オスマーンのブログ

サウジ生活全般


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 気がつけば約1年ブログは放置状態だった・・・( ゚ロ゚) やっと久々に余裕ができたので更新してみようと思う。今回のテーマは自殺ドンッ
 
 日本では年間3万人近くの人が自殺によって命を落としているというのは、最近海外でもよく知られるようになってきた。それだけ、日本の高ストレス社会ショック!を物語ってるようにも思えるが、ここサウジアラビアでは自殺は全くないとは言えないが、ほとんどおこらない。イスラームでは、殺人はもちろんのこと自殺ははっきりと禁じられて、それがサウジ社会でも強く知れ渡っている。自殺を犯した者は、イスラーム教徒が最も恐れる地獄へ死後行くことへなるということだ。

 イスラームの聖典クルアーンには次のように書かれている。【またあなたがた自身を、殺し(たり害し)てはならない。】(第4章29節)

 
 中には、自殺を犯した者を「彼は地獄行きだプンプン」と言及する人がいる。確かに、自殺は禁忌で地獄行きというのは一般的見解だ。しかし、自殺をする多くの人は精神的に不安定だったりするので、私たちが勝手にその人が精神的にどうであったと断定することはできない。イスラームにおいては精神的に正常でない場合、イスラーム教徒としての義務が免除させる場合がある。なので、むやみに自殺した人が地獄行きなどということは控えなければならない。アッラー(アラビア語でイスラームにおける神様)のみがそれを判断できるのだ。

 こういう勝手な判断を「アッラーへの越権行為」という。私たちは実際、人を表面や言葉、自分の見える範囲などでしか判断することができない。なので、本当に人をきちんと判断できるのはアッラーのみだという考えである。その人が死後、天国へ行くか、地獄へ行くか、またある人をよいイスラーム教徒であるか、悪いイスラーム教徒であるか、もっと言えば彼がイスラーム教徒であるかないか、それを判断できるのはアッラーのみで、私たち普通の人間ができることではなく、そしてやってはならないと言うものなのだ。
 
 しかし、現実にはそういうことをやっているイスラーム教徒をしばしば見かけることがある。例えば、あるイスラーム教徒がお酒を飲んでいたとする、もちろんそれは禁じられている行為だが、私たちはただそれだけで彼がイスラーム教徒であるかないかを判断することはもちろん、彼自身がよいイスラーム教徒かどうかさえ判断することは難しい。というのは、彼はお酒を飲んでいるかもしれないが、その一方で、他のイスラーム教徒以上に人を助けたり、赦したり、良い道徳でもって寛容に接したりしているかもしれない。そして、実際にそういう人は多い。もしかすると、彼はお酒を飲んでいないあるイスラーム教徒よりもアッラーにとっては良いイスラーム教徒なのかもしれないのである。なので、こういうことを軽々しくやるべきではないのである。

 時に、イスラームにおいて必要以上に人を厳しく言及したり、または規定にこだわりすぎて相手を傷つけたりすることをしばしば見かける。しかし、そのような決まりごとと同じくらい、良い道徳でもって相手と接したり、人の気持ちをおもんばかるという事をイスラームでは強く強く教えている!!彼自身、物事の枝葉末節にばかりこだわり、こういったもう一方のより大切なことをないがしろにしているに過ぎない。いわゆる本末転倒である。こういったことはイスラーム教徒によく見られることだ。日本も例外ではない。私自身もイスラームについて話す時はこういうことにこれからよりいっそう気をつけなければいけないと思っている。

 預言者ムハンマドは次のように言っている。

 「預言者は教友の一人を彼の代理として派遣する時、(その教友に)言った。 アッラーの吉報だけを人々に伝えなさい。 決して人々に(宗教に対する)反感を抱かしてはならない。 寛容に接し、無理なことを押しつけてはならない。」(ムスリムの伝承)
 
 そして、シャキーク(預言者の教友の一人)が預言者について次のように言っている。

「預言者は、私たちが退屈するのを案じて、数日間、説教をなさらなかったことがあります」(ムスリムの伝承)
 
 また、アブドッラー・アムル(預言者の教友の一人)は次のように預言者について言っている。

「彼は決して(言葉で)節度を失うことがなくまた決して他人をののしることはなかった。」(ムスリムの伝承)

 さて、このような日本の自殺について、たまにサウジ人に何が原因なんだと聞かれることがある。そして、これこれこういういじめがあって・・・などと伝えると、ほぼ決まって返ってくる答えが「なんだ、たったこれぐらいで死ぬのか!プンプン」というものだ。日本人が聞くと何と無神経な!死んだ彼の苦しみがわからないのか!などという声が聞こえてくるかもしれない。しかし、こちらの現実を見ていると、私は「そうなんですよ(;^_^A (汗)(汗)」と返さざる負えない。あせる

 日本は単一民族で普段の生活においてそんなに差別を感じることはない。しかし、ここサウジアラビアは部族社会が今もあり、アフリカからも近いので黒人も多く住んでおり、また複数の民族がいたり、多くの外国人が各国から出稼ぎに来ているので、多くの他民族が共存している社会だ。自分と違うものがいれば、自然と差別は起こってくる。そしてそれが相手と違えば違うほど、また数の差が大きければ大きいほど、その差別は自然と強さと、激しさを増す。それはヨーロッパでもどこの社会でもあることだ。日本でも、無意識のうちに東南アジアの地域を差別したり、独特の見解を持っている人もいるだろう。そういうシビアな環境で暮らしているので、彼らが日本の自殺の理由に対して疑問に思うのも無理はない。もちろん、社会的な評価や背景も違うので比べることは難しいのだが。

 こちらの人は、こういうシビアな環境で暮らしているため、たくましい人が多い。ある黒人の友人は「自分が小学校のときは誰も友達はいなかった。誰も近寄ってこなかった。しかし、私が怒ったからといって差別がなくなるわけでも、何かが変わるわけでもない。いちいち気にしてても仕方がない」とサラッと言う(*゚▽゚) 彼は非常に明るく前向きな性格だ。そのおかげもあり、大人になった今は、多くの友達がいて、彼の周りにはいつも人がいる。またある人は、差別で悩んでいる人を見ると、こういう風に言う。「彼は差別になれてない。むっ」・・・・・なんとも返事に苦しむ意見だ。(゚- ゚; )得意げ日本なら、差別をなくそうと考えるところだが、彼らの多くは、素直に現実を受け入れ、またはそれをアッラーからの試練だと真摯に受け止めている人が多いように感じる。彼らを見てると次のように感じることが多い。

「大事なことは人が自分にどうしているかではなく、自分がどうあるべきかである。」

 それはイスラームの精神にも通じる。こういう場合に求められるのはまずは忍耐である。そして、相手がどうであれ、自分が彼らに対して最善の態度を尽くしているかと言うことが重要になのだ。なぜなら彼らにとってこの世界は天国へ行くための試練でしかないのだから。

 次のようなハディース(預言者の言行録)がある。

 「預言者ムハンマドは、彼にもたらされたいかなる事においても、自分自身のために報復したりはしなかった。」(アル=ブハーリの伝承)

 戦争を経験した人たちは強かったと言うことをよく聞く。こういったイスラームの精神や彼らのタフさを私たち日本人にも大いに参考にする余地があると思う。
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