上海の友人達にこのブログを案内しましたが、見る事ができないとの事です。![]()
中国当局のチェックに引っかかった為、閲覧禁止のようです。
中国はすごいですねええええええ!![]()
上海の友人達にこのブログを案内しましたが、見る事ができないとの事です。![]()
中国当局のチェックに引っかかった為、閲覧禁止のようです。
中国はすごいですねええええええ!![]()
会社の場所は、市内からバスで2から3時間ぐらかかります。
それも、当時はあちこち工事中で、時間がまちまちです。
(今では、高速ができ30分ぐらいです。)
ローカルバスですので、怖かったですよ。![]()
裸で寝てる人や、泥棒が多いのは有名でした。![]()
月曜から金曜日は、工場で寝ていました。
土・日は、市内のホテルです。
場所は地下鉄1号線の辛庄駅付近にあった、南方商城大飯店です。
一番安い部屋で、1泊170元、部屋が、三角形なんすね。
それでも工場には、ろくなシャワーも無く、風呂に入れなかった事も多々ありま
した。
ホテルの部屋は天国でした。![]()
こういう状況の中で、ある日、懸(現在は市に昇格)の外事課(警察)が来ました。![]()
私は出張中でしたので、対応した総経理に聞きますと、外国人は工場に住め
ない、ホテルに泊まっているのなら宿泊証明の提出を要求されたとの事。
と、言われても、毎日市内から通勤できるはずもなく、今までどおり工場で寝て
いました。
部屋の入り口には、商品の空箱を積み上げ、倉庫らしくしていました。![]()
しかし、結局は外事課から命令があり、やむなく出頭。![]()
中国の警察はどういうものか?期待と不安がいっぱいでしたが、当たって砕け
ろ![]()
相手は一人です。少々年配の人でした。
まず、国籍、氏名、生年月日など基本的な確認。
そして宿泊の件ですが、3ヶ月間の状況を何月何日にどこで寝ましたか?と1
日ずつ聞くんです。
それに対して私は、ホテルもしくは工場と返答します。
3ヶ月の30日で90回はそういうやりとりがありました。![]()
この調書をきれいに書きながらやるんです。
通訳さんも、いらいらしていました。![]()
やっと取り調べが終わり、どうなるのか心配してますと、再確認をするんです
ね。
何月何日、工場で寝ましたね? 私はハイと答えます。
調書の復習です。
やっと本当に調書は完了し、警察からのありがたいお言葉を頂きました。![]()
![]()
「警察(外事課)は、上海に暮らす外国人の安全を守る為に努力しています。
工場に寝泊りするのなら、申請をしていただき、安全を確保できる環境にある
のなら、許可します。」
そして
「今回については、法律では、500元から12,000元の罰金ですが、あなた
はいくらが良いですか?」
これには、驚きましたね!![]()
通訳さんに確認をすると、自分で決めればいいとの事。
もちろん、500元とお願いし、無事解決しました。
教訓
① こういう事には、必ず裏があると思われます。
外国人が工場で寝ている事に対して、誰かが密告した?
そうでないと、外事課はやってこない。
私に対して?
会社に対して?
何に対する不満?
② 正直に。
同じ目線で、正直に。
1995年、一番円高になりました。1ドル=79.75円です。
1993年から、生産目的で、上海郊外に鎮が開発した、工業区の一角を建物付きで購入し、独資で会社を設立しました。
敷地は約3,000㎡。
総経理は、上海人、財務、税関関係は、総経理の奥様、もちろん上海人。スタッフも総経理の縁者で固めておりました。
これは、あとあと分かった事ですが、最も危ない体制です。
日本人は、私のみ。
これから、期待と不安に満ちた日々が始まります。
1994年、本社が勝手に決めて、新入社員が研修に来た。
男2人、女2人の計4名です。
食べ物もろくに無く、治安状況もままならず、テレビは中国の番組ばかり。
私でさえ、まいっている中で、よくもまあ、派遣させたものです。
仕事も大事ですが、女性には大変気を使いました。
仕事中は問題ありませんが、休日には、ホテルの従業員を友達になり、遊びに行くというのです。
ほっておいてもいいのですが、責任者としてそういう訳にも行かず、同行という事になります。
こっちは、休みはゆっくりと寝たいのに、大変心配でした。
男2人は、ほっておいても大丈夫!
なかなか好奇心があり、無錫中をうろうろし、私にあそこの2階には何がある、あそこの道は、、、、、、と歩き回ります。
女性2人は、帰国後に本で会った時に、「無錫駐在時は、毎晩泣いていた。」と聞きました。
本当にご苦労様でした。
男の内一人は、現在中国企業の日本支社に勤め、成功しているようです。
我々のような中小企業は、福利厚生も無く、大変だったと思います。
上海から無錫へ一人で移動する事となりました。
上海駅には、タクシーで!
汽車の切符は、駅正面の左の方にあったと思います。
切符の買い方は、現地スタッフに聞いており、その時の中国語も教えてもらっていました。
切符売り場はごったがえしており不安がいっぱいでしたが、軟席ですのですぐに窓口にたどおりついたと思います。
さあ、これからが勝負です。![]()
全く知らない中国語で、到無錫、軟席(タオ ウーシー ラン ツオ) 1時(イーテン) といいましたが、販売員は、何か言っています。(1時発の無錫行きで、ソフト席)
私は知っていた中国語は、シェシェ・ツアイチエン・ウオアイニ・ぐらいで、次の言葉が全くでません。![]()
どうも満席のようで、あっちへ行け、じゃまじゃまと言っているようです。
後の人は、がやがや言っているし、先に買おうと手を出してくるし、半分パニック状態です。![]()
と、その時、時刻表が目に入り、次の汽車を指指すことによって、ようやく買えました。
この時に、次の汽車の席はありますか?(下次票有没有?)と言えれば問題なかったのですが。
軟席専用の入り口から入り、パスポートチェックと荷物検査うを受け、入場して一安心。![]()
改札が始まり、スムーズに乗車。指定席へ。
軟座席は、1車両のみです。
ここでは、お茶のサービス・ラーメンやおかしの販売がありました。
肝臓に効く「片仔廣] の販売もありました。
これは偽物が多いと、後日中国人から聞きました。
昼からの出発でしたので、無錫に着いたのは、暗くなってからです。
ホテル東林大酒店 には、タクシーで5分ほどです。
近すぎて、乗車拒否ばかりです。
仕方なく、歩いて行く事にしました。
道は薄暗く、人通りもほとんどありません。
暫く行くと橋があり、よく見ますと、道の左右で何かが動いています。![]()
![]()
地面が動いているのです。
だんだん近くになり、わかったのです。
人が橋の上で寝ているのです。
それも何十人とです。
橋の上は風通しがよく、涼しいのです。
その中を、足など踏まないように、静かに歩いて通りすぎました。
あーびっくりした!
そこから、市内寄りになりましたので、少し明るくなり、一安心です。
無事、ホテル到着。
よかった、よかった。![]()
①大地の子 山崎豊子
陸一心は有名ですね。TVでも放映されました。
1930年代から終戦・文化大革命を経て上海での日本企業の製鉄所立ち上げ・その時に父親との再会。激動の中国を背景にした感動物です。
父親と再開後、日本で一緒に住まないか?という問いかけに対して、隆一心は「私は大地の子です。」と返事をするあたりは、なんとも言えない悲しさがありました。
泣けてきます。{悲しい}
②卡子 遠藤 誉 ノンフィクション
世界中でベストセラー。中国では発刊禁止になっていました。
中国人女性作家。祖母と母と本人の三代の生活をとおして、中国の歴史がよく理解できます。。
抗日宣戦や、共産党と国民党の内戦の中に生きた祖母や母の時代も凄まじかった。それよりとんでもなかったのが、毛沢東による「大躍進」や「文化大革命」で大混乱に陥れられた本人の時代だ!
以上を読めば、1930年頃からの中国がよく理解できると思います。
アドバイスとして、年表を確認されて読む事をお勧め!
④宋姉妹 ノンフィクション
⑤鄧小平秘録 産経新聞社
⑥大地の慟哭 秦 尭禹
今の、中国の出稼ぎ労働者である民工の悲惨な現状を描いた本。
著者は中国人です。大体は、わかっていましたが!
冬物電気製品を生産するのは、夏です。
製品検査をするのに、エージングといってヒーターを何分かつけます。
これが何十台とあり、その中でやりますので、その暑さはすごいものです。
また、食事も十分でなかった私は、熱を出してバタンキューしました。![]()
ホテルのエアコンもろくに効かず、暑いい中で大変な熱が続きました。
3日目に、ホテルの人が体温計を持って来てくださり、計ってみると、38度は十分超えていました。
これは大変と、医者に連れて行くと言い出しましたが、私は、中国の医者は危ないと聞いており、
行かないと意地を張りました。
脳裏にうかんだのは、注射針の使いまわしです。![]()
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4日目、5日目ともうダメです。
熱がぜんぜん下がりません。
ホテルの人がおかゆを持って来てくれますが、ほとんど食べる事ができません。
5日目の夜、人の気配を感じて目を開けると、ベットの回りにたくさん人がいます。
一瞬死んだのかと、思いました。![]()
もうろうとしていて、よく見えなかったのですが、ホテルの従業員の方達でした。
花束を持っている人もいます。
みんなで大丈夫か?と大変心配してくれました。
私は、上体を起こしましたが、熱の為か汗が吹き出るように出ていました。
医者に行こうと、また皆さんに説得され、それでも私は意地をはり、すぐには行きませんでした。
「明日、熱が下がらなかったら行きます。」と覚悟を決めました。
翌朝、なんとなく楽な感じで目があき、体温を測ってみると37度代に落ちていました。
それから数日寝込んでおりましたが、順調に回復しやっと上海に戻ることができました。![]()
ホテルの皆さん、大変ご心配をかけすみませんでした。
ありがとうございました。
上海に戻りほっとして、日本料理(伊藤屋?)をたらふく食べまくりました。
秋に、日本の会社で健康診断がありました。
結果を聞いて驚きました。
「あなたは、結核にかかっていました。それも自分の体力で治してしています。病名は自己治癒性結核といいます。肺に少し影があり、この部分です。これが、数年の間に大きくなったら、問題です。それと、年を取った時に何らかの事があるかも知れません、、、、、、?」![]()
あの時、ひょっとしたら死んでいたかも?
ホテルの人たちの暖かい気持ちが伝わったのかも。
日本人も中国人も人としては同じという事を勉強させて頂きました。
また、この経験によって、中国人とのかかわりの中で、いつも同じ目線でという意識が生まれた事は確かですし、同じ人間という安心感を持てたように思います。![]()
その後、無錫に行く時は必ずそのホテルに泊まるようにしております。
その当時の無錫は、日本料理が1件だけでした。
それも、無錫大飯店の日本料理。大変高かった。
(現在、無錫大飯店付近は日本料理・クラブ等がたくさんあります)
われわれは、疲れ果てホテルに戻り、夕食はホテルの中華料理か、中国版ケンタッキーを食べるしかありませんでした。
日本料理を求め、市内をうろうろしましたが、大飯ぐらいの私は体調がどんどん悪くなっていくのがよくわかりました。
これから数日後、大変なことになりました。
次回アップいたします。
たまに、韓国料理屋に言って、まずい肉を食わされましたが、味は日本に近く満足しておりました。
しかし、無錫駅の正面左側の饅頭屋の肉入り饅頭はおいしかった事をよく覚えています。
生産スタート。
最初は順調なすべりだし、と思われたが、すぐストップ。
部品が入って来ない。
明日は、大丈夫ですね?と念を押し、ホテルに戻る。
翌日、訪問したが、まだ部品が入らず、ストップ。午前中にホテルへ。
その翌日も同じ。
毎日、昼から暇!
なにをしてたって?
毎日ホテルでマージャをしておりました。![]()
日本人二人、中国人二人でです。
毎日、10時間マージャン。
中国人二人は上海人ですので、上海マージャンをやってました。
ルールを少し。
役は、ほんいつ・ちんいつ・といとい・つーいーそーのみです。
驚いたのは、つーいーそーはポンは日本と同じですが、てんぱいは、手持ちがすべて字牌であればOK。
また当たりも、どの字牌でもロンになります。
チョコは、1回1回です。
日本のように半チャンで1ゲームではありません。
もう一人の日本人は、暇なためにやっていただけで、素人です。
チョコをたくさん頂きました。
さすがにマージャンも飽き、何故部品が入らないかを調査しに、部品工場を訪問しました。
そこの社長いわく、もう数ヶ月支払いが無く、納品しても支払いが無いのであればやりたくないと言っておりました。
しかし、実際はその部品工場も資金が無く、材料が買えない状況でした。
国営工場の従業員に聞き込みしますと、これもまた数ヶ月給料をもらっていない。![]()
なんじゃこれは!!!
会社の中に我々の事務所1室をあてがわれておりましたが、ちょうどその前が財務室です。
毎日、新聞を読んでいるか、寝ているだけです。![]()
ある日、出勤しますと、財務室の前にたくさんの怖そうなおっちゃんやおばちゃんが来ておりました。
何事ぞ、と聞いて見ますと、本日集金日。
お金が入った!
ずーっと待っています。
私は、社長に用事があり探していますと、最上階の部屋に隠れておりました![]()
資金が無く、支払いできずに隠れていたんです。
なんとなく滑稽な感じがし、我々の事務所に戻りみんなで大笑い![]()
集金に来た人たちは慣れているようで、ひたすら静かに待っている状況で、午後から帰ってゆきました。
ある日、財務室では一生懸命仕事をしており、珍しいなっと思い、聞いて見ますとお金が入ったようです。
月に1度の仕事でしょか?
しかし、我々は毎日と言っていいほど、会社の食堂で宴会につきあわせられました。
お酒も料理もたくさんあります。
お酒は飲むだけ飲み、料理は残ればお持ち帰りです。
さすがさすが!
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