリピンはじめアジアの村々で献身的に活動した。
 岩村さんはネパールを去るとき、残った財産をネパールの子供たちに分け与えた。その子供たちが大きくなり、2001年にはネパール国内に岩村記念病院が建てられる。
 93年にはアジアのノーベル平和賞といわれるマグサイサイ賞を受賞する。
 晩年は兵庫県内の自宅で、妻とネパールから引き取った孤児と3人で暮らしていた。
(参照「岩村昇博士協力会」)(ネパールの山村てこんな感じ

 アフガニスタンの中村哲医師や、タイにある「バーンロムサイ」の名取美和さんなど、世の中にはすごい人たちがいるよね。
 「ボランティアは偽善か?」なんて悩んでるひまがあったら、とりあえず重いケツを動かすことだ。世界のどこかにいる人と深くふれあえば、「Living is Sharing」(生きることは分かち合うこと)という意味がはらわたの底から理解できるだろう。
 君がなにげなく吸ってる空気の90%は地球上の全生命がいっしょにつくりだしたものだ。もちろん君も生産者のひとりで、君がいなけりゃ現在の大気組成はちがったものになる。
 ほらっ、今吸った。
 それそれ、その空気は生きとし生けるものからの贈り物だぜ。
 ほらっ、今吐いた。
 ちょっと酒臭かったり、ガーリック臭かったりするその二酸化炭素の多い息は、植物や他の生物への贈り物だ。
 オレたちは一瞬一瞬すべての生き物と、息の「プレゼント交換」しながら生きてるわけだ。
 小学校のクリスマス会みたく、喜んでプレゼントを受けとり、惜しげもなく与え尽くす。
 「その考えはあんたの所有物でしょ。あたしの所有物じゃない」と片意地はらずに、
 食べ物も喜びも悲しみもシェアすればいいんでねえの。
 「サンガイ・ジウネ・コラギ」(3階じゅうねコオロギ)
 ゴキブリよりいいけど、うるさくて眠れねー!

名古屋ライブの感想集が毎日更新されてます。今日も6人追加。
himalaya BOOKSに連載小説「百目鬼の挑戦状 その参」がアップされました。
※その百目鬼家に大介が壁画を描きました。今日からランディ家のふすまに絵を描いてます。
 ちなみにオレがランディさんに書いたメール。

日本を徒歩で縦断してるアーティスト香川大介が今湯河原で壁画を描いてます。
もし時間があったら連絡してあげてください。
目と眉のあいだが4センチはなれてますがとてもいいやつです。
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 名古屋から帰ってきて、ライブレポートと膨大な量のメールを書いていると玄関がノックされた。
 いぶかりながらもドアを開けると、名古屋ライブにきたミユキともうひとりの女の子が立っているではないの。「ジンジャーティーをポストに入れて帰るつもりだった」というが、アポなし訪問はやめてよねー。
 むっちゃ忙しかったが、家に上がってもらいお茶をだす。
 ミユキも失恋したばかりだし、Hさんも職場でうまくいかず悩んでいるという。Hさんは対人恐怖で人と話すことができないそうだ。
 なんとなくHさんのキャラが「心がくしゃみをした朝」に出てくる女の子にかぶさったので、必殺こたつライブをした。超ぜいたくというか、もう5連続のライブだぞ。
 Hさんはベースギターの教室に通っているというので、ベースとアンプを引っぱり出してきて、「だいじょうぶマイフレンド」を教える。ミユキがラップ部分を担当し、Hさんがベースを弾きながら歌うサビに、オレがコーラスを重ねる。
 ふたりとも来たときよりちょっと元気になって帰っていった。

 ラーメンズの小林賢太郎ソロ公演「ポツネン」はかなり芸術に近かった。
 ビデオプロジェクターを駆使した「アナグラムの穴」や「走る指」など、さまざまな実験をとりいれている。オレが昔やっていた紙芝居パフォーマンスや前衛小説「子宮外妊娠」の言葉遊びとかなり近いものがある。
 ラーメンズの天才性にはおよばないが、さすがひとりでも小林のコントは冴えている。とくに「スポーツ」はツボにはまって、ひとりで大笑いしてしまった。はやくラーメンズ本公演見たいなあ。

 翌日は帰りに上野へより、「北斎展」にいった。
 何百年に一度という規模で、世界中から肉筆をふくめた大量の作品が集められている。初期は真面目な技巧派という感じだが、晩年になるにつれ幼児のような奔放さを獲得していく。
 あまりに天才すぎて天才さを感じさせないところがすごい。筆のむくままおもむくままにすいすいっと描き上げてしまうのだ。無理な注文だが、北斎の油絵を見たかったなあ。

 昨日は名古屋ライブの鑑賞会&ONSENSベーシストリュウの誕生日を祝った。
 音泉スタジオにはタケちゃんが腕によりをかけたシャケご飯、ミネストローネ、カレー風味のフライドチキン、群馬のトモの手作りケーキ、ハイビジョン鈴木のボジョレーヌーボーなどが用意されていた。
 オレは古着屋で買ったシャツとカーディガンとニューヨークで着ていた革ジャン、タケちゃんはリュウの顔がはいった手作りTシャツ、ハイビジョン鈴木は高級ワイングラス、トモは岡本太郎の画集をプレゼントした。こんなみんなに愛されてリュウは幸せ者である。

 さてさて名古屋ライブの鑑賞会。
 なんと言っていいのだろう? オレたちでさえ制御できない大きな力に操られている感じがするのだ。わかりやすく例えると、演奏しているオレたちはマリオネットで、うしろに巨大な人形使いがいる。
 便宜上「オンセンズさん」とか「オンセン使い」とか呼んでいるが、ライブを重ねるたびに「オンセン使い」の力がましている。 もちろんこの力は意識して獲得できるものではないし、それを目指したわけではない。
 「オンセン使い」とはいったい何者だろう?
 おそらくそいつの正体は「時代の集合無意識」のような気がする。
 自分のなかに眠る魂と自己がどんどん引き離されていく時代が長くつづいた。なにかがちがうと思いながらも猛烈に回転してゆく車輪に巻きこまれ、本来の自分を、人との絆を失ってゆく。人々の悲鳴は心の奥に封印され、集合無意識となって世界をただよう。押さえこめば押さえこむほど突発的な犯罪として噴出したり、見えない不安となって人々を引きこもらせる。
 あくまで他人事として分析すると、ONSENSのような歌は今までどんなミュージシャンも書いたことがないし、ONSENSのつくりだす特殊な「場」はどんなバンドももちえなかった。
 ひとつだけ確かなことは、この力はオレたちだけがつくりだしたのではない。ライブに集まる客さんとスタッフと全国にいる仲間たちとのコラボレーション(共同製作)である。そのひとりひとりの力を音楽という触媒を使ってふとい束にまとめあげてくれるのが「オンセン使い」だ。
 これからどんな津波がこようと、時代の声なき声に耳を澄まし、マリオネットとして最高の踊りをつづけていくしかない。
 古い時代は臨界点に達し、大きな方向転換が海面下で進行しているようにオレは思う。
 けっして「ラブ&ピース」なんかじゃなく、
 自分の傷を凝視し、
 痛みとともに魂の底に降りていく
 「ラブ&ペイン」の時代だ。
 宇宙人も救世主も助けにこない。ひとりひとりが自分の心と体でこの「大いなる陣痛」をくぐりぬけたとき、
 はじめて新しい時代が出産されるのだ。
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