レノン世代

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一日ジョンレノン関連の本を読んだ。肩が痛い。

2冊読み終えたとこだけれども、2冊とも1980年12月8日以降の後ずけにしか感じとれないでいます。

ジョン銃殺をキッカケにその時代の人がどう感じたかは鮮明に分かるんです。ただそれは銃殺がキッカケだったって事で、それ以前に関してはものすごく曖昧なんです。生前ね。

「こう思っていたはずだ。」とか「こうだったに違いない」とか。

前回書いた翻訳された日本語が嫌いだという理由で日本人が書いた(編集した)ものを選んだのがまちがいだった。

イギリス、もしくは文化的に当時のアメリカの翻訳を買わないと何もみえてこない。

日本の国民レベルでは1980年12月の出来事は大きいものではなかったはずだし、大きく捉えようとするマスコミも誤報だらけだったという話。(例えばポールの曲がジョンのものとしてラジオからながれたり。)

70年代を日本ですごした若者がジョンから影響うけていたとすれば80年代は違ったものだったろうし、80年以降に生まれた自分達の世代がなにか伝えられていても不思議じゃない。

日本じゃ大事ずらしてるだけで、なんの意味を無いことだったんだ、という感想。

文字にも現れている。

こうも皮肉的に見てしまうのはオノヨーコのインタビューや本を読んだからだろう。

もちろん本質はそこだし、ヨーコ自身銃殺も国際的問題とは捉えていない。第一に2人の問題。

それはそうか。

当時ジョンレノンに真剣に取り組んだ日本人はジョンを売り物に金を稼ぎ、ジョンの曲を無意味に発表する。

売上が寄付金にまわっていない。

ビートルズに取り組んでいる人間はここ日本ではオタクの部類と同じ。ものといてとらえている。そいつがなに言おうが後ずけ。

昔、佐野元春がビートルズについて聞かれなにも答えなかったのは、無意味だとおもっていたからだろうか。


ビートルズ世代といわれてる世代の人間はなにを聴いていたんだ。

チャートで一位になるほどイマジンが売れた時代の世代はなにを聴いていたんだ。

そこでなにもおきてないのはなぜだ。


イライラしてきた。

無意味な音楽が売れる現在よりマシな時代かもしれないけれど意味のあった音楽を無意味に聴いていたんだ。

なかなかあんなチャンス日本にない。

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レノン

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fe 御茶ノ水に今月2度目のcd売却に行った際(今月計100枚はうった・・・)神保町のはじっこみたいな所まで友人といったのだが友人が興味をしめさなかったので今日あらためて一人でいってみた(こうやって本屋もレコ屋も一人になっていく・・・デートなど一生できまい。。)自分はレコードと本を見るときはほんと半日かけてみるので一人でなくてはいけない。

神保町はさすがに絞ってみないときついので、めずらしく音楽に絞る。精神ものさがしてもラチあかない。

ジョン・レノン。

気になっていて買わなかったシリーズである。

ジョンのことは頭に入れておこうと思いつつなかなか手が出せなかった。オノヨーコのが気になるし。

ジョンの本はどこでも見つかる。適当に日本人が書いたものだけを5冊購入。(翻訳された文字はイライラするので。)

その本の中でジョンレノンにあった日本人というのがあって横尾忠則がかいてるのがあるのだけど、この人の文は後輩っぽくてすごくいい。いつも思うが遠慮しすぎですよ。横尾さん。

何冊かよんだらジョンについてかこうと思います。


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D 永延とノンフィクションが嫌いな理由を霧と交えて書いていたら、突然接続が切られる。

曲作ってハードディスクが飛ぶといったショックに近いものをいま味わっている。

こうゆう時訴える場所があるのが日本という国のはず。どこにもない・・・。

理不尽なものを理不尽にIN ジャパン

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言霊

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hd 日本文化の一つ。言霊。

言葉に魂が宿るという考えかた。

水の形が言葉で変化するのは有名だが、人にも深く影響をおよぼしている説。

言葉の意味ではなく音の話どと思っていたら、そうでもない。

言葉の意味は言葉の音の聞こえ方でかたまっていったのだとおもうのだけれど、それにしてもうまくできている。

多分意味のない言葉でも言霊の考えかたを応用すれば、言葉になりうる。「あ」だけでも結構な会話ができる。

土地によって言葉自体がバラツイテルのを考えると、やっぱり気温とか土、水、色、感触なんかが影響したのは言うまでもないと思う。

魂のない難しい言葉がふえるのは日本がダントツではないかと。

文字もしかり。

文字から生まれた言葉の乱用が目立つなと、今おもったのだけど、言葉にしたとき意味を無くすことをわかってほしい。

イライラするだけ。

見たまま口にしないってことで。


スピード

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a スピード感。まー速度。目で確認して判断するまでのスピードとそこにある時間軸の速度。

速度は個々の能力?でどうにでもなるんだなーと確信しました。

軸は存在しないわけで、それぞれが速度を共有してしまっているから軸が存在してしまっているだけ。

スピードがそこに生まれるとさまざまな変化はもちろんあって、トマトが腐ったり、空気が移動したり。

極論でいえばトマトは腐らないんじゃないかということでもあって、もぎ取った瞬間(表現矛盾、すいません)にくさるものだということ。

「時間やスピードを視覚的にかんじるものが溢れている。」とかそんな生ぬるいもんじゃなくて、時間やスピード感を共有して安心してしまっていることに対しての危機感が必要なのだなーと。

脳や体の動き、働きもいま以上に発展?できるんです。

言葉を使用してのコミニュケーションや体をつかった性行のスピードが変化するだけで世の中変わる。

思考の転換の速度ではなくそこにながれる速度の”アリカタ”も見直すだけ。

脳で体を操る感覚を一つ一つ見直すと恐ろしい速度で物事を動かしているのがわかる。

それが無意識で無責任なのが速度共有につながっているのかと。

もちろん早ければいいのではなくてそれぞれの速度がコントロールできるのが目的なのはいうまでもないんですが。

それにしても現段階では体の成長、退化と共に精神が変化しているのは確かで、精神ありきの体ではないことはわかるんだけれども、精神が体にやどって体と共に変化していく事実があるのが不思議でならないのです。

体の意味ですね。

精神解放とかそんなんじゃなくて体と精神の関係を考えて体が退化しきるまで付き合うほうがおもしろいんじゃないかと。

体が退化してからの精神変化。精神が退化してからの体の変化。

精神は生きつずけるとか、生まれ変わるとかいわれるけども、精神いきてる奴なんて数えるほどしかいないはず。体が煩悩のかたまりとかいう仏教じゃないけど、体にやどった精神は共有速度を感じて死んでしまう。

共有速度って言葉があるのか知らないけど危険だよーん。

                                     


おひさしぶりです

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il 最近みた記事に、ビョ-クの発言の引用があり、だいぶ自分の中でひらけた。

「電気も使いようではアコースティック」

結構昔の発言なのだそうで。

それ以前にそれを感じていた人や発言した人は五万といただろうが、ビョークだからしっくりくる。

シュトックハウゼンやケージ、チュードアが発言しても自分にはしっくりこないのだとおもう。

ビョーク自体、実際のところどうでもよくて、あまり音楽的に好きではないのだけれども、発言が素直だから気持ちがいいのだとおもう。

電気、電子に対してアコースティクとの壁があるとはおもってなかったのだけれども、どこかで意識的に種別していたことは確かで、だからといって深く考えるほどのことでもないとおもっていた。

それがすっきりしたというか、考えてもなかったことがわかったことに喜びを感じたのも不思議なもので。

あー、回りくどい。