IKB

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今日は半日レコード屋。

昨日買ったpcに大量のソフトでもインストールしてるほうが現実的なんだけれど、そうもいかない。

今日は朝から落ち着かない一日でした。

理由はともかく。


そんな日は一人でレコ屋(そんな日じゃなくても)。

ほしいレコードなんてないのだけれど、(好きな音なんて滅多にないのだけれど)あんなにエキセントリックな場所もないのです。新宿の中古屋なんて店員含め3~4人しかいないのだから。

デートコースペンタゴンロイヤルガーデンのレコードなんかを1000円でみつけたり、心の師匠に教わったストラタイーストレーベルのレコがごみのようにあったり。

西新宿のレコード屋はきわどいから嫌いなんだけど、こうゆうことがあったりするから無視できないわけです。



少し落ち着いて(落ちつけて)オペラシティへ。

実は土曜もiccのキッズプログラム を観にきたのだけれど、その際にオペラシティのギャラリーショップに行き忘れていて、我慢できずに行ったわけです。(ここは割と現代音楽とアバンギャルドに強い(新宿のタワレコが一番だけど))



そこで見つけたのがこれ。

ff

色つきのヤバイ薬品ではないですよ。

inter national klein blueという名の顔料。


フランスのイブ・クラウンって人が使った青。

3年前くらいにバーちゃんと軽井沢のセゾン美術館に行った帰りにそこのギャラリーにハガキが売っててなんとなくきれいだから買って家にずっと飾ってあったのです。


これ


fff


まさかその顔料が市販されているとは。


思わず2個買う。


ヌーヴォー・レアリスムについては気がむいたら書きます。



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dada hd

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r2wr


資生堂ギャラリーにロビン・ロード展を観に行きました。無料だから銀座に用事がある人は是非。

明日(30日)ですが・・・。


予想よりもはやくpc環境を復活させることができたので、これで家から更新できます。


7月はいろいろなものが不機嫌になっていたのです。

まずcdプレイヤーが壊れ(これは自分が悪いのですが・・・)、続いてお気に入りのアンプ。触れることができないくらいの高熱とともに低音が増幅され4312からノイズまじりの音が再生される始末。



先週pcのHDである。起動後、突然の異音。

異音とともに勝手に再起動しだす。

次に起動したときにはオペレーティングシステムすら認識してくれない。バイオスに入りチェックすると、マスターのHDがないことになっている。

一年半前くらいに無理やりフルスペックにしたnotepcは自作時から高熱を発していて危ない感じはしていたが、自作やってる人のpcなんてそんなもんだろうと思っていたわけです。


とりあえず、録りためた曲や音、写真が消え。


無理やりすっきりすることにしたわけです。


もうあの曲達の続きをやらなくてすむわけ。

自分は同時に20曲くらい中途半端につくるから無駄にショートファイルが80個くらいあって、それなりに重くなっていたわけです。

やばい音も結構あったな・・・・、やはり勿体無い・・・。


壊れたのが5日前くらいで、修理に出したのが今日。

なぜnet環境が復活してるかというと買ってしまったわけです。

修理に3週間かかるなんて言われて、とんでもないと。

ちょうどpen4のD930が割と安くて。


3週間後noteが届いたときにどう併用するかで今どのソフトをインストールするかで悩んでいる感じです。


なぜこんなに家中のいろんなもんが壊れたのか。

モノに愛着がわくほうなので、おそらくモノもそれに答えてるんでしょう。


最近の気持ちの移り変わりにモノが嫉妬したんでしょうか。

壊れれば意識してくれる。

こちらのモノに対する愛着が単純ゆえに、モノも単純な返答しかしてこないわけです。


無視するなら壊れてみる。


単純な人間でもこうゆう人がいますね。

壊れるのも壊すのも簡単なんです。


ひとつの言葉でもなんでも、壊してみたり反発してみたりしたくなるけど、あまりに単純な時は発言しないようにしています。(だから無口ってことになってしまうことがね)


壊したら創らないと。


dada expriments societyゆえに。


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レコ球

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レコードで地球が回る。


誰の言葉でもなく、突然思いついたのでこれはヤバいと思った。



少し考えてみた。(人中心で)

タンテの電源投下以前はビックバン以前だから無の状態である。

もうすでに違うかも、ビックバン以前に欲求はあっただろうか。無心でレコードかける奴など何人もいない。


電源を入れると回りだす。これはビックバンとはいわない。無ではなくビックバン以前はこうゆうことなら、少しは宇宙論も楽になる。空間や重力はないけれど、時間軸だけの宇宙。


レコードを置く。これがビックバン以前の宇宙の創造といったところか。ビックバンも輪廻しているならば、過去もしくは未来の創造。


針を置く。これがビックバン。もちろんどこに針を置くこともできる。ビックバンが一瞬一瞬で起こっている可能性だってある。


針がレコードの溝をなぞる。

創造されてしまっている経路しかたどれないのだが、それはレコードによって良いものだったり、クソだったり、コピーだったりする。レコードが人生なのか・・・・。レコードに失礼だ。


溝が終わる。人が死ぬ。


レコードのレーベルのところに針があたり、プチプチ。霊界にでもいってさまよってるんだろうか。

時間は任意ではない限り永遠である。


ここでもう一度ビックバンを起こせることもできるし、さまよい続けることもできる。

霊に時間軸がない感じとみている。


針が磨耗する。霊はビックバンからも見捨てられる。カルマの解消は無でしかない。おつかれさまです。


このほかレコードが溝を通っていいるあいだ、溝の崩壊(針飛び)やそれによるループ(突然うまれるカルマ)

、レコード盤の磨耗(汚染、笑)、ピッチの補正(脳内麻薬、薬物などによるトリップ)、スクラッチ(時間の損失による、未知の創造。)、エフェクト(宗教、信仰)、ミックス(友情、愛、戦争、憎悪。なんにしろぶつかりあうこと)、針交換(虚無)、レコードのゆがみ(擬似無重力、これもトリップかな?)


キリがない。


ミックステープは歴史か・・・・。

距離感

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google earthがバージョン4のbeta版をいつの間にか発表していたのでdownload。


よろしければどうぞ。

http://earth.google.com/index.html


こんなにおもしろいもんはないんじゃないかと暇な時は思うのです。





地球の半径の話です。

地表から約6000キロ。


今度は地表から大気圏まで約600キロ。(層なので曖昧ですが)ここでは一番奥の熱圏までの距離。



比喩表現とはいえ、高く飛ぶ、深く潜るというのがあります。

なんだか、ポジ、ネガに分けられてる感もありますね。


地球上(層を含める)で人間が考えた場合(地表にいる生物なので)、なぜ飛ぶがポジで潜るがネガになっているんだろうと考えて、ものすごく単純に本来距離が長い(どこまでいけるかってことで)ほうが、ポジ感があるじゃん。なんて思い距離を調べたわけです。


結果飛ぶより10倍深く潜れる可能性があったわけです。(だから比喩なのはわかってるんですが・・・)



問題なのはこんなことじゃなくて、距離を調べようと検索しただけなのに、層までの距離がなかなか出てこなくて、他のいろんな情報を目にすることになったんです。



地球・・・・おもしろいんじゃないか・・・・・!!なんてことになってしまったわけです。

いろんな方向性があって、もちろん宇宙にもつながるし、環境にもつながるし(hp内でね)、もうネタが尽きないわけです。


・・・・・・はまりそうなわけです。


なんていう趣味の名前なんだろう。

「地球観察」とでもいうんだろうか。   なんてひどい趣味だ・・・。

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dw

少し前にどうのこうの暴言を吐いた美術手帖をじっくり見直していると、保坂健二郎がニーチェの名前を連呼していたので、少し気にかかり、家にあった「善悪の彼岸」をパラパラめくる。(じっくり読む気になどなれない疲れる本(人)だ。)

この本、何書いてるかって、勝手に読んでください。理解などしないで読んでるんだから。


興味の対象(人でもモノでも、要は万物)に触れる時、触れ方は様々。

人の場合身体だけだったり、モノでいうと収集とか。


人、モノで書くのが面倒なので、ここではモノは人の畜産物(創造物でもいいけど・・・)という感じに捉えて欲しいかも。


人や人が生んだもん(形じゃないものも含め)への触れ方。(さっきから書きたい事に残念な頭がついていかない・・・。)


簡単に言えば、深いもん見せられて、どこまで触れるかってことがいいたいんだけど。(アールブリュットは触れやすいから厄介なんだとかそうゆうことじゃなくね。まー近いけど)


人やモノによっては、どこまでも深く深く入り込んでも底なんてなかったりするから、大概は恐怖や諦めや体力(精神力)不足によって入り込むことはしないんだけれども、人やモノによっては向こうから落とし込んでくるものもある。(自分の場合クレーの絵がそうなんだけど)

入り込んでいるんじゃないってことに気がついたのは、明らかに向こうからこちら側を考察されているからで、要するに一方的に入り込むのはある程度までの話でどっかからかこちらも入り込ませなければなりたっていないわけ。

だからこっちの深さなんて落ちても怪我しない程度にしか掘られてないから、あちらの理解もそこで止まる。

現実的な話(民主的な話にしよう)人間関係もそうでしょ?


人やモノが生き物だってことを忘れてたわけです。(気がついた)


無意識共有以降、どうも軟派になっていた自分や人やモノへの諦めも、見当違いもいいとこです。


人に触れるときの考え方に誰かさんからの影響があったんでしょうね。どんどん自分はめんどくさい性格になっていくんだろうなと考えて、それ自体が面倒で。


ダメだ、残念な頭で整理がつかないので、方向性を見失いました。


こうゆう媒体は逃げれるから楽だ。(だから続くのか・・)

おしまい。




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昨晩はユウコウ君 に誘われ新宿loftへ。ユウコウ君つながりでmajikick よりsecai の2人と会ったり。(NSDとDASMAN) のちのちもう少し静かなところで話しましょう笑。


イベント内容はともかくDJ HIDE やKODAMA AND THE DUB STATION BANDなんかが出てるから煙たい感じなんだとおもったらそうでもない。もっと純粋なイベントで、ひねくれモノにはどうにもし難い感じの。


KODAMA BANDを始めて生で聴いて、DUBなんてまともに聴いてないなと思いながら、DELAYの事を考えていた。本来隙間だらけの音がDELAYとECHO(何台エフェクター使っていたんだろうか、かなり種類の違う残響が残っていたけど)によって一瞬の隙間もなくなっている。永遠と少し前の言ってみれば過去の音がついて来る。ついて来る頃には今出てる音と重なって新しい音のようにも聴こえるし、それにまたDELAYがかかる。そんなことを繰り返しながら決して実験的ではない、どこかで聴いた曲のカバーなんかを何曲も演る。20年もDUBをやっているらしい。DELAYも方法として捉えてないから音に馴染んでいる。


自分はスクラッチにDELAYを多様するけども(ないとやってらんない)、あんなにうまく馴染んでるだろうか?なんて考える。6~7年も同じ事してるんだから(長いな・・・うまくなってないじゃないか)馴染んでてほしいんだけど。


今のmix早く終わらせて(一応、形としてcdに収まるサイズにして・・・dvdに入れようかな笑)次、残響を意識(無意識がいいんだけど)したものにしようと思った。(考えただけで長ったらしい)


昨日はイベントよりも上記の人に会えたのがよかった。

ユウコウ君mixありがとう。NSDさんCDありがとう。今から聴いてみます。今度納得いくのがあれば持って行きますね。


朝4時頃、いる意味がなくなった箱から一人早めにでて歌舞伎町を歩く。

この街の朝はなんでもかんでもいる。夜な夜な体力を使い果たしたその辺のホストや異邦人や売女や学生や無職やアーティスト?や帰り遅れた昼の人。

同じ仕事帰りでも、6時の新橋とはまったく違った風景。

まだこっちのほうが綺麗に見えたり。


人は少ないから案外すっきりしてるし、以外と空気が綺麗なんじゃないかと錯覚してみたり。帰り遅れた昼の人だけは結局場に馴染めず、朝から嫌な目つきをしているようだ。

昼の鬱憤が歌舞伎町に溜まるんだろうけど、それを受け入れてるんだからボッタクリくらいで文句言わないで欲しい。

いかがわしいのは歌舞伎町の人等じゃなくて、掃き溜め扱いの昼の連中だ。もっとボッタくろう。


昼の人。昼に溜めた鬱憤は本来、金にもならないほど無意味なんだけれど、鬱憤を金で払えるところがあるだけ、マシだと思えばいい。

朝からあんな顔しなさんな。男も女も。





audio active

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t3et

そんなバンドいたなーなんてタイトルを見ながら思う。


例のポスターデザインの納涼会?なる歓送迎会に連れて行かれた。でかいホールに500人くらいいる。

こんだけいるんだから、誰かさんが言った通りさっさと逃げてしまおうなどと考えていると、なにやら様子がおかしい。

見知らぬ老若男女が「鈴木さんですね」などと挨拶をしてくる。(誰だ?)

どうやら歓迎されているのは自分1人ということだ。送迎は20人くらいいるのに・・・。



ステージで挨拶・・・・。

緊張する間もなく、義務的にわりと長めにウダウダと挨拶。いつからこんなに無責任に人前で話すようになったんだろうか。500人中3人くらいの視線を感じながら終了。ありがとう3人。


なにやら普段食わないような豪華な料理は意外とマズイ。

ふらふらしているとその都度いろんな人が話しかけて来る。「何歳だとか」「何モンだとか」「どうだこうだとか」。

その場その場で酒が注がれる。

そんな酒でも酒は美味い。酒は悪くないのだ。

「酒がまずくなる」などというがそんなわけない。

普段の鬱憤を酒で流すような真似はしないことは、10代で教わったことだ。


注がれた酒を無理のせずスイスイ飲むが酔いなどまわらない。

もしかしたら酒に酔うのではなくて~に酔っているのではないか・・・と普段も思うほどアルコールは効かない。母の遺伝とばーちゃんの影響なのか。


隙をみて、こっそり会を逃げ出し秋葉原へ。

目的は夜までやっているヨドバシのオーディオコーナーだ。


最近cdプレイヤーを自らの足で壊し、分解したまま家にホッタラカシなのだ。(原因はわかったが手におえず)

業務用の堅苦しい堅牢なcdプレイヤーだった彼はあまりにあっさり壊れた。

前の職場から頂いたこれまた業務用のプレイヤーがあるがcd-rの読み込みが苦手なので変わりにはならない。

cdプレイヤーというのは、オーディオの中でも愛着がまったくわかない部類の機材である。

こだわってあんなに結果が見えないものもないし、そもそもcdだ。

24bit変換のDAがついているものもあるが、もとは16bit。どうも納得がいかない変換である。ないものがあるというんだから。

こうなると見た目で決まってくるのだけれど、どうも彼らはシンプルである。個性に欠ける媒体なのだ。

regaとかキワモノもあるけども。

この際ampにあわせてcecのものにしようと思う。

オーディオ雑誌でもこの組み合わせを素人には薦めるであろうなんて事のない組み合わせだ。

1日と愛着がわかないだろう。


「また欲しいものが増えたね」


なんてことを言うんだと思った。笑



理解されてしまった。

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想像がモノとして完結するから、自分なんかはそれに触れることができるんだけど、その形にでしかなくなったモノに無責任さを感じさせられました。

今、美術手帖の最近のヤツをパラパラ読んでてあまりにイライラして。嫉妬とも違う。

そもそも紙面上の構成がいらつかせるのか、作品の横に作者の写真なんかが載っている。

まるでファッション雑誌で街中の人間の写真を見せられているようなのです。


芸術に限って、その作品がその人でなければならないということはまったくない。

見たいのは作品でもお前の顔でも解説でもなくて、過程なのだし。(こと自分に限っては)

想像は具現化するものではないはずである。ここでいう具現は完結に値するのかな。


本に登場した彼らは同世代から30くらいの新世代なんていわれる人達だ。

14歳の林俊作 なんかもいる。(この子のは真剣じゃないからok。)


例の新世代は自分なんかと似たような事を思考していて、そんなんで作品にして完結させるからイライラするわけだ。


芸術は理解できたら科学と同じことでしかない。

社会や政治批判、あんたらの精神世界なんかの表現がしたい(もしくは反動)なら、うんざりだ。

そんな方向性で作品作るなら、会社員の労働デモとなんら変わりない。


「残念ながら、その思想は俺なんかにも理解されていて、とても共感なんてできないほど組み立てがなってなくて結局、結果も何も残さない諦めで完結した作品」なわけです。


芸術は思想ではないから、評価されたのは、芸術ではなくて、もしかしたら作品の横に載っていた顔の写真や雰囲気や技術や解説かもしれないわけです。






蔵の住人

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ff


今日はリニューアルしたicc に行ってきた。


方針や方向性はおそらく変わっていってしまっているというか、流行りのオープンなんて言葉が建物のいたるところに見られた。

nttの出資のもと無料開放の施設として意義のある活動を。以前のインデペンデント感は目指すところではないのだろうけど、ボランティア的の表面性ばかりが浮き彫りになっている他施設のようにはなってほしくないのが皆の願うところだ。


今日の目的は、


北野宏明 (情報処理推進機構 未踏ソフトウェア創造事業プロジェクトマネージャー)
茂木健一郎 (ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー,脳科学者)
遠藤拓己(《Project Phonethica Installation "Rondo"》出品作家)
徳井直生 (《Project Phonethica Installation "Rondo"》出品作家)
永野哲久(《Monalisa: 音の影》出品作家)
城一裕 (《Monalisa: 音の影》出品作家)
ドミニク・チェン(ICC研究員)

が参加したシンポジウム。


開始時間の16時にギリギリ間に合い、会場にはいると円形のステージを囲む形で観覧車席が設けられている。


一番前の席が空いていたため、そこに座るとシンポジウムはすぐにはじまった。

興味はドミニク・チェンと徳井直生。(ドミニク・チェンはヤバイicc研究員)

城さんという人がサインウェーブオーケストラのメンバーということで、これまた興味をそそる。


要はなに話してるかっていうと、それぞれ開発中ソフトウェアの話。


とりあえず大雑把にmonalisa


簡単にいうと、画像を音に、音を画像に変換できるプラグイン。簡単にいったがそれ以下でもそれ以上でもない。
皆が持っている写真をpcに取り込んでそれを素材に音ができるエキサイティングな変換ツール。

人間は視覚的イメージで音楽を想像したりすることもあるが、これはそうゆう類の考え方ではなくて、もっと技術的。
ビット変換なので、有機的なものではない音が発せられること多いらしい。
例えば同じ場所の滝の画像があったとしても光や色の微小な違いが生じるので、変換した際の音は違う。
精巧なコピーですらビット処理ならば結果は若干変わってくるだろう。


永野哲久氏が開発中に知り合いにアイディアの相談したところ、「photoshopが音楽作成ツールになるね」なんてことを言われたようだ。


変換作業は一聴すると、ランダムのように感じるが、やはり類似しているビットの羅列でできた画像は同じではなくても似たところがあるらしい。
1000回も変換しているとその類似性はわかってくるらしい。

フリーで配布しているので、興味をもったらダウンロードしてみればいいのだが、残念ながらmac os10.3とhigherのみの対応である。


自分はxpなので、簡単には使用することができなそうだ。(dos vでmac osを稼動させることも可能だと書いてあった本があったが、os自体嫌いなのだからそこまでしないだろう)



もう一つ。
phonethica system


遠藤拓己と徳井直生の作品。このシステムはおそらく彼らのなかでやりたいことの10%もまだ完成していない状態で本人達が自らの技術力と既存ネットワークの限界を感じていたのが逆の将来性を感じた。


これは説明に誤解を孕む可能性があるソフトなのでコピペします。


Phonethica Systemは,世界のあらゆる言語の間を飛び越え,音声的に近似の言葉を探し出します.探し出された言葉は,同時にそれぞれの背景情報と結びつけられ,人々は音声の偶然の一致をきっかけに,これまで知らなかった様々な情報と接することができます.

たとえば,日本語の「平和」という単語を例にすると,オランダ語で“heimwee”(ヘイムワ)があり,「ホームシック・郷愁」という意味となります.さらに,英語の“haywire”(ヘイワイア)は「混乱した」という意味です. 作者である遠藤と徳井は,2005年現在で5000種とも6000種ともいわれる地球上の言語の50%から90%が,今世紀中にも消滅するという観測に注目し,言語の音声的な特質を媒介にして,世界の多様性を探ることを試みています.


うーん。わかりやすいようなそうでないような。


本人達は地球上の文化の多様性が失われていることの危険性を根底においてこのシステムを開発しているようです。
先に書いたネットワークの限界というのは、主にインターネットの事で、単純に6000種類存在する言語を調べることができないのです。それに発音トーンなどの解説がなされている辞書のようなものは10国も存在しないそうです。


正直今の環境では本人達の想像するシステムをつくることは難しいようです。


自分はこのソフトの説明を聞いたとき、矛盾点を感じました。
例えばシステムが完璧にできあがり、6000種の言語を持つそれぞれに人種にこのシステムが行き渡ったとして、世界の多様性を知ることにはなるでしょう。
ただ、知ることは失うことでもあります。(吸収といえば響きはいいが、そんないいもんにも思えないので)
他の文化を知ったとき、人は無意識に類似してきてしまうものです。もちろん受け入れられない文化もありますが、一方がその文化を知ることで消滅させることも可能な小さい文化もあります。

知ることで類似してくる。


流行りのグローバルコミュニケーションは、互いの文化に触れているようで、オリジナル文化の損失でしかないのです。一文化である音楽がそうであるように。
もちろん音楽同様、新しいものができたりするとおもいますが、音楽ほど安易なものになってほしくはないものです。


皆そうだと思うのだけれど、新しい文化に触れることは刺激的なことです。新しい人でさえそうなのですから。


インターネットによる情報に均一化は、異質な人間を少なくしています。
情報の捉え方が変わってきてるんですね。
簡単にいうと情報を自分の中に溜め込むのではなく、ネットワーク上に置いてあるものだという認識がでてきているので、個人が持つ情報の価値がなくなったわけです。
高校の頃はcdのライナーでも見ない限りアーティストの事などわからなかったわけですから、もう買うしかないわけです。(音楽だけの狭い話ですが・・・)
音楽が好きなおっさんの話を聞いているとやはり記憶のなかにしっかりあるからスラスラ話しだすわけですね。
ここのブログでいう湯島さんがそうであるように・・・。

自分はそうところに憧れているので、個人のもつ情報に価値がない現在でも溜め込みたいという衝動があるわけです。


マシンによるアーカイビィングは無意味だと以前i podかなんかの記事を書いたときにいいまくったわけですが、個人によるアーカイビィングはそれぞれのフィルターと通すことになるので、違うものになるんですね。
まー、一般個人のもつ情報が金にならない時代だということは重々承知してますが。

「これはこうらしいぜ」なんて話が、そいつのフィルターを通ってないときなんかは最悪につまらない話になってしまうのは皆さん承知のように。
自分はこうゆうつまらない話をさけるがゆえに、こんな偏屈で文句しか言わないフィルターを持つようになったのだとおもうし、そのフィルターを一緒に作ったのは、岩手の蔵の住人であることも知っている。
なんなら二人でフィルターバンク のような極悪エフェクターになりたいものだ。(ん、中原昌也 みたくはなりたくないぞ・・・、菊池成孔 になるのだ。なんの話だ。)