古本

テーマ:

もう半年くらい言っているのではないだろうか。ソファーがほしいのである。

今日はソファーを買いに友人を誘い目黒の家具屋があつまる通りに行って来た。

モノさえあればいつでも買う用意はできているのだ。

1ヶ月前くらいに宇都宮で購買意欲をそそられるソファーに遭遇したのだけれど、東京には配送しないと断固として断られてしまった。宇都宮以外の人間は2tトラックでも乗っていかないと買えないという不親切さだ。


今年は街に出るたびに家具屋など覗いてはみてしているのだけれど、どうもしっくりこない。

欲しいのは足が伸ばせるカウチタイプのものなのだけれど、店内でも場所をとる為か、中型店舗に置いていればいいほうなのである。

1店舗の1ソファー。

これまではなかなかいいものが見つかるわけはない。

近くに大型のikeaというスウェーデンからきた参入してきたインテリアショップが4月にできたのだが、そこでもみつからなかった。

横浜のワールドポーターズに大量にあることはわかっているものの、横浜にいた床屋が田舎に帰ったのでなかなか足が向かないのである。

行ってみつからないことを考えると横浜などなにかのついででもない限り行くことはないのだ。


netでは目新しいものはあるのだけれど、なんせ座ることができない。

身体に触れるものを触れずに買うなんてギャンブルはできないし、自分はギャンブルは嫌いなのだ。(うるさい、汚い、臭いなどの要素が日本のギャンブルには染み付いている)


いつかみつかるまで待つしかないのか。オーダーなんて面倒な事もしたくないし、高くつくだろうし。


こんな話はもういい。


ソファーみた帰りにレコード屋に寄って、dillの新作とjuana molinaの4枚目を購入。

聴きたい中古盤がみつからなかったので(少し前なら無理してもみつけてたんだけど、いい加減いらない音楽は持ちたくないのだ。家にある20分の1はいらない音楽なのだから)


地元について古本屋にも寄る。

今日もおっさんは汚い格好で汚い本に囲まれ何やらグットミュージックを弾いている。いらっしゃいのど言ったためしがない。とても落ち着く古本屋だ。(落ち着きはあるが、1000本に1冊くらいしか興味のそそる本はない。

今日は山下洋介の「ピアニストを2度笑え」がなんと900円で見つかる。神保町なんかじゃ廃盤価格で5000円とか平気でつける店もあるというのに、当時の定価のままである。

あと前にも書いたが毛嫌いしていた村上龍さんの文庫を2冊で400円ほどで買う。

どうやら龍さんは菊池成孔と同じ匂いがするのである。5冊読んでまだ嫌いだけど。(買ってしまうのだからどこかで気になってしまうのだろうけど、龍さんにはイライラさせられる。おそらくコンプレックスなのだけど。

何よりもコンプレックスが生甲斐につながっているから、やばい人どんどん見ないと終わってしまうわけです。

勝手なこというと荒俣宏とか立花隆なんてコンプレックスでできたようなもんだ。河童も中原もそうか笑。



3冊で1300円。

本屋のおっさんはいつも財布からお釣りをだす。

小銭が

財布になく、1万円だすと、「あるかなー」なんて言って財布の札入れから1000の束をだし数えだす。

「6000円しかないやーハハハ」なんて笑っている。

おそらくこの店に現在6000円しかないのである。


「じゃあ向かいのスーパーで買い物してからきますよ」なんていうと。


なんとおっさん


「いいよ」


一瞬スーパーに行ってきていいよ、というふうにもとらえれるが、おっさんの発音ではお金はいいよということらしい。

「いいの?」と聞き返す。

「今日はもう閉店だから」とおっさん。


素敵な理由である。


3冊の本とおっさんの愛がタダで手に入ってしまったのだ。

おっさんになにかお礼をと考えるもおっさんの痩せた姿を見ると食べ物がいいのでは・・・なんて失礼なイメージをもったりする。


食べ物にしよう。


3冊の本とおっさんの愛を握り締めながら、三鷹にいた頃よく言った古本屋を思い出す。

上々堂 である。1年前にもここに書いたが、35くらいの秋吉久美子が言う雰囲気美人みたいな女性のお店である。

リッキーリージョーンズなんかがよく流れていて、他にはない雰囲気である。

ここの人も美人とはいえ、やはり変な人で、一度留守番させられた時がある。

お昼頃に店に入ったのだが、どうも女性美人がチラチラこっちをみているのがわかる。30分くらいそんな感じで気でもあるのかなんておもったりなんかしていると、「あのー」なんて声がかかる。

「まだお店いますか?」


意味深である。


「いますよ」なんていうと。


「お昼を食べてくるのでお留守番してもらえますか?」


「・・・・・・いいですよ」


30分くらいお留守番である。その間一人主婦が入ってくてレジで店員を探している様子だったので、「お昼みたいです」なんて伝える。なにをしているのだ。


古本屋になる人間はこうでなければいけない。


35までにこうゆうレコード屋をしたいものなのだけれど、割と商売しちゃうんだろうなと自分の性分をみて思う。

AD

困憊

テーマ:

最近毛嫌いしていた村上龍さんをまとめ買いして、少しづつ読んでいて書きたいことがいっぱいあるんですが、時間がもったいないので、またあとで書きます。

おやすみなさい。

身体がおっつかなくなってきた笑。

AD

mix

テーマ:

今日は一日使ってmixcdをつくった。

mixcdを作るときは普段一発録りが多いのだけれど、それはリズムと勢いに頼ったもので、前に録ったものを聴いているとなんだか疲れてしまった。

mixの目的は人によって様々で、ある音楽を再構築する人、踊り狂わせたい人。いろいろだとおもう。

もともと高校の頃に、あまり知らない先輩がターンテーブルを売りたがって買い手を捜しているという友人の話を聴いて、なんとなく始めたわけだけれど、もとはrock少年。

田舎なので、あの先輩ターンテーブルをもっているらしいよ。なんて話にもなるし、一つ上の世代で3人と同世代で2人が所有しているのがすぐにわかった。多分ホント周辺の市の人間で20人ももっていなかったんじゃないかという話だ。クラブもないし。

周辺の話をうわさで聞いていると、どうやら20人にみたないのではないか田舎疎外DJsは、くだらないhiphopや洒落ただけのhouseをやっているという話だった。

そんな話を横目に、今年結婚した同士とともに懸命に好きなrockをつなぎまくっていた。2人だけで高価な廃盤なんか買って・・・。(あれは田舎価格なのだということはあとになってわかったことだが・・・)

ほとんどラジオ状態である。

あるとき仙台にロンドンナイトが来たので遊びにいってみると、大貫さんや、ARATAや稲葉さん、HIKARU

なんかがほとんど同じ事をやっていた。

MIXとかじゃないわけ。テクニックってなに?ってかんじで。

ただかっこいい。

これでいいんだってすっきりした。


専門で東京に来ていろんなレコ屋に言って、いろんな音楽聴いて、結局想像がつかないむずかしい音楽が好きで、でもターンテーブルや機材があって。

たまに思うのが単調な音楽が好きだったらmixでこんなに悩んでないのかななんて思うわけです。


いまはjazzや変拍子やグチャグチャな音楽やノンリズムが好きだったりするから構成考えないとまとまんないわけです。

イベントやるときも必ずおおまかなset組んで客の反応なんて鼻から気にしてない。

だれか一人でも脳内ゆらせたりできて、終わったあと話しかけられたりなんかすれば、100人が無視しても満足なのだ。


だめだ!!サッカーはじまった!!がんばれ日本!!

この話は次回に続かないとおもう。

AD

まとめ

テーマ:

今日は例のランニングとタバコを買いに行き裸体の走る女をみた時以外は外にでず、曲を作っていました。

今になって思うことが、その間の記憶がかなり薄い事です。

一人だと人は考えることをするのが自然であって、自分自身も例外ではなく、なんとなくいろんなことを考えながら曲をループさせていたわけですが、たいして記憶に残らないんです。

感じた記憶よりも先週、人と話した記憶のほうが新しさすら感じます。

記憶だけに留まらず、自分の考えというのも大体が人との会話や出来事から根付いていることもわかります。(もちろん会話した後で、考え直し整理はしますが)


なんとなく人との会話が自己形成にはつながっているんだなと思わされただけです。


裸族

テーマ:

ついさっきブログを書き終え、これから作るmixcdの為に小雨の中、レアルマドリッドのユニフォームでタバコをまとめ買いしてくる。(mixを作り出すと永遠タバコを吸っているのだ。)


すると、向こうからダッシュで走ってくる人がいる。いつだったか書いた斑点少年に続き、今度は上半心裸体ダッシュ女である。

一様胸元を隠し不自然な姿勢で髪を振り乱しながら走っている。

事件か罰ゲームか。

気にはなるが上半心裸体ダッシュ女を追いかければこちらに問題がでてくる。

こうゆう時いつもバロウズの言葉が思い浮かぶ。「面倒な出来事には自ら身を投じています」。

バロウズなら追いかけていたに違いない。


上半心裸の女を外で見たのは2回目である。

中学の時、朝学校に行く途中にそれはいたのだ。


run

テーマ:

今日は休日なのに目覚めが早いのは習慣からでしょう。2時に寝て5時に起きてしまい、2度寝は悪という考えを持っている為そのまま起きてた。

それにしても朝は何をするにも不自然すぎる。

音楽を聴くのも、本を読むのも、pcに向かい曲作るも、週末中に作らねばならない(約束した)mixcdも。

朝に似合う趣味をもっていないのだ。

とりあえず朝一でやることがない。(やりたいことは上記のようにたくさんあるが、とてもじゃないのだ。)

これではいかんと、パジャマがわりのアディダスのジャージ(オールドスクールスタイル?)のままランニングにでる。

土曜の朝5時。

どこも走っても誰もいない。

雨あがりでの為か湿度が高く、呼吸の邪魔をする。ただでさえ日々走りこんでいるわけではないので、すぐに疲れてしまう。


歩くか・・・・。


いや、歩いたらいかん。


誰もいないが原因なのか、かなり集中しながら走っているのがわかる。

なんか懐かしいな、なんて思い返してみるとこの集中の感覚は中学の頃のものだ。

サッカーの練習を終え、バーちゃんの家に行き飯を食い、夜中に家に帰る。家間はかなり近いのだが、わざと遠回りして走って帰る。田舎は夜誰もいない。


走るとこに集中しているんではなくて、なにか考えていることに集中しているのだ。

一定のリズムと呼吸法は、瞑想に通ずるものがあるのかもしれない。

ただ走りながら考えていたのは自分の事でもなんでもなくて、坂本龍一のことだ。

教授は最近エコロジーとエロティシズムを結びつけた出版物を考えていると書いていたのを思い出していたのだ。


エコとエロ。


どちらも根底にあるものだというし、野郎に関心を向けさせるのはエロが必要なのだそうだ。

教授のエロは澁澤龍彦エロと似たものになると想像して、くだらない雑誌ができるなーとかかんがえていた。

エロで野郎の関心を・・・・。教授はこの国が相当バカになっていると日々言っているが、このバカに仕方もすごい。

内容は違えど、週刊漫画と発想が同じではないか。(週刊漫画を平気で持ち歩いてる人を見かけるが、よくできると思う。小中高と週刊漫画を読んでいるヤツは性格的バカばっかりだった為か、週刊漫画に嫌悪すら感じるのだ。別に漫画が嫌いなわけじゃなくて、本屋で真っ先に週刊漫画に手が伸びているヤツが嫌いなのだ。週刊漫画の常用という題で長いものが書けるほど嫌いだ。()内があまりにも週刊漫画を嫌うがゆえに長くなっているのでもうやめます。)

週刊漫画層がエコに興味をもったら・・・・・あっ!、そういえば週刊漫画はリサイクルの固まりではないか、悪質な紙で作られ、誰かがそれを買う、学校でまわし読みされて、誰かが帰りの電車に置いてくる、ホームレスが次の日半額でそれを売る。誰かが買う、ゴミにすてる。ホームレスがそれを売る。ホームレスは売れ残った週刊漫画を業者に持っていく、業者はリサイクルし次の週の週刊漫画が悪質な紙で出来上がる。

あいつら週刊漫画に対してはエコなのである。

しかしそもそもあんなものはネット配信でもしとけばいいのだ。


個人的に環境問題にはあまり興味がわかないし、「興味」なんて言っている時点でだいぶ軽くみているのがわかる。結局直接的に降りかかっていることにも気がつけていない。

すべての行動が環境問題につながるシステムの中にいてエコロジーを託されている。

結局オレは何もしていないから、ほっといてくれという具合なのである。


それにしても不思議なものだ。

もともと地球上にあるもののみ(例外も多々あるが)で構成されたシステムや物体が環境破壊につながっているのはいうまでもないのだけれど、そもそもは地球上の中の話。開発や実験、進歩が破壊につながっているのでしょうか?そしたら人間も対したもんだ。地球の内部のみで地球を破壊しているんだから。

ほとんどウイルスだな。

人間が住めなくなった地球は微生物が支配するそうです。なんかで読みました。

地球まもるより、火星開発を薦めるほうが人間にはお似合いだとおもうんだけれど。






icc

テーマ:

icc が帰ってきたようです。

はじめからあそこなくすほうがおかしかったのだ。

あるべき方向に物事が進むこともあるようです。後は1年間だけあったラフ・トレードが復活すれば東京にいる意味がふえるのだけども・・・・。

今週末

テーマ:
ff

有言実行なんて堅実なタイプではなく、その場の雰囲気にあわせる臨機応変な感覚も持っていない自分は、どっちつかずな自分に悩むでもなく、散乱した方向性がさらに押し進まればいいのだと思っています。


よって前回のカルティエ財団の展示会についての続きなど、あまり書く気がない今があります。

忘れっぽいので物事を伝えるのは、その時か早いほうがリアルなのです。


今日は昨日家にきた友人と買い物にでることに。

ここのところ、中学生の時に世を賑わしていたドメスティクブランドに目がいってなりません。

もともと音楽より服が好きだった自分は、自分で作ったりなんかしていました。

ギャルソンの川久保さんやyoji yamamotoに憧れるその辺にいる服好きの田舎もの学生なわけです。

学校の成績が中の下くらいの成績だった自分は一度服好きの先生がもっているギャルソンのシャツを賭けて約180人中15位になった時があります。これはこのときの自分にとっては脅威の数字なわけで、もちろんそのシャツを手にいれたわけです。(後にわけのわからないカスタムをされてしまったのですが)

しかしそんなもん中学生や高校生が着ても似合わないわけで、四苦八苦しているうちに5~6年経っているわけです。

実家に眠っていたその辺に買っていた服を捨てるという親父の暴動を抑えて取り合えずまとめて送ってもらったりなんかしているうちに、つい服熱がはいってしまい、netで記憶にあるだけのブランドを調べまくり、一点一点みていると、なんていうか忘れていた感覚が思い起こされるという感じになったわけです。

今回のワールドカップの影響もこうゆう形で現れているようで、観ることよりも、「あの時のサッカーがしたいなー」なんていう思いが復活するんです。

サッカーしてた人は皆そうでしょう。その時期と服好きの時期が重なっているので、とても繋がりのいいノスタルジーというわけです。


ところ




服というのは、性別が関連してきますね。

メンズ、レディース。(表面的にはありますが事実上ユニセックスなんてもんは存在しません形の問題です。)

やったことはないですが高校1年生くらいの自分ならスカートはいて田舎町をあるくなんて親不孝もできたように思います。(高校生の頃、好きな女性にスカートを作ってあげたこともあります。なんだかメルヘンで気持ち悪いですが、ハードな音楽やグチャグチャな音楽を好んで聴いておる今より男らしい男です。)

それを作っているときに思ったのがレディースのほうが圧倒的に全体やディティールを好き勝手できるんです。

その結果、世のレディースの服は美しく、清楚なわけです。

素材や色にしても同じ事で、中間色ややさしい色を平気で扱えるわけです。

まれにそうゆうメンズもいますが、大概気持ちが悪いものです。(北欧とフランス人男性くらいは許されるかもしれませんが。)


yojiやギャルソンにしても目がいくのはレディースばかりで、メンズサイドはなぜか型があるんです。

これは消費とか観念とかそうゆう問題ではないのだとおもっていましたが、どうもそうゆうことではないようです。

これは単に、いくらいかれたデザイナーでもやってこなかったという事実がありますから、結果的に芸術になりえないということなんでしょう。

ハウスにjazzのっけて、互いの要素を壊しあってるみたいなものなんです。


レディースに嫉妬をし続けなければならないわけです。





まー嫉妬しながら服屋を軽くめぐるとやはり欲しい服は存在しないわけです。

どうしてもワードロープとしての服ばかり買ってしまい、あまりおもしろくないわけですね。

コーディネイトうんぬんの前にその服自体に意味がないと興奮しないわけです。(コーディネイトがすべてなわけだけれども・・・。)


煮え切らない思いを胸に、外を歩くと「この辺のオーディオ屋に前行ったよねー」なんていう友人の挑発である。

今年、車を買ってしまおうと思って貯めている金が下手にあるのでかなり危ない挑発である。

中古ならmcintoshのampが買えてしまうのでは・・・・。という思いを胸に静かなオーディオショップの中に。

音のならない店内を奥に進むとmc252 の中古が現れる・・・。

この青光を見ただけで、気分が高揚してやまないのだ。


と!


店の親父をその様子に気がついたのか目の前にあるJBL4344から生生しいデクスターゴードンが流れる!!

ff

しかもmc252のgeinが振れている。

これは自分が30歳までにしたいオーディオライフを見ている(聴いている)わけなのです。

最近家のJBL4312に飽きてしまっている時のこれである。

本当に心臓の動きが激しくなっている。

オーディオ屋の親父はいつもなにも言わない。それはこちら側がガキの為、冷やかしに見えるからかもしれないが、自分の解釈では、きっとオーディオ屋の親父も若い頃からオーディオファンなわけで、若い層にいい音を聴かせたいという想いがあっての行動なのだ。

うるさいオーディオファンはあまりいないように思う。(ちくちく細かい小さい神経のことはいうが)


その後、興奮を胸になんとかオーディオ屋に背を向ける。

ダメだ、あれは早いうちに買ってしまおう。若いうちに好きなもん買えるのは一人身の強みだということが最近の結婚ブームから見てとれるのだ。(モノに執着する弱みか・・・)


その後いつもどうりレコ屋へ。

物欲の興奮が入り混じり、その力をレコードに発散。


何枚か買ったうちの一つ。坪口昌恭が中心となったMasayasu Tzboguchi trio のアルバム「radio-

acoustique」が今まさに、5回はリピートされている。

坪口昌恭は前にも書いたけど、我が心の師匠、菊池成孔先生の相方?だ。

音楽的に好きなのは、坪口昌恭のほうなのだ。(成ちゃんごめん)


これが、ヤバイ。

judee sill買って依頼、音楽にピンときていなかっただけに、これはかなりうれしい。

ばっちり、今聴きたい音楽にはまってしまって気持ちが悪いし、あっ、あったんだ、こうゆうのって。って感じ。

jazzサンプリングでやろうとしてたことを数倍の感覚でやられてしまった感じで、嫉妬の連続。

脳内グチャグチャなのである。

聴いてみるといいと思う。


なんだか長くなっているのでそろそろやめときます。

今週末は不思議な人とも会えて充実していました。お土産ありがとう。




カルティエ

テーマ:

時間があってので、現代美術館にカルティエ現代美術財団展 を観にいく。

カルティエ財団とは、要は現代美術を収集、依頼作成させたり、本を出版したりしてる芸術の支援団体。

個々の作品の集合だったため、観覧するのはとても体力がいるタイプの展示会だ。

作品それぞれの思想がもちろん変わってくる為、こうゆう展示会はどうしても、深くみることができない。


とりあえず友人がきたので続きは明日にでも。


趣味の話

テーマ:

2ヶ月前くらいから、職場環境が変わり新しく接する人も増えているわけですが、自分の考え方として、あまり人に興味をもたないところがあります。(あまりないのです。)

2ヶ月もいると向こうから話題をふって来るわけです。

いままで積もった生返事と仕事はストイックに取り組む姿勢が、向こうに不信感と疑念感を与えているのは間違いなく、体育会系の上司もインテリな上司も同世代も、割と慎重に話を振ってくるのが見て取れます。

ワールドカップの話、最近の事件、仕事の話。

どれもそこそこ知っていることなので、会話にはなるんですが、一切テンションを上げないのが可愛げがないのでしょう。



こないだ大きい仕事で皆で泊まる機会があったのですが、ついにきたのです。

「鈴木君は何が好きなの?」

身近な課長からの質問でした。


周りの視線が集まるのを感じました。確実に。

これはヤバイ。

こうゆうのは苦手なのです。

この心境は社会にでたオタクの心境となんら変わりがない悲惨な事態に今自分がなってしまっていることに気がついたわけです。

しかもなんに対してもしてもオタクではない。


皆が寝る時間を惜しんで取り組んでいるとこ。

株、ダーツ、サッカー、車、子供、酒、風俗、ファッション。

皆、聞いているとそれなりに玄人なのです。


この場でなにを言うかによって今後の身のフリが変わってきます。


ただつい最近書いたコンプレックスはなにもこうゆう時に感じるものではないのです。

少し酒がまわっていたのもあって、そのままを言ってみました。

「音楽と本と芸術です。」


「・・・・・・」

すこし間があいて。

「どんな音楽?」と社員が声をダブらせて聴いて来ます。


やばい。


人間はナゼうまれてきたんですか?よりも遥かに返答に困る質問。

宗教的な質問は、大体固まってきたので聞かれれば答えるのですが、まず聞かれません。

そもそもミュージシャンの名前をあまり覚えず、一つ一つに思い入れのないのに、音楽を愛する自分にとっえは荷が重過ぎる質問です。

共有する気もないので、音楽の話だけは自我丸出しで話さないといけないわけです。

執着が無意味な事はわかっていて、それが音楽の内面にたどり着けない要素なのもわかっているんですが、これだけはまだ捨てきれない執着なのです。

前世からのカルマなもので。

自分の前世は夢で見る限り、まだ場所はわからないのですが、豪雪地帯でなにか鳥を獲る仕事をしていて、レンガの家に一人暮らしをする老人なのです。彼の家にバグパイプがあるところをみるとスコットランドを想像するのですが、どうやらそうではないのではないかというのは、スコットランド民謡を何枚か聴いてみて思うことです。

ようはグッとこないのです。

夢でみる彼が聴いている音楽は陽気なものもあれば、悲しげなものもあります。

なにかわからないのですが。


と、まーそんなことを口に出してもしょうがないので、困っていると。

社員の一人が私のバックからでているヘッドホンをみて「何はいってるの?」と一言。

出てきたのはi pod ではなくcdプレイヤーと厚めのcdフォルダーという事態がまさか非国民的視線にまでになっているとは思いもせず、取り出す。

ここでオーディオ談議。

mp3方式についての話になり、脱線。

この辺は皆技術者なので理解があるが、利便性をとらないほうが非国民という技術者的解釈で終わる。

部長がオーディオファンで道が開けたかに見えたが「jblは嫌いだ」と自らの地位と年齢をちらつかせられながらの発言に押し黙る。


話づれーなー。



cdフォルダーの中身である。

仕事場に行きながらの音楽ということなのかはわからないが、自然と勉強のつもりで聴いているcdばかりでてくる。

武満徹、ジョセフ・バード、一柳トシ(変換してもでなかったのでカタカナですいません)、ジャン・ジャック・ペリー、矢野顕子、アートオブノイズ、オスカー・サラ、バド・パウエル、シュトック・ハウゼン、レッド・ガーランド、この辺からは別に勉強もなにもないのですが、東京ザヴィヌルバッハ(これはいつも聴いてる)、jamiroquai(友からのコピー)、subtle、azzurro、カニエウエスト(きいとかないと・・)、フェネス(これも友のコピー)、ドアーズ(これもコピー)、leafcutter john(これはいいですよ。ゆるいアシッドフォークの傑作!!みたいなライナーがお似合い)、calexico など等あとはpostロック中心なフォルダー。


一見みてわからないフォルダーはどこにでも存在するもので、フーン知らない。みたいな空気もつかの間。

少し変なフォルダーなのです。

現代音楽とjazzのあたりの勉強中のcdにはメモと記事が挟まれているのですから。

とくに武満徹は最近の展示会といい芸術新潮といい、別冊本ができてしまいそうです。


まー音楽が好きなのはわかっていただけて、今までの半生をこれにさいてしまっている為に一般常識に乏しいという事実も理解していただいた様子。


この話をした収穫としては2つ上にロックにめちゃくちゃ詳しい人がいることを発見できたこと。

残念ながら話の話題がプログレになるのは寂しい。


音楽の捕らえ方変えるには自分でやるのが手っ取りばやいんだろうなと思いながら、変な音楽ファイルが今日も保存されていくわけです。