※ ご注意
今回の記事は、命に関するかなり重たいものとなっています。
お気の進まない方、そして現在心の調子が優れない方には、
スルーして頂くことを強くお勧め致します。
また、文章に記された作家の取った行動を容認し勧めるもの
では決してないことを、ご理解・ご了承頂ければ、と思います。
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ブログにも何度か書いた、私がずっと好きで、中学・高校の頃
から読み続けている作家、鷺沢萠という人。
実は彼女は、4年前の春に35歳の若さで自らこの世を去った。
折に触れ、私は本当に彼女のことをよく思い起こす。
その最期の瞬間のことも。
彼女がその時、どんなものを見て、どんなものを聴き、そして
どんなことを想っていたのかも・・・。
一番苦しい時、危険な時、本棚から選び取るのも、やっぱり
彼女の本だ。
(あとは山本文緒、菜摘ひかるなど。 いずれも心に闇を抱えた
作家という共通点がある)
亡くなってから発刊された、あるいは購入した作品は、辛すぎて
まだきちんと読めていないものもあるので(というか、不調の時
はどの作家の新刊もまず読めないが)、今までに何度も読み
返してきた作品、中でもエッセイをまた読み返すことが多い。
今回の心の危機に際しても、『私の話』という自伝的私小説(と
帯にはあるが、ほとんど手記・エッセイだ)を、選び取っていた。
そこには、1992年、1997年、2002年、それぞれの時期の彼女の
置かれていた状況と心情が克明に描かれている。
2002年、つまり彼女が亡くなる2年前のその手記を流し読んで、
もう何度目かわからないけれど、私はやっぱり、涙を止められ
なかった。
そこに記された、彼女と、彼女の祖母との最期のやり取りの
様子には、本当に胸が裂かれるような思いがした。
辛いという言葉、ショックという言葉、そして後悔という言葉でも
まるで足りない思いが、去来しただろうと想像できる。
彼女を追い詰めたものは決してひとつではないだろうが、その
出来事は、ある意味、決定打でもあったのではないか・・・とさえ
考えてしまうほど、辛すぎる、そして背負って生きて行くには
余りに重すぎる、出来事だった。
それでもその手記は、明るい未来への希望を綴った形で、締め
括られてはいたのだけれど。
20代半ばから神経科に通院し、ずっと向精神薬と睡眠薬を
飲み続けていたことを、私は彼女が亡くなってから知った。
強迫神経症の症状はかなりきつかったようで、そのエピソードを
読むだけでも、本当に辛かっただろうなと容易に想像ができた。
それでも彼女は、お酒も、煙草も、やめなかったという。
彼女が作品で描き続けたテーマ。
そしてきっと、彼女もずっと憧れ続け、いつしかそれを、何をどう
やっても、どんなにもがいても頑張っても手に入れられないこと
が深い失望と絶望に変わって行ったのではないかと思われる、
家庭という名前の、安らげる場所。
すべてはあくまで私の想像に過ぎず、作家という職業柄、彼女
の性格と置かれた状況・環境などからも、抱えていた問題は
もっともっと多く大きく、そして深刻なものだったのだとは思う。
それでもやっぱり、家族への想いは、彼女の根底にあり続けた
のではないかという気が、どうしてもしてしまうのだ。
そして私は、彼女の想いに、今はもう誰とも共有し得なくなって
しまった、その家族への想いというものに、痛烈なシンパシーを
ずっと感じ続けているのだ。
彼女と同じ30代に入ってからは、尚更それが増した気がする。
彼女の取った行動は、決して許されるものではないのかも知れ
ないけれど。
それでも、身近な人たちがこれ以上頑張れ、とは言えない位、
彼女は頑張って、頑張って、頑張り続けて生きてきたのだ。
それは、彼女と親交の深かった作家の群ようこさんが彼女に
寄せ書いた追悼文(『野生時代』2004年6月号収録)を読んでも
よくわかる。
最後に、彼女の名誉のためにあえて言わせてもらいたい。
彼女は、頑張って、頑張って、精一杯、35年の人生を生きた
のだ。
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