母の四十九日も無事に終わった。
あっという間のようで、一日一日があり得ないほど緩慢に感じられた二ヶ月。赤ちゃんと暮らすということは勿論楽しいことではあるが、ペース配分が難しく、時間そのものはゆっくり流れているにもかかわらず、自分の時間を捻出するのが非常に難しい。(というより、ほとんど、皆無。)加えて、目線が明らかに変わり、今まで目を瞑ってきた世界のパーツがすこしずつ姿をあらわしてきているのを、薄目をあけて観察しているような感覚をおぼえる。たまに、当たり前だと思っていたことの新しい側面がいきなり見えて瞠目し、くつくつと笑いが漏れる。それは、傍目に空太郎が今世界と出会っているのと似ていると思えたりする。
今、できないことがいっぱいありすぎる反面で、今しかできないこともやはりたくさんある。しかし、前者は自分がしたいことであるが、後者は必ずしも自分がしたかったことではないというのがポイント。開かれる、というのはこういうことなのか。
すべてを受容して、たゆたう時期も人生には必要。そうすると大概が楽になるということを、母はよく会話の中で示唆していたものだ。同性の子供を持つ母親は、自分と子供の違いを認め、受け容れるのに若干の努力を要すると聞くが、自分とは180度違う方向に彷徨していく娘を異文化を理解するようなやりかたで受け容れ、見守り、楽しんでいたのかもしれない。
受容性の高さは生きる為のヒントではあるけれど、それは同時に自分の世界を内側から崩壊させる危険性を孕む。自分一人の世界で完結させたものは純度は高く、見るものに「美しさ」を感じさせる。それをしたければ、十代のうちに成し遂げてしまうか、百年の孤独と向き合うか、どちらかしかなかろう。
しかし世界は作る側と受け容れる側に二分される、かというとあながちそうでもない。それこそ、目を瞑ってきた世界に即した作法はもちろんあり、そちらへの回路が開かれた今、清濁併せ含んだ土壌で開く花苗を育てる。それが流儀。
上記のようなことを、「どうでもええわ」と思う瞬間が日に一度や二度あるのも事実。
髪は抜けるし肌は荒れるし、背中から腰にかけては石みたいだし腱鞘炎が悪化して楽器もうまく弾けないし、骨盤底筋群は傷ついたまま朝夕痛むし、足は萎えるし寝不足だし乳腺炎で子供は泣くし、でも。
母の命がここにつながっていると思うと下手な理論なんか消し飛ぶ。
「世界ってこういうことだったんだ」
とすべてを受け容れそうになる。実際、受け容れる。
この「こういうこと」の理解とその喜怒哀楽を分かち合えるのは、おそらく自分の母親だけで、だからこそ多くの「母親」になった友人が、母を失った私を矢鱈心配してくれるわけなのだろう。
母親のいない子育ての孤独はしかし、自分が耐えればいい話だ。空太郎にはまだおじいちゃんも、おばあちゃんも、ひとりずついる。母親もいるんだぜ、頼りないけどな。
そういうことなのだ。
四十九日の法要、滞りなく終えられたのは、キャゼルヌ先輩ばりに事務処理能力の高い妹のおかげである。参列者のグリーティングからタクシーの手配まで時間管理とともに見事にことがなされているのを見ると、感嘆すら覚える。美しい兵站を見るようである。
星回りというのは良く出来ている。ひとには、時に応じて変化するのだ。性質や属性は変わらなくても、状況や環境がその能力に翼を与えたり、枷をはめたりする。だから傍目に人が人を判断や評価することなんかにそれほど意味はない。諸行無常とはすなわち、人の業に対する言。人間がそれを「常」と見る限り、苦しみから逃れられない。
すべてうつろうものを是とすることで、寂しさから逃れられるというのに、敢えて寂しさを求めてしまうのもまた心の仕業。
藤棚の落とす影に憩いながら、五月のやわらかい風に飛んでいきそうな思考を追いかけた一日。膝に眠る吾子の歯は未だ見えず。
あ、ところで、藤棚のいちばんいい時期は実は今で、紫の花房がたわわに下がる頃になると迂闊には近寄れなくなるということを知っているかな?
理由は…、
考えてみてね (°∀°)b