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言語能力について考えさせられる出来事が今日あったので、その周辺について少し書かないといけません。



なににおいても「リアルタイム」というものに不信感を抱くようになっているのは何時の頃からかと考えたときに、けしてそれは今現在、決定されたことでもなくて処理段階であることに気がつきます。

不信感を抱くようになってのではなくて、不信感に気がついていなかったんです。(不信感という言葉はあまりヒットしないが)


リアルタイムによる偶然性や無意識的感覚は、どうも自身のものではなく、「なにか」に操られるものが大きくて、それを認知しないまま時間が過ぎていくことに、いちいち疑問を覚える事をする。という流れを大抵の人が組んでいます。

もちろん自分も例外ではなく、つねに自身のとった行動や発言に不安や疑問を感じています。それは単に「思考」を通過していないからでしょう。


こうなってくると処理スピード(処理能力ではなく)の問題になってくるのですが、自分の場合、前頭葉が未発達(未構築)の為にスピードなんてものとは無縁で、それこそ1年後に処理されるべきものが繋がったりする始末です。


普段自分は海馬に溜め込む事しか行っていないから、断片につながりをもたせることを苦手としていて、これは会話においても、音楽製作においても読書にすら言えることなのですが、大概の自己表現(普段の生活含む)というものが断片的なんです。


こうなってくるとどこからが断片でどこからが一固体なのかということにもなってきますが、こればっかりは対「外」に向かったときにどう認知されるかという問題ですから個人として考えたときには、断片すら安住の位置をたもてるわけです。



以下boss the mcのリリック


「一瞬の1mmが地球の一生、地球の1mmが人間の一生、人間の一生の1mmが今日1日、今日1日の1mmがこの瞬間。その瞬間に1億の細胞、1個の感情、1個の感情は今日1日の1mm、今日1日は一生の1mm、一生は地球の1mm、地球の一生は宇宙の1mm、宇宙の1mmが地球の一生、地球の1mmが人間の一生、人間の一生の1mmが今日1日、今日1日の1mmがこの瞬間」


ここで使われている言葉は単位としてのものなので、たまたま宇宙>瞬間、または瞬間=宇宙という関係でなりたったものです。


この関係性で事がなりたっているのなら、断片にも全体がつまっているという考え方もあるということになります。


言葉を発するのは、「知覚」「記憶」「意識の総体」が必要となりますが、この3つすら断片にはつまっているんです。


要はつまっているものが、「どこからどこまで」かということです。

100m走った記憶があったとして、その練習風景からゴールまでと、80mから85mまでの記憶はどちらが断片的かというと、大抵は80mから85mまでの記憶が断片的ととらえられてしまう傾向にありますが、結果的にはどちらも100m走っているわけです。


別に答えをだしたいわけではなくて、自分がどう処理していくかということは断片自体が解決することかもしれません。






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