美しいドレスを纏った灰かぶりを見た王子は、彼女に心惹かれます。


ここで、普通に考えると、普段の小汚い服装の灰かぶりが本来の姿で、着飾った灰かぶりは仮の姿に思えます。王子は、見た目の美しさに惑わされたのか、と。


が、前回述べたように、彼女のドレスは天使存在により、高次の世界、精神界からもたらされたものです。

そもそも彼女は元来、お金持ちの家に生まれているのです。それが、件の継母によって美しい着物を脱がされ、灰色の服を着させられ、下働きをさせられていたのです。

そう考えると、薄汚い姿のほうが、実は仮の姿とも云えるでしょう。


私なども時折女装などして出かけたりするわけですが、私にとっては普段が仮の姿で、女装したときこそ自分本来の姿に戻る、というのと同じことですね。

・・・いや、同じじゃないし。駄目だ、この例え、話がややこしくなる。


継母が地上的な苦労の象徴であるということを当て嵌めるなら、灰かぶりは労働といった苦労を通して、精神的な高みに達したのでしょう。


この流れを私たち人間の営みに当て嵌めると、以下のように考えられるかも知れません。



*お金持ちの娘として、両親とともに暮らしている

・・・私たちの魂が、豊かな天上界で暮らしている


*母が死に、継母に苛められる

・・・私たちの魂が、天上界を去り、地上に人間として受肉し、この世で苦労する


*白い鳥によって美しいドレスなどがもたらされる

・・・私たちの魂が、地上の苦労によって成長し、精神界の素晴らしい叡智と繋がりを持つ


してみると、王子は単に灰かぶりの見かけの煌びやかさにのみ惹かれたわけではないでしょう。

そもそも、王子がそんなに軽薄な者なら、灰かぶりが現れる前に、彼女の二人の姉にうつつをぬかしていた筈です。なにしろ彼女等は、物語の冒頭で、見た目はとても美しいと強調して述べられているぐらいですから。


余談ですが、ある著名な方が、メルヘンについての本にて、灰かぶり不細工説を展開しておられました。

即ち、義理の姉たちは見た目はとても美しい、という記述があるのに対し、灰かぶりの容姿については一切触れていない、ということを根拠に、「灰かぶりはおブスさん」としているのです。


いやいや、それもどうなの?確かに「白雪姫」「いばら姫」「ラプンツェル」など多くの「お姫様メルヘン」では、必ずと云っていいほど彼女達が「美しい」という記述がありますが、「灰かぶり」にはそれがありません。


が、代わりに「不細工だった」とも書かれていません。もしそうなら、「顔は白くて美しいが、心は黒くねじけている」という二人の義姉との比較で、「醜い姿をしていたが、心は美しかった」という記述があってしかるべきです。


そもそも、メルヘンにおいて、ヒロインは「魂」の象徴であることが多いので、「美しい」と記述されている場合は、魂の美しさを外見上の美しさで表現している、と考えられるでしょう。


二人の義姉や、「白雪姫」の女王などの悪魔的存在の場合は、必ず「見た目の美しさ」と「内面の醜さ」の違いが述べられています。

シュタイナーは、悪魔的存在は美しく蟲惑的に映り、善なる存在はみすぼらしく地味に見える、という様なことを述べています。

メルヘンの中での「美しさ」は、魂の真の美しさなのか、悪魔的な美しさなのか、分かりやすく区別されています。


さて、「シンデレラ」のお話では、慌てたシンデレラが、脱げてしまったガラスの靴を置いて帰る、という筋になっています。そこで、


「ドレスやカボチャの馬車は、魔法が解けたら元に戻るのに、ガラスの靴だけそのままなんだ?」


というツッコミが入るわけです。


「灰かぶり」の方だと、ガラスではなく金の靴で、それはドレスとともに白い鳥にもたらされたものなので、魔法が解ける、ということもありません。


因みに、この物語では、二日続けて灰かぶりに逃げられた王子が、一計を案じ、階段にチャン(コールタールのようなものらしい)を塗っておいた、となっています。チャンに金の靴がくっついて脱げてしまったわけです。


そして、この靴を手がかりに、御存知の、国をあげての大捜索が始まるのですが、それによって物語は、表面的に読むと血生臭い展開を見せることになります。


つづきます。



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