kuniyuki takahashi

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kuniyuki takahashi

フルアルバムが3月に発売。

earth beat聴いてから気になる日本人のひとり。ハウスだね。

koss名義でこないだ二コライ先生なんかと共演してたみたい。

聴いてないからなんともいえないけど、少し期待できるなー。


今、本を読んでる最中で疲れたので気分転換でこうして書いてるだけなので、もうおしまい。

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tortoise and bonnie"prince"billy

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tortoise and bonnie"prince"billy / the breve and the bold

2006年1月20日 待ちに待った上記の発売日だ。

トータスはともかくボニーって誰だ?って感じなのですが、ウィル・オールダムのことです。

この人はドラックシティーレーベルから、ダティーだったりスペーシーだったり情緒的だったり、やばい曲多数リリースしてます。まー入手困難でしょう。自分自身結構時間かかって金だして集めました。ドラッグシティーからコンピがでてるのでそれで買うのが無難かとおもいます。廃盤かも。

人昔前に少しあった言葉でスローコアというものが存在しましたが、トータス(バストロ時代)と一緒にオールダムもそこにくくられてましたね。まーハードコア上がりです。1980後半から90年のハードコアの連中は結構なところ(宇宙的にね)にいってたんですけど、それぞれが若かったというか怒りに満ちているためか神が降臨しないわけですね。すごく人間的すぎる音楽なんで。

ハードコアあがり(この呼び名が好き)の人は怒りの形を変化させて音楽的になるとき、ある種インナーサイエンス発動的パワーを放つわけです。(無意味)


  

このcd、発売元がスリルジョッキーでもドラックシティーでもなくovercoat recoedings(要チェック)なるレーベル。元スリルのスタッフの人がやってるレーベルで、要は顔みしり2組に一緒にやってくれよ!とお願いしてできたアルバム。全曲カバーアルバムってのが勿体無いけど、まーいいや。

有名なところで、ブルーススプリングスティーン、エルトンジョン、ディーヴォなんかのカバー。エンジニアはもちろん我等が、ジョン・マッケンタイヤだ(ジョンがかぶっていたフワフワしてそうな帽子を冬のあいだ探しまくったがレディースで小さいしか見当たらなかった、もうすぐ春だ。うわべ物産展ジャパン)。



これ今日発売なわけで、買いに行ったわけだけれども、タワレコもhmvもディスクユニオンもヤマギワソフトもワルシャワもシスコもないわけ。仕方ないのでpostrock専門店的なsome of usに行く頃には店閉まってるわけです。その間にいったcd屋レコ屋にて目をつぶるわけにいかないレコード達に多々出会い、たまに起こるレコード掘りingハイになってしまい、今日は3万円近い金をレコに変換。そして耳に入るのです。(今日は給料日でもある)。


今日は買えなかったわけです。久しぶりにながく聴けるcdに出会える日だったはずが。

うわべ物産展ジャパン。






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養老天命反転地

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http://www.architectural-body.com/ja/products/yoro/


世界各国やばい場所を紹介するシリーズ。

第1回目は養老天命反転地。上記のサイトでみてください。

荒川修作+マドリン・ギンズの作品。

もう開園して10年が経つようです。

なにする場所かって、肉体を再認知させる場所とのことです。

構造上、人間の遠近感や平衡感覚をくるわせる仕組み。

その空間を体験し、感性を解き放つことで死へ向かう人間の宿命を反転させようという試みです。

ちなみに上記はほぼコピーです。



荒川修作って誰ってことです。現代芸術家ということですが、僕がこの人を知ったのはダダ関連のなにかの本でした。ネオ・ダダ・オルガナイザーズという集団の特集。この時はどうやら24歳(いまの自分とおなじ)だったみたいです。もうおっさんなんですね。こんなまともなもん作ってるとはおもわなかったわけです。

それに+マドリン・ギンスというパートナー。夫人です。

どうやらもともと詩人のようです。アメリカ人の女、あとはまともな資料がでてきません。

シャイなんでしょうね。

2人も芸術の世界じゃ有名なのでしょうね。iccで展示会やったくらいですから。


荒川修作って人はこの養老天命反転地の内部にもみてとれるように、言葉や記号を使った(利用する)芸術を作っているようです。思考させるってやつですね。抽象ではなく、はっきりと見方、使用法を伝えています。

養老天命反転地もルール(言葉の使い方に不備があるかも)があるようです。


例えば「何度か家を出たりはいったり、その都度違う入り口を通ること」、「どんな角度から眺めるときも、複数の地平線をつかって見るようにすること」等があります。

オノ・ヨーコのグレープフレーツジュースのようですね。

正直苦手なタイプの芸術です。自身の根底にアンチ思考が張り巡らされているので、苦手なのでしょう。コントロールされるのに不安を感じるというのもあります。

養老天命反転地ではコントロールされることにより、宇宙回帰的な要素ももっているようです。

ものにコントロールされるのは自身にコントロールされる自我と同一であるともいえます。

結局自身の感覚でしか瞑想に入れないのと同じことですね。


そういえば、深い瞑想状態を体感することに成功しました。もっとすんなり入れるようになるといいのですが。



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akarma

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自分は2年前くらいからakarmaという名前を使ったりするようになったのですが、友人にakarmaって何?みたいなことを、最近2回聞かれたのでショックを受けつつかるく説明。


とりあえず、皆さん御存知karma。ヤマハのシンセに同名(読みは違う)のものがあったが、あれは誰かの宿命を背負ったシンセだったのだろうか?内部シンセシスが自らの行為に反映して、なにかの形で返ってくる、karmaの法則的シンセだったのだろうか。恐ろしいシンセが出回ったものだ。紅色だし。誰が買うんだよ。同時期でyamahaならmotif買うだろ。そもそもyamahaを・・・・ごちゃごちゃ・・・・・・・。誤解されたくないので一応、自分はrolandの犬ではない。


karmaの話。


インドのヴェーダ哲学の根底にある思想の一つに"karmaの法則"があります。(中学で習った記憶があるのだが、歴史とかだったのかな・・・。厨房に理解しろっていって理解してる厨房はろくでもないヤツだろう。)

karma=業と略されているのが有名だけれど、これは仏典なんかの仏教よりの解釈。(ヒンドゥーもかな)

サンスクリット語からの直訳では”行為”とか”宿命”ってことになる。だからといってkarmaの法則=宿命の法則ってことでもない。言葉の意味的におかしくはなってくる。

そもそもサンスクリット語はインドの古語。現在は使われることがないそうですが、仏教やヒンドゥーの聖典はサンスクリットで口伝され書き記されたそうです。

あとヴェーダ哲学なんですが、そもそもヴェーダとはなにかと。これはとてもじゃないけど本一冊できてしまいます。知であり、神であり、宇宙であり、世界最古の聖典の名前であり。実は自分自身整理できてないかんじなので触れないでおきます。勝手に調べろ。


karmaの法則=過去(世)においてなした行為は、善業にせよ悪業にせよ、いずれ自分に返ってくるというものですね。過去を(世)と書いたのは理由があって、一般的にいう(あの世)は過去と現在と未来がたたみこまれているため、過去を(世)という固定された表現で表しておかないと不具合が生じてきます。文字で書くとわけわからん。

karmaは個人的解釈では、この世に存在?しますが、例えば死んだジーさんのkarmaが自分に宿ります。これは血とか家族とかそうゆう問題ではなくて、偶然でもなくkarmaさえ共有なのです。だれだ俺は。

自分だけを因果応報の法則というのが一般的解釈ですが、そんなに甘いもんじゃありません。あなたのkarmaを生み出しているのは、となりのあ・い・つ・かもしれないってことです。


karmaはこんな感じですね。

本題akarmaです。

karmaの種類の一種とされるものです。

最終的に解脱に導くkarmaのことを指します。解脱とは苦しみ多き輪廻(生まれ変わり)の世界からの脱却の事です。

完全に現世を放棄し、行為に対する欲望を滅した状態で、ある行為がなされる場合それがakarmaとなります。セックスのことではありませんよ。

この欲をもたない行いは僧の世界でも非常に高い段階とされています。悟りへの一歩といったところかな。

悟りに到達するとその人のすべての義務はなくなります。が、karmaだけは残るのです。その場合残ったkarmaはakarmaとして認識されます。このakarmaは、そのkarmaが経験?し終わらば、それ以上新たなkarmaは生じないのです。その結果すべてのkarmaが消滅し、最終の解脱へと導かれるわけです。それ以降に待ち受けるのは、宇宙規模の話になってしまうので、これくらいにします。


ちなみにakarmaの対義をvikarmaと呼びます。

vikarmaは、経験することによって、さらに輪廻にしばられてしまう種類のkarmaの事をさします。

熱心な宗教国以外の国の人間はvikarmaと付き合ってることがおおいでしょうね。残念ながら。

ヴィーダ哲学の思想はこの恐ろしい輪廻から世界を脱却しようというものでもあるようです。

現世にしかみない西洋的感覚に犯せれている日本国では、受け入れなれない思想なのかもしれませんね。

宗教という言葉がマイナスに働いてしまう、この国の感覚は相当イカレテイル。

「宗教だよ。」の一言でかたずけるなと言いたい。

宗教のとらえ方が思想ではなく団体になっているのもおかしい。

「宗教だよ。」の一言と「アキバ系だよ。」の一言に同一的使用感がある。心理に迫らず上っ面なめる教育の影響なのか、マスコミの影響なのか、結局なにも理解してない身近な親や先人の影響なのか。




akarmaでした。





地元

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あけましておめでとうございます。

正月休み結局行きたかった香港にはいけず(行かず)、地元岩手に行っていました。

肩こりは解消されるは、鼻のとおりはよくなるは、睡眠時間は少なくても最近みないほど体調がよかったです。

帰った際に友人の床屋に置いてあった雑誌に書いてあったパワースポットなるものは、案外みじかにあったのかもしれません。高校まで普通に過ごしていた場所ですが、贅沢な"気"に満ちた場所なのです。

ところが地元の町は昔から中途半端に開拓されており、とても綺麗な場所とはいえません。店舗は入れ替わり立ち代り、建物だけが老廃。何度もリフォームを繰り返しているため歴史を感じる建物もすくなく、すべてが中途半端です。常に開発は進められるようですが、統一感がなく、一向に町がきれいになる様子はありません。

地元の人の暮らし方を見る限り、町は今のままで十分です。変化を求めるのは、安月給の若者だけで、それを相手にしていても潰れるにきまっているように思う。

チェーン店や大型デパートばかりが滞在しているのが残念な話だ。

町の”気”を失ってほしくないし、若い人には、気がついてほしい。

町もよくするのは、”義”のあるヤクザの仕事でもある。

聞いた話、地元のヤクザは低年齢化しているという。知っている名前何人か聞いた。

町の裏側、根っこが老廃しているのは、このせいもあるのかもしれない。地方はヤクザと密接だ。ある潰れた店のオーナーに偶然あって話していたが、チンピラが集い一般客が逃げていったとの事。一般に手をだす光景もしばしばあったという。

雰囲気のいい店だったのに、いまはチンピラが経営するバーとなってしまっていた。

つまらない事だ。

世の中個人経営者が増えているのに、あの町は個人が吸収されていっている。

個性のなかった町が、個性どころかロボット化しているように思える。岩手デトロイト。

蔵を巣にする彼には岩手アンダーグラウンドレジスタンスになってほしいものだ。