桜が満開の山形で、
じーちゃんが亡くなりました。


個人セッションの予定変更に対応してくださったお客様、
ありがとうございました。


水曜日に入院し、
木曜日の夜はまだ話せたじーちゃん。
金曜日の夜、父(息子)と私、親戚が看取りました。


私にとって
この3日間はミラクルそのもの。
 

あんなにわがままで
自分のことしか考えてないじーちゃんだったのに、

「最後の最後は『いい子』で締めくくりやがってムカつく!」
これはじーちゃんに対する私の最後の文句。



水曜日、
私は東京。
最終新幹線で山形へ帰ってきて、
その後
仕事から帰ってきた父から
「今日(水曜日)じーちゃんが肺炎で入院したんだ。」
と聞かされました。
 
もし私がその日山形にいたら、
間違いなく私がじーちゃんを病院に連れて行くことになっていた。

「なんで私ばっかりじーちゃんの面倒見なくちゃいけないのよ!
いったい何歳まで生きれば気が済むんだ!」
と怒りながらじーちゃんと接していたはず。

そして、
予想以上にじーちゃんの具合が悪いことを知り、
そんなふうに接した自分を責めたと思う。


最後が
「父と息子」の時間で良かった。
 

「入院したって、
どうせいつもみたいに驚異的な回復をして、
うるさくして病院から追い出されるんだべ。」
そう思っていた水曜日の夜。
 


木曜日、
午後からセミナーに参加し、
セミナー終了後お見舞いへ。
 
いつもの様子と違うことが
すぐにわかりました。
 
目に力がない。
 

入れ歯が入ってないのと
肺炎で呼吸が苦しそうなのとで
何を言っているのか聞き取りにくかったのですが、
 

「お前が顔見せてけるだけでいい」
(顔見せてくれるだけでいい)

 

と言われ、
思わず涙ぐんだ私。


下の弟はアメリカ在住なのですが、
ちょうど日本に帰国中。
 
木曜日から月曜日の朝まで
山形滞在予定。
 
その情報しかなかったのですが、
じーちゃんの病室に弟がひょっこり登場。
 
まだ意識があるじーちゃんと会話ができました。


弟は弟で
「時間変更してでも帰りたい」
と時間変更して山形に帰ってきたそう。

もし弟が予定通りに山形入りしていたら、
もう意識がなかった金曜日にお見舞いだった。
 
 
ここまででも十分なミラクル。



さらに金曜日。
朝、父の携帯に病院からすぐに来るように連絡。
  
この日は10~17時が
ずっと楽しみにしていたセミナーの日。
 
急いで病院に行く準備をしているとき、
セミナーはきっと間に合わないし仕方ないか・・・と思ったのに、

「でもなんか、セミナーに行けるような気がする。

一応準備していこう。」

 

父、私、下の弟で9時頃駆けつける。
(上の弟は仕事中で、その後自分の家族と駆けつけてくれた)


すると、
「さっきは危なかったので連絡させてもらいましたが、
持ち直しました。」

と看護師さん。
 
「やっぱりじーちゃん、また生き返るんじゃない?」
そんな希望も持ちながら、

「じーちゃん!」
と耳元で呼んでも全く起きない。
 
持ち直したじーちゃんの生命力を信じ、
私はセミナーへ。
 
なんと!セミナーに間に合った!

いつ病院から電話が来てもいいように
目の前にiPhoneを置いて。
結局最初から最後まで受講できた。
 
 
一度お見舞いに行き、
また「じーちゃん!」と呼んでみるも
反応なし。

呼吸が苦しそう。
 
なんとか目を開けてほしくて、
何度も呼んだり
肩をたたいたり。
 
モニターの数値が朝と変わっていないとのことだったので、
友人たちと食事をするため、
一度病院を出る。

食事が終わったタイミングで病院から電話。
 

私は覚悟を決めて
病院へ向かう。


じーちゃんの呼吸は苦しそう。
でも一生懸命に呼吸をしている。
 
「生きること」に誰よりも執着していたじーちゃん。

そんなじーちゃんが死ぬわけない。

そんな私の想いとは裏腹に
酸素の値が徐々に低くなっていく。
 

仕事を抜け出してきた父も合流。
じーちゃんの妹も来てくれた。

父がじーちゃんの耳元で
「がんばれー!」
と言っている。

あんなにたくさん迷惑をかけられ、
じーちゃんのことで苦労してきた父。

「じーちゃんが死んだら紅白幕だな!」
と今まで散々言っていた父が、
じーちゃんを起こそうとしている。


でも結局、
そのまま呼吸が弱くなり
静かに亡くなった。

呼吸が苦しそうだったけど、
他に痛みなどはなさそうで、
いわゆる「穏やかな顔」だったと思う。



ずっと山奥で自由気ままな一人暮らしだったじーちゃんは、
最後の3年は施設でお世話になってました。

私は施設の方に電話する時など
「〇〇(じーちゃんのフルネーム)の家族です」
と言っていたので、
自分の名前をお知らせしたことはない。

でもなぜか施設のスタッフさん全員が、
いつの頃からか
「亜紀さん」
と呼んでくださっていました。

そのぐらいじーちゃんは、
「亜紀、亜紀」
と言っていたそう。
 
「あいつ(私)がごしゃくと一番怖い」
(あいつが怒ると一番怖い)
なんてこともニコニコしながら話していたそう。

上の弟家族がひ孫を連れて顔を出しても、
「今日、亜紀何しった?」
だったらしい 笑


お通夜で久しぶりに会った親戚からも
「いつも、亜紀~亜紀~だっけもんね(だったもんね)。」




カウンセリングの勉強をしていた頃、
一番衝撃だったことが、

「あれ?私、じーちゃんのこと大好きだったんだ!」
これに気づいたとき。

あまりの衝撃で
朝水久美子先生にメールで報告したほど。

私の母はじーちゃんのことが大嫌いだった。
母にたくさん苦労をかけたじーちゃんのことを私も大嫌いだと思っていた。
 

一度、
じーちゃんに本気で殺意を抱いたこともある。


それでも
なんだかんだでじーちゃんのことを心配して、
大ゲンカをして、
一緒に泣いて、
ドライブして、
トンカツ食べに行って、

ばーちゃんのお見舞い行って。


もうそれができないのかと思うと
やっぱり寂しい。



入院する6日前にドライブへ連れてった。

「たまにはあそこ(スーパー)に行ってみるか」
と言ったじーちゃんに、

「また今度でいいびゃー(今度でいいじゃん)。」

それだけが後悔。
 


もう一度、
じーちゃんとケンカしたかったな。



入院したじーちゃんのことを気にかけてくださったみなさん、
ありがとうございました。

いつの間にか
じーちゃんファンがたくさんいて、
それもすごく嬉しかった。

じーちゃんがトンカツ食べてる写真を
Facebookにアップすると
「いいね」がたくさんついた 笑


花が大好きだったじーちゃん。
桜の季節に旅立つなんて、
どれだけ最高の結末だよ。


葬儀会場の桜。



トンカツ大好きじーちゃん。
亡くなる5日前は父とカツ丼を食べたそう。




なぜか気が合うじーちゃんとひ孫。



じーちゃんがまだ山奥で一人暮らしをしていたときは、友達を連れてよく遊びに行った。



2014年。洗濯もしてアイロンもしてた。


2015年。
 

見つけられた限りのじーちゃんブログ。
おとうさんとおじいちゃん
オレンジ色の目薬
不死鳥
じーじが寂しいと言った
孫は本気
じーちゃんの呪い


あーあ。
やっぱり寂しい。


 

 

心のナビゲーター・中井亜紀