2006/10/26

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divide更新

cw


sachiさんのものを公開。

みなさんもどうぞ。どんな表現方法でもかまいませんので、メールください.(勝手にこちら側で形を変えることもあります)

dada-experiment-society@m4.dion.ne.jp



以下 以前書いたものですが・・・。



dada-experiment-society

とはいったいどういったものか。


とりあえず名前をひも解いて見ましょう。


dada

dadaismの略称というのが一般的でしょう。


1900年代前半の芸術活動の一部ですね。

芸術活動というものがどうゆうものかというと、個人、文化それぞれで定義は違ってくると思います。もちろん定義付けなどしていないにこしたことはないのですが。

dadaがおこなってきた活動に対するリスペクトなどという意味で名前を拝借したわけではありません。

個人的影響の面でいえば、アサンブラージュ(寄せ集め、組み合わせ)のほうがよっぽどの衝撃があるわけです。

反合理主義、反道徳という根っこにあるスタイルへのオマージュといった具合です。


「理由があろうがなかろうが差別は反道徳」


experiment

実験、実際の試み。


実際の試みというのが重要でしょう。

思考は常にされているものです。しかしアイディアなんてものには多少の価値しかないでしょう。

似たような人間同士が主義主張を共有しあった末に何年たっても何も残っていない。馴れ合いだけのあのオレンジのトップページの共同体のようにするつもりはさらさらないのです。(あれなら黒の文字だけで罵声と飛ばしあう掲示板のほうが健全であったようにおもう)

先人でもあるメンバーの一人がある言葉を教えてくれました。

新しきパラダイムを作らんとするものたちよ。固まるな、散らばれ


私が活動を考えたとき、これを初心というのでしょうか。「既存物や既存概念の分解、分裂、分散」の文字が浮かびました。

創造でも破壊でも集合でもないのです。


なんどもいうように万物はすでにもうなにもかもやられてしまっているんです。


そこには大量の万物があります。コラージュやカットアップもある。


まとめて分解、分裂、分散させてやるのは、自分達の役目ではないかとおもったのです。(これは40年前からやられるべきことです)


society

社会


これにはとても矛盾を感じています。

自分にとって思考の枠組みの転換を個人で行うことは危険でしかないことです。

無視することが利得とされている現代ですから、ある程度の形が必要なわけです。

それは思想家と宗教団体の力関係にとてもあらわれていますね。


ただ足りないものを補いあうわけではなく、勝手にやってくれていればいいんです。勝手に考えてくれれば・・・。

形として完成されたもの、継続されているものは現在作成中のサイトにupしていこうとおもっています。


それは展示会ではありません。

素材としてです。

これも分解されることが目的です。

サンプリングでもコピーでも一片でも。


現在あるウイルスコードを利用してばら撒く事も可能なようです。

スプレッダーということになるのでしょうか。これは大きな課題ですが自分には知識がありません。

ウイルスも最近ではスパムメールに組み合わせた広告的、営利的なものがほとんどです。

オリジナルウイルスの製作者は、そのプログラムの癖や特徴から、世界中に30グループ。100~500人ほどといいます。

現在このように氾濫しているのは、スプレッダーの存在が大きいのでしょう。

すでにあるコードを書き換えて、営利目的に広告をばら蒔く。

サボタージュが目的だったオリジナル作者の意向などまったくないのが現状です。


話がそれましたね。


最後に簡単に正直に素直に言うと、せめて身の回りが綺麗で華やかで意表をつく生活環境になればという自己満足的な面も活動であるということを付け加えておきます。


dada-experiment-society akarma


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