昨日の久しぶりに更新したブログにたくさんの訪問があって

ちょっと驚いてます。

コメントもありがとうございました。

 

昨日は受験を撤退するまでの私の気持ちを書き綴りましたが

こちらから(別ウィンドウで開きます)右矢印 我が家の決断

 

その時ゼニガメ本人はどう思っていたのか。

揺れていた気持ちを少しだけ聞くことが出来たので

そちらを紹介します。

同じ「頑張る!と発した言葉にもその言葉の裏にある意味が

違っていた事に気が付きました。

11歳の子なりに考えていたんだなあって・・・真顔

 

もともとゼニガメの受験を目指した理由が薄いんです

お兄ちゃんがやってたから僕もやる的な?

まあ最初のきっかけなんてそんなモンでしょうからいいんですが、

その後、色々な学校を見て・聞いて・体験したりして塾のお友達

からの刺激とかを受けて行きたい学校を見つけ、

「この学校に入りたい」って気持ちが勉強に向かう訳ですが、

その気持ちが5年後半になっても薄かったようですえー

うっすらと「この学校がいいな」ニコニコと思っている学校はあったようですが、

別にいけなくてもいいやと思う気持ちも少なからずあったようで・・・

勉強に身が入らなかったのも事実のようです

 

カメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメ

 

それまで、それなりに頑張ってやっていた宿題が滞るようになったのは

5年の夏の講習からでした。

毎日、講習が終了後の1時間その日の宿題を終わらせて帰ってくるように言っていました。その約束は守っていたのですが、自習室での1時間はまったく意味を成してませんでした。

一緒に勉強していた同じクラスの男の子と協力して適当に宿題を終わらせていました。

(ぱっと見はちゃんとやっているように見えます)

当時、パートで働いていた仕事がめちゃめちゃ忙しく、毎日夜7時近くに帰宅していました。何を言ってものらりくらりとかわされ、改善されない職場の環境にイライラして辞めるにも辞められない環境に疲れていた私はゼニガメの出来ている風のノートの最後のページだけ見て、「ああ、やってるね」の反応しかありませんでした

 

この私の態度に「この程度でいいんだ」って

「僕の勉強の事なんて大して気にもしてないんだから

適当でいいや」とやっつけ感満載の宿題はここからだと言っていました。

 

自習室が終わった後その足で毎日、学校の友達と遊んでいて

私の帰宅する少し前に家に帰ってきたことも後から知りました。

この夏にクラスは違うのですが、とても気の合う仲良しの子が数人出来たようでその子たちと

「地元の公立中学に進んでもいいや」

どうしても私学に通いたい気持ちが薄らいだとも言っています。

 

そして、塾でも後期の授業が始まるのですが、

予習シリーズ(下)の最初は比です

兄の時代の算数の先生は

「比を制するものは受験を制す」

なんて言っていましたが、

まあ5年生のメインイベントですよね。

ゼニガメはこの比がつかめなかった・・・・

塾の授業がわからないまま進んでいくのですが、何が解かってないかうまく先生に質問が出来ないので、

ただ「解からない」という。

先生は

「どこが解からないかを言ってくれないと教えられない」

と言われる・・・

頼みのお父さんは会社で毎日遅くて聞けない・・・

お母さんは

「塾の授業で聞いてきたのに何で解からないんだ」と怒る・・・・

解からないのにロクに教えてももらえず、「宿題はやれ」と・・・

 

どうしたらいいかわからなくて答えを横に置きながら、書き写してやった感をだしておく・・・

追い詰められていたゼニガメが出し答えがこれだったようです

お母さんにがっかりされないように「頑張って」いたんです。

 

これを聞いたときは本当にゼニガメに申し訳なくて・・・

子供の理解不足を察知できなくて塾に掛け合うことも出来なかった。

あの時もっと寄り添って勉強を見てあげなくちゃいけなかった。

後悔の念でいっぱいです。

この小さな「解からない」が雪ダルマ式に大きくなり、

授業がちんぷんかんぷんになりただ聞いて、わかないなりに

ノートに写して帰ってくる

そんな感じになっていったようでした。

 

そろそろ食事の支度をしなくちゃなので、続きはまた明日にでもバイバイバイバイ