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『吾輩は猫である (岩波文庫)』
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2012-02-25

「情報化の代償が生み出す自殺 - 『日本の自殺』を読む」

テーマ:読書の旅
1975年に文藝春秋にて発表された論文、「日本の自殺」。

この論文はいわゆる年間30,000人を超える自殺者を示すのではなく、日本文明そのものの内部崩壊をテーマとして描かれている。

文藝春秋2012年3月号に再掲されたこの論文、芥川賞作品も気になりつつ本誌を購読して読んでみたが、この時代にこのような「予言」がすでに存在したことがまず驚きであった。

■文明の定義と没落の過程
この論文はまずトインビーの分類による文明の定義から始まっており、「文明はどのようなプロセスで没落していくのか」を導入のテーマとして取り上げている。

そして、この論文を執筆した「グループ1984年」は、過去の文明であるギリシャ・ローマ文明と日本文明の没落過程が酷似していることに大きく注目するのである。


■文明の没落は内部からの社会的崩壊によって起こる
文明の没落に関するひとつの結論は、あらゆる文明は外からの攻撃によってではなく、内部からの社会的崩壊によって破滅するということだ。
トインビーによれば、それは「魂の分裂」と「社会の崩壊」による「自己決定能力の喪失」という表現になる。

ローマ滅亡の理由としては、大きく5つに分類される。

(1)豊かさゆえに欲望を肥大化させ、労働を忘れて消費と娯楽に明け暮れるようになったこと
(2)繁栄を求めた人口の流入により、小さくまとまった市民団のコミュニティが崩壊したこと
(3)一部の経済的無産者による市民権(パンとサーカス)の主張による精神的・道徳的退廃
(4)(3)の状況が拡大するが故の、インフレからスタグフレーションの発生
(5)エゴの氾濫と悪平等主義の流行

これらの要因により、自制なき「福祉国家」となり、怠慢な「レジャー国家」となり、没落への道を進んだローマ。
このことから学ぶことができる現実は、没落は繁栄の代償であり、滅亡は巨大化の代償である、ということである。


■日本人の内部に存在する危機
翻ってこの論文は日本に視点を移し、経済的視点での危機に対して警鐘を鳴らしながらも、「本当の危機は日本人内部にある」と述べる。
それはまさにトインビーが表現したところの「自己決定能力の欠如が起こりつつある」という危機である。


■豊かさの代償
日本人が豊かさの代償として支払うべきものを、本稿は下記の3つに分類している。

(1)資源の枯渇と環境破壊
(2)使い捨て的な大量生産、大量消費の生活様式が精神に与える影響への無関心
(3)便利さの代償として支払われる「生活環境のブロイラー化」

この3つの代償のうち、特に(3)における部分は日本人の精神性に深いインパクトを与え、内的荒廃を生み出している主要因であると本稿は指摘している。


■豊かさの代償>便利さの代償
(3)が現代における「精神の幼稚化=判断力と批判意欲の衰弱」をもたらしており、その特徴には以下のようなものが挙げられる。

●適切なことと適切ではないことを見分ける感情の欠落
●他人及び他人の意見を尊重する配慮の欠如
●自分自身のことに対する過大な関心

この論文の展開が非常に面白いところは、ここで思考を停止するのではなく、どんどん視点を深めていくことで問題点を抽出していく点である。豊かさの代償->便利さの代償->情報化の代償、そして最後に到達するのがタイトルにもなっている「自殺のイデオロギー」という視点になる。


■豊かさの代償>便利さの代償>情報化の代償
本稿は、これらの思考力と判断力の衰弱は、突き詰めていくと情報化の代償、つまりメディアの発達と教育の普及によって生まれることを指摘している。

「情報の洪水化」はなぜ人間の思考力や感受性を奪うのか、そのメカニズムは5つに分類される。

(1)直接経験の比重が低下し、相対的に間接経験の比重が増加することによる「経験世界の他者への依存」
(2)情報過多で脳の処理量を超えることに伴う「不適応」

(3)情報の同時性、一時性、そのことによる刹那主義的な生き方の氾濫

(4)情報受信と発信との極端なアンバランスによる「情報の右から左への垂れ流し」

(5)メディアによる異常情報、粗悪情報の過度な拡散

これらの情報化による様々な代償はまさに「日本文明の自殺イデオロギー」を意味し、ソーシャルメディアが発達した現代こそ、まさに「自殺が着々と進行している状態である」ことは想像に難くない。


■自殺のイデオロギー
自殺のイデオロギーが何故生まれつつあるのか。最後に行き着く問題として、大きく2つの枠組みを提供している。

(1)「戦後民主主義教育」に潜む悪平等主義

(2)(1)を含めた「戦後民主主義」という名の「擬似民主主義」

(2)の中には、情報化の代償で触れた「非経験科学的性格」をはじめとして、下記の性質が含まれている。

●画一的・一元的・全体主義的傾向
●権利の一面的主張
●批判と反対のみで、建設的な提案能力に著しく欠ける
●エリート否定、大衆迎合的な性格
●コスト的観点の欠如

これらは全て現代日本における大きな問題であることは疑いようはない。
「自殺のイデオロギー」は、擬似民主主義が生み出したこれらの枠組みを深く考え、打破していくことでしか解決することはなく、解決しなければ文明の落日を招く、という点が本稿のテーマであろう。


■日本人が没落をいかにまぬがれるか
最後に、没落の歴史からいかに学ぶか、という点で、自殺を回避するための5つの視点を提供している。

(1)国民全体が利己的な視点ではなく、自己抑制と調和の精神を持つこと

(2)国民自身が自らのことは自ら解決する、という自立の精神と気概を持つ

(3)リーダーは指導者たる誇りを持ち、大衆に迎合してはならない

(4)年上の世代は年下の世代にいたずらにこびへつらってはならない

(5)人間の幸福や不幸が賃金や物量の豊かさではない、という基本的な理解の周知


「経済的には立ち直ったが精神的には未だに再建されてはいない。日本人の魂は病んでいる」と締めくくった本稿から37年。
状況はさらに悪化し、ソーシャルメディアでの悪平等は広がり、権利の一面的主張、無駄な批判ばかりが横行し日本は混迷を極めている。

子供の世代に対して、「良い物量」ではなく「良い精神」を残していくために、そして「文明を残していく」ために何ができるのか、深く考えていくことが私たちの世代に課せられた大きな責任であろう。


なお、私自身「日本の自殺」についてできる限り自己理解も含めてまとめたつもりではあるが、本文を読むことで最も深い理解が得られることは間違いがないため、興味のある方は是非原文を参照していただきたいと思う。本記事では触れていないが、非常に含蓄のある内容ばかりであり、定期的に再読していきたい内容である。
2012-01-28

「仕事」と「結婚」。

テーマ:日報
「遊び回るのであれば、結婚した方が良い。結婚しないのであれば、がむしゃらに仕事をした方が良い。」


これは私が20代後半の男性を見て、常々思うことである。

なぜ、そのように思うのか。私はもうすぐ32才になる身であり、同年代、あるいは少々上世代の方々と付き合うことが多い。当然仕事での付き合いになるが、最終的に人間としての力量を問われるギリギリのラインにおいて、状況に対して向き合い適切な判断力を「発揮できる人」と「できない人」がいることがわかった。これは「仕事ができる」「できない」と置き換えても良いと思う。仕事の結果というものは事務であれ開発であれ営業であれ、その時々の判断が集積したものであるからだ。


●「判断」ができる男は、「20代に結婚している」か、「仕事に没頭」している
「できない人」の傾向は枚挙にいとまがないが、「できる30代」の傾向は、実際にはある程度明確であり、基本的には2つしかない。「20代に結婚をしている」か、「圧倒的な量の仕事をこなしている」かのどちらかである。これは少し考えれば理由ははっきりする。


●20代後半、普通に仕事をして得られるスキルのレベルは高くない
あえていえば、20代後半というのは仕事に対して慣れが生じて集中力がなくなる割に、得られるスキルのレベルは高くない。社会人として3年~7年程度であり、知識にも偏りがあり汎用性の高い仕事ができるような年代ではない。普通に仕事をしていても、自らの評価ほどには周りから評価されないのが当たり前なのである。
「自分は頑張っているのに、なぜ周囲は認めてくれないのだろうか」と一番思いやすい年代でもある。理由は単純で、自己評価が高いだけである。

私自身も2~3年前を振り返ると、明確にそういう時期があった。ただし、今から客観的に振り返ると自らのスキルの低さに平身低頭するしかないという過去であったりする。


●スキルを身に付けたいのであれば、圧倒的に仕事をする
そういった自己評価とスキルのバランスを得にくい20代後半で、それではどのようにスキルを得るのか。これも答えはシンプルで、「とにかく人よりも努力するしかない」ということだ。
これは精神論でもなんでもなく、イチロー選手や松井選手、落合元監督が何故超一流なのか、ということを考えればよくわかることだ。彼らは周囲を超える、圧倒的なボリュームの努力をしているのだ。

現在の私の同世代の仕事ぶりや成果を見てもよくわかる。若いうちに努力をした分だけ、30代以降でのスキルに、大きな差がつくのである。



●仕事ができないのであれば、人間性を見直す。そのための最良の措置が「結婚」
私は26才で結婚したが、IT業界の一般的な平均から考えると、少々早いほうではないかと思う。

結論的にいえば、結婚し、子供を授かるなどの家庭状況もあり、20代で「圧倒的な仕事」をすることは、自分の理想から言えばできなかった。

ただ、その仕事以上に仕事に役に立つものを得ることができた。それは「人間性を見直す」ということである。結婚の最も最たるメリットは、自らではない「家族」という単位で物事を見るようになることで、とりもなおさず自らを顧みることにもつながるのである。

このことは仕事においても非常に大きな変化をもたらしている。そもそも他者は自分自身を客体として見るのであるから、自分自身がどのように見られているのか、常に指摘してくれる妻や子供の存在はこれ以上ない位に有難いと言えるだろう。

私自身の経験をいえば、このこと自体の有り難味は20代のうちはわからない。ある程度の年数を経て以前の自分を省みたときに、その変化に驚きを覚えるのである。

20代のスキルが低い状態のときに、そういった経験を経ることができたのは、自分にとってはこれ以上ない位の財産になっている。



●遊び回って人間性や仕事のスキルが高まることはない
仕事をがむしゃらにすると、遊び回ることはできない。
結婚をしても、独身時代ほど遊び回ることはできない。

遊びは非常に大切な余暇である。
ただし、私の経験から言えば、「20代後半の大切な時期を遊んで過ごすなんて、本当にもったいない」というのが本音である。

これまで記載してきたように、主に男性にとっては20代後半~30才というのはとても大切な「仕込み」の時期である。エンターテイメントの重要性は否定しないが、20代でないと良さがわからないエンタメなどほぼ存在しない、というのも事実である。(10代でないと深く陶酔できないエンタメが存在することは事実である)
また、「遊びにおいてギリギリの状況における人間力が高まる」ということはなく、30代以降仕事で求められることはまさにその人間力と判断力なのだ。


がむしゃらな仕事も、結婚も、20代後半が最も効果的である。なぜなら他には遊び回る位の社会的要請と責任はないのだから、いずれにも集中しやすい環境が整っている。
どちらを選ぶにせよ、3年後、5年後の自分を形成する大きな土台となることだろう。


「結婚してもしなくても、どのみち君は後悔することになる」
「だが、良妻を持てば幸福になれるし、悪妻を持てば哲学者になれる」

(ソクラテス)
2012-01-26

「采配」(落合博満)

テーマ:読書の旅

京都プランナー日記-「采配」

最近いわゆるビジネス書に食傷気味だったのだが、久しぶりにこれはという書籍に出会った。「采配」(落合博満)
この本のすごいところは、一般にも分かりやすい形で、「『勝負』という概念に対して客観的に対峙し、決断をしていくこと」の重要性を説いていることだ。

「勝負」というものと対峙し、その時々で最良と思われる目の前の決断を行い、それを勝利として手繰り寄せる。
そのために一人のスポーツマンとして、あるいは監督としてどのように「采配」を振るってきたかのエッセンスが(全てではないにしろ)多分に含まれていると感じる。だからこそ、言葉に迫力がある。

「孤独に勝てなければ勝負に勝てない」
「上司や監督に嫌われているんじゃないかというときは、自身を冷静に見る目が曇り始めたサイン」
「『心技体』ではなく『体技心』」
「気心と信頼は別物」

など、現役当時に「オレ流」などと言われた監督からは想像もつかない、質実剛健な考え方が著されている。
ターゲットとしては管理職のビジネスマンを想定して描かれているように思われるが、特に20代の若い方に読んでもらっても、非常に得るものの多い内容ではないかと思う。

ちなみに、私は著者が「落合選手」だった頃、しかもかなりのベテラン選手だったころに中学生位だった。
40代になっても長らくジャイアンツなどでしぶとく、気にせず現役を続ける落合選手を見て、「この人は一体いつまでやるんだろう」などと言っていたが、ご本人も周囲からそのように言われていることを深く自覚されていたようだ。

「ヒトにどう思われるのか」と考えてしまうところを抑えて、「今の自分には何が必要なのか」をベースにして考える。後書きに描かれている行動指針は、きっと昔からブレがないのだろう。

2012-01-07

「逝去」。

テーマ:日報
以前取引があった方のご逝去を今日知ることになった。
年賀状をお送りしたところ、ご丁寧に会社の方から連絡を頂いて知ることとなった。

その方とは2008年に取引をさせていただき、当時の当社にとっては規模の大きい受注をいただいた。
約3年の付き合いだったが、コンプライアンスのしっかりした会社だけあり、非常にしっかりとした校正を返していただき、細やかな前後対応をしていただいたことをよく覚えている。

妻の実家近くに本社があり、長女がまさに生まれるその日に打ち合わせがあったために出産に立ち会えたことは、偶然にしては出来すぎたことだ。おそらく正常な記憶機能が続くうち、私はその日のことを決して忘れることはないだろう。その方に対する提案、その時の構成案とデザイン案。会社からのタクシーがなかなか来てくれなかったこと。出産後、義母と二人で王将で食べた日替わりランチ。(義母と二人で外食をすることは、今後もそうあることではないだろう。)
その方はそんな生涯忘れられない一日の、とても大切な一端に存在し続けている。

一度その方と食事をさせていただいたとき、そんなことを話したところ、嬉しそうに笑っていただいたことを覚えている。その方にも確か三人の娘さんがいる、ということだった。

子供の教育に関する教訓をいただいたような気もするが、あまり覚えていない。覚えているのは外国での数年間の生活時代に、現在の日本では少々法に触れてしまうような「いたずら」をしたエピソードだったりする。人間の記憶というのは教訓にならないことばかり残してしまうものだ。

「私は本当は、もっと若い時分にもう死んでいるんだよ」

食事中、ふとしたときにこのようなことを言ったその方のお話は、当然当時の私からすれば信じられない話だった。
今、早すぎる死について考えるとき、やはり何かあったのだろうか、と思いを巡らさないわけにはいかない。


毎朝5時に起床し、通勤電車で会社に向かう毎日だと聞いた。
帰宅は遅いときにはその日を回ったりすることも多かったようだ。
在職中に亡くなったとしたら、その方にとっての人生とは、ほぼ仕事とイコールだったのかもしれない。その方の生前が御多幸であったと信じているが、同時にそうであってほしいと祈る。


人は全て死ぬ。人に限らず生きるものは必ず死ぬ。

ただ、生きることと死ぬことは断絶していないのではないか、と最近思うことがある。

死ぬことは、生きること。生きることは死ぬこと。

どのように生きるのか、ということはとりもなおさずどのように死ぬのか、ということにもつながるような気がする。

御厚情をいただいた故人の冥福を祈り、次に「生きること」に対する己の甘さを反省し、より良く生きることを考えていきたい。









2012-01-04

「2012年の目標設定」

テーマ:日報
2012年が始まった。
2日は母方関連の実家にお邪魔し、昼から深夜まで水のように日本酒を飲む。
すると翌日はあれほど愛好している日本酒を全く飲みたくなくなり、人間の身体は非常によくできているな、と感じた次第である。「バランスが大切」という考え方と「メリハリが大切」という考え方、どちらにも一理はあると思う。

新年なので、できるだけ簡潔に今年の目標をまとめてみる。

<仕事>
(1)自らが存在しなくても回る仕組みの確立
現状、自分が必須という程の重要性は全くないが、仕組み上、自分が仕事を運ばなければ動かないようになっていることは事実。この仕組みをまず変えたい。具体的には、関係者すべてが、自らの責任範囲の一段階上を全うできるような仕組み作りをしたい。これは当然、自分を含めての取り組みになる。
私の立場であれば、これまであまりしてこなかった新しい事業モデルを創出する、ということにチャレンジしたい。仕事が変われば、立場は変わる。立場が変われば、考え方は変わる。考え方がバージョンアップするという点は、専門性を高めるにしても汎用性を突き詰めるにしても、最も成長を実感しやすい部分だと思う。成長を実感できる組織には、他と比べて強い再生力が生まれるのではないだろうか。


(2)新しい事業の比率を現在の事業と同様にする
現在進めている新しい事業モデルを具体化し、今年中に現在の事業と同一の割合にすることを目標にしたい。これは既存のウェブ会社を全く脱却する、ということを意味する。
「ウェブに対するこだわりはない」といえば嘘になるが、ウェブをベースにした、ウェブ会社でしかできない新しいモデルを突き詰めることで、これまでにない市場を創出できるのではないかと考えている。
この目標を実現するためには、やはり昨年以上に関東方面に食指を広げる必要があるが、ニーズがあるのであれば是非チャレンジをしたい。


(3)やめる
新しいことをはじめるのであれば、やめることも当然必要になる。
今年は少なくとも、現在行っている事業やビジネスのうち、5つをやめることを目標にしたい。
やめることで拡がる可能性も大いにあるし、現状維持はイコール仕事における死を意味するからだ。


<プライベート>
(1)家族のために休む
なかなかバランスをとることは難しいが、昨年非常に感じたことは、「平日努力して80時間働こうが、土日をつぶして80時間働こうが、トータルは変わらない」ということだ。
どのように頑張ろうが、努力そのものは評価されるのではなく、あくまでも結果である。
結果を考えた時に、休むことで何かを失うということは、少なくともこれまではなかった。
今年は昨年よりも少し、家族のために休む割合を多くしたい。

(2)フルマラソンで4時間30分
昨年からチャレンジを決意したフルマラソン。1度も走っていないので何ともいえないが、このタイムはなんとなく突破したい。日々の努力をどのようにするか、今から思案中。
最終的には実践あるのみだと思うので、まずは一度42.195kmを走ってみたい。


(3)Amazonのレビューで1,000位以内
かれこれ何年も言っているので風化しつつあるが、今年こそはなんとか達成したい。月10冊のレビューをまずは達成することをミッションとして日々生きていきたい。

2011-12-31

「2011年、自らの点数を付ける」

テーマ:日報
2011年も残すところあと1日。

今年は年明けに少々仕事があり、帰省をせずに京都で年越しを迎えることになる。

私にとっての2011年を一言で表現をすると、「余裕のない1年だった」ということになる。
公私ともに、常に何かに急き立てられているような気がした1年であった。

それは仕事上でプラン通りに進まないことが多かったからなのかもしれないし、ソーシャルメディアの普及でコミュニケーション自体が「常にコンタクトができる状態にしておく」というルールに(少なくとも仕事では)変わってしまったからかもしれない。


来年の行動方針としては、「常に一片の余裕を持つ」ということを最大のテーマとしてやっていきたいと思う。

今年の年始につけた目標の達成度をこの機会に棚卸ししてみようと思う。

<プライベート>

(1)家族と旧友を大切にする→30点
特に下半期は家にいること自体があまりない状態だった。
来年はもっと考えなければならない。

(2)Amazonのレビューでもう少し上を目指してみる(1,000位以内)→0点
レビューを残すこと自体ができず、年間で5件程度のレビューに終わってしまった。
時間さえ作ればなんとかなると思うので、こちらも引き続き来年への課題。

(3)移動時間を生きている時間にする→50点
非常に感覚的だが、こちらについてはある程度できたように思う。
とはいっても及第点レベルだったため、50点。


<仕事>

(1)関東方面事業を拡大する→60点
「最低5倍」はなんとか達成できたが、そもそもの初期値が低いため、結果的には5倍程度では済まないレベルの売上が必要だった。来年こそは笑える「最低5倍」を実現したい。
本音を言えば駐在日数を増やしたいが、今年後半、会社の方針転換や案件状況もあり、逆に駐在日数をとれなかった事情もある。
来年は違った事業での東京方面も増えてくると想定され、特にそちらを断固たる決意で臨んでいきたいと思う。


(2)海外展開を意識したサービス提供をする→20点
小さいところではFacebookページ、ある程度大きなところでは海外版ECという展開自体は進めることができた。ただし進められたというレベルに終わっており、そこからイノベーションを創出することはできなかった。「捨てる」ことも必要だと、現時点では大きく反省をしている。「捨てる」ことで間違いなくスピードは向上するからだ。


(3)毎日をハードワークにしないためのシステム化→30点
これは全くと言っていいほどできなかった。ただし、仕組みを変えていくための試みは諸々トライしており、来年に向けての布石は多少できてきつつあるのではないか、という気がしている。


ということで、全体的に見ると余裕がなく、個別で見ると達成が全く出来なかった2011年だったが少しだけ自らを評価したいことがある。


○様々な失敗はあったが、「NO」の決断を下すことなく、仕事としての多少の成果に結び付けられたこと

○「公共性」を常に意識して仕事ができたこと

○未来の観点から他者に対する少しの「お節介」を常に意識したこと


私などより強く激しい衝撃を受けた方は本当に多いだろうが、東日本大震災は本当に大きな出来事だった。あの出来事を通じて、私自身は自らの甘さや未熟さを骨の髄まで痛感し、生き残ったものの責務として、なぜ生きるのか、なぜ仕事をするのかということを突き詰めて考えさせられた。

そのときに至った考えはとてもシンプルなもので、「仕事は自分のためにあるのではなく、自分の人生も自分のためにはない」ということだった。仕事も人生も、全ては未来のためにあり、未来の中に自分が含まれるのである。

未来のために生きる、という観点を少し具体的にすると、上記の行動指針になる。
今年1年本当に様々な失敗はしたが、なんとかこれらの視点で物事を見ることはできたのではないか、という気はしている。

来年は様々な失敗をすることなく、よりブラッシュアップを施した行動方針を貫いていければと考えている。そのことで変わる景色を、私としては是非見てみたい。







2011-12-25

2011有馬記念短評:「勝てない競馬で勝つ」。

テーマ:プライベート
「史上最高のメンツ」と言われた第56回有馬記念。

まず、メンバーが史上最高と呼ばれるには様々な理由が必要だ。
今年のGI馬がどの程度出走しているのか、故障で回避した馬が多いか少ないか、そして「花形」が何頭いるか。そういった意味では近年最高のメンバーといって差し支えない素晴らしいメンバーだった。

そんな中で、オルフェーヴルはまさに世代交代をまざまざと見せ付ける圧勝劇。
これまでのレースで、私は彼の強さを若干疑問視をしてはいた。強いことは強いが、三冠馬として世代を背負うことができるかどうかは未知数だと考えていた。

この有馬記念で、オルフェーヴルは最も辛い立場でレースをし、自らも掛かり気味になり、スローペースを後方から進み、なおかつ外から回って稀代の名牝と居並ぶ最強4歳世代をまとめて差し切ってしまった。
いわば「決して勝てないレースで勝ってしまった」のである。
同じ有馬記念、レースぶりや状況は全く違うが、テイエムオペラオーの第45回有馬記念を思い出すようなレースだった。

上がり3F34.0の末脚決着。この展開に最も強いエイシンフラッシュをしてあっさり交わしてしまうのだから、このメンバーでは何度やっても負けない、ということだろう。

ひとつ残念だったのはブエナビスタ。有馬記念を引退レースとする馬は、近年ことごとくこれまでにない着外に終わってしまうケースが多い。「見えない疲れ「世代交代」と形容されるものが、やはりこの名牝にもあったということだろう。

興味深いところでは2年連続で3着に突っ込んだトゥザグローリー。有馬記念というものはこういった不思議なことが往々に起こる。来年も3着を是非3着で駆け抜けて往年の名脇役ナイスネイチャの域を目指して欲しい、と願うのは不謹慎だろうか。




歴代の三冠馬に並ぶ「本当の強さ」を証明したオルフェーヴル。この未来がさらに明るいものになることを、そしてその鞍上には常に池添騎手がいることを祈りたい。それが日本競馬のさらなる発展につながるだろうから。
2011-12-25

「蓄膿症」。

テーマ:プライベート
12月に入り新事業のスタートアップなどの作業と納品が重なり非常に多忙な日々が続いていた。

21日の新事業オープンセレモニーでは司会などと多少の役割を引き受けていたところ、数年来ぶりに(?)少々ひどい風邪を引いてしまい、約2週間位声すらあまり出ない状態が続いていた。

上手く行ったかどうかは別にして、何とか21日の司会時には声が出る状態になったが、その2日前からどうも頭痛と歯痛がひどくなってきた。21日の夜には歩くだけでも歯が痛む状態になり、右前頭葉もしっかりと痛む。

食生活は問題ないが、人並に過労で遂に脳に来たのだろうか、と心配になり、まずは直接的に痛む箇所である歯医者に行って聞いてみた。

おそらくその歯医者さんが良かったのだろうが、「レントゲンを見たところ蓄膿症ではないか」ということであった。歯には全く異常はないが、どうも鼻の左右に白いものが見受けられるということだ。

念のため当日耳鼻科に行ってみたところ、やはり同様の見解。おそらく、というところではあるが幸いにも原因がほぼ特定でき良かったところだった。
どうやら風邪が長引いた際に急性の蓄膿症になることがあるようだ。

蓄膿症の症状 頭痛と鼻の痛みについて

年末は身体にとっても1年の総決算。イロイロなことが起こる。
とはいえ、昨年の低温火傷に続き、有る意味自己責任での問題であるため、あまり大きいことはいえない。
治療には3ヶ月程度が必要、と長いお付き合いを覚悟せねばならないが、気持ちとしては粛々と過ごして行きたいものだ。
2011-12-03

「人を叱る」ということ。

テーマ:日報
「人を叱る」ということを考えるときに、いつも思い出す出来事がある。

4年以上前の話になるが、当社ではじめての新卒女性スタッフが存在した。日夜私の直属部下として企画書やディレクションを頑張ってくれていたのだが、いかんせんキャリアがないので七転八倒。それでも笑顔を忘れずに努力していたスタッフだった。

あるとき、それは人間ならば誰でもあるであろうレベルなのだが、態度が非常に雑な日があった。指示を出しても的確に動いてくれず、むしろ話を聞いていない。当然その日の企画書のパフォーマンスは低いものだった。

この態度が恒常化するとすれば、このスタッフのキャリアは非常に不味いモノになってしまうだろうと思った私は、その日の夜、全身全霊を込めて叱った。気持ち・態度がダメであるから企画書のパフォーマンスが落ちる。感情に左右されるような仕事は仕事ではない。会社は遊びの場ではなく、共通目的のために相互努力をする場なのだから、存在する以上は態度から改めろ、とそんな話をした記憶がある。

いつもはその後笑顔を見せる彼女に、その日笑顔はなかった。

そして、その日は彼女の誕生日だったと、後で聞いた。

自宅と会社の丁度中間にある大通りで一人涙する彼女を見た、という話を聞いたのも後日の話だ。


スタッフが誕生日の予定を気にしていたのかどうかはわからない。
問題は、その状況を全く理解していなかった私にある。


それ以来、私が人を叱るというときに必ず意識することは、「100%叱るべきだ」というシーン以外ではその行為を行うべきではない、ということだ。

それが誕生日であっても何であっても、仕事以外の何かに起因するものが考えうる場合は、少なくとも精魂を込めて叱ることは避けるべきだ、ということだ。

間違いなく10:0で悪い、そしてそれが恒常化すると非常に不味い。「叱る」ということはそういった時にはじめて行うべきであり、それ以外は注意で良い。それで十分に改善はなされる。


「叱る」という行為は、「100%正しい」という状況以外では決して良い方向には行かない、本当に難しいスキルである、ということを常に肝に銘じているつもりだ。



それでも、誤ちを繰り返す。「思い出す」ことと「行動に落とし込む」ということの間に存在する高すぎる壁に、今脱力感と猛省の念を強くしている。
2011-11-30

「京都マラソン」

テーマ:プライベート
何気なく応募したつもりの「京都マラソン」。気がつけばかなりの抽選倍率だったようだが、縁があったのか当選。

現状の仕事・家庭状況を考えると正気の沙汰ではない、という声をよくもらうが、まずは与えられたチャンスなのでできる限りは努力してみようと思う。

幸いにも、長距離走はそれ程嫌いではない。一応、大学2年までは体育会でそこそこのランニングや運動は日課としてきている。問題はブランクがあり過ぎることと、そもそも可処分時間が圧倒的に少ないことだろう。

まずは毎朝4~5km走ることを日課とし、さらにそのペースを1km5分台をキープする。休日まとめて走ることができる日は10km走る。
このことで4時間台での完走を目指したい。

ちなみに、妻の実家へ遊びに行く際、約80kmの道のりを走っていくことも検討してみたが、それはさすがに正気の沙汰ではなく、途中でグロッキーになる可能性が高い。1か月程様子を見てからチャレンジしてみようと思う。

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