2005-06-19 16:07:32

合コソ心理学入門 (下)

テーマ:童貞社会学

2.性欲について。

これについては、殿方諸兄は自身のこれまでの経験を振り返ってみれば、おとなしく理解して頂けると思います。敢えて説明するならば、殿方諸兄は一滴の性欲なしに行動する事が生物学的に不可能である故、合コンに参加するのは極めて自然で健康的なのです。誠実な殿方ならば、この如何にも動物的な性質を自ら認め、理解しているはずです。

「自分は性欲を超越した」
とか、
「大人ならば理性で性欲をコントロールできるはず」

なんて仰る糞坊主がいたら、まずそいつは女の子を口説くために自分すら騙そうとする大嘘つきか、はたまた普段パソコンの前で嫌になるほど自慰行為に耽るせいで性欲が歪んでしまった哀れなオタクか、あるいはゲイか、そのいずれかであります。ともかく、そんな輩は何か歪んだバックグラウンドを持っているとまず疑ってかかって間違いありません。

さて、御婦人方は一般に殿方よりも性欲が少ないと言われています。表だって性的な欲求を披露する御婦人方も非常に稀です。
しかし、そんな御婦人とはいえ、ふとした瞬間に漠然とした人恋しさや寂しさ、抱擁されたいという衝動に駆られるはずです。それは単なる孤独感だという方が居られるかもしれませんが、そうした抱擁や繋がりたいという欲求の対象が異性である以上、それは立派な性欲です。殿方が抱く直接的な性欲とは少しカタチが異なるだけなのです。

健全な性欲は、合コンと容易に結びつきます。

「やれぬなら やれるまで待とう ホトトギス」

という、徳川家康的な考えでは、一向に性欲は解消されませんが、

「やれぬなら やらせてみせよう ホトトギス」
「やれぬなら やってしまえ! ホトトギス」

と、秀吉や信長ばりの態度ならば性欲は積極的に解消されます。

これにより生まれるのが合コンシステムズです。

現代社会では、一般に性欲というものが隠蔽され、それを他人に見られる事が恥とされ、また、うかつに露出しようものなら即お巡りさんがやって来ます。下手すればタイーホされてしまう始末。

そこで賢い現代人が考え出したのが合コンです。

異性と繋がりたいという性的欲求を、「友人の顔をたてるための飲み会」という一見合理的な理由で正当化できる巧妙な慣習として定着させる術として、合コンが開発されたのです。
云わばそれは道徳的な罪悪感や、社会的な批判から逃れるための隠れ蓑。
動物的欲求を、社会的な関係を維持したり新たに構築したりするためという高次な理由にすりかえてしまう事が出来る故に、大手を振って性欲解消のための決戦の場に出陣する事が可能になるのです。

以上、途中から自分でも何書いてるのか分からなくなってしまってましたが、合コンと性欲の関係についてでした。


長くなってきて、マンドクセくなってきたので、ここまでのクソ日記を暇に任せて呼んでしまった読者の皆さんには申し訳ないのですが、3については超特急ひかり号ばりの速さで書いてしまいます。




3.妄想癖について。

合コンというものは、初めての人であっても、たとえ達人であっても、永久に未知の領域を孕んでいます。一体どのような異性がそこに待ち受けているのか。
アメリカンドリームか、はたまたメキシカンスパイスか。
かの安藤忠雄氏はNHKテレビ講座でこう言いました。

「合コンに夢をみた。」(※)

そう、合コンに参加する異性を想像する事は、宝くじやトレジャーハンティング、あるいは無人島に埋められた徳川埋蔵金発掘の如き夢とロマンに満ち溢れているのです。

もしかしたら、運命の人が待っているかもしれない。。
そんな馬鹿げつつも純粋な、そして小便臭い幻想を、いつまでたっても抱かせるのが合コンです。
これがある故に、人はついつい合コンに参加してしまうのです。




これを読んでしまったあなたは、もう何故人が合コンなぞに参加するのか、理論的には完全にマスターしてしまったはずです。合コン心理学の学科は卒業です。


残り必要なのは、演習です。


従って次回からは、「合コソ心理学演習基礎」を開講(するかも)。
優秀な暇人の参加を待っています。
参加希望者は今すぐ5マン円を小生の口座に振り込んで欲しいところですが、ディアゴスティーニを始めとして創刊号だけは特別価格にすると相場が決まっているので、今回限り無料でやらせて頂きます。


・・というか何の事はない、自分が体を張って実際に体験した合コンの思い出話を、赤裸々に書いてみるだけの事なので、実際無意味です。
全くの無駄なのに何でこんな事してるのか自分でも分かりません。しかも僕はそんなに暇じゃないはず。。





(※)勿論嘘です。安藤氏担当のNHK講座は、「建築に夢をみた」でした。

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2005-06-19 16:06:08

合コソ心理学入門 (上)

テーマ:童貞社会学
桂坂を登りながら、こう考えた。 痴に働けばアレが立つ。 情に棹させば何か出る。 フェチを通せば窮屈だ。 とかく人の世は住みにくい。(※)


漱石を敬愛する一人の変態が、このようにふと思う訳です。


さて、このイントラネッツという時空自在な空間の、
ソシアルなネッツワーキングの中の、
更に辺境・辺境・偏狂な場所であるこの糞日記。


小生はここで、自分の女性に対する偏執狂的思想・妄想を度々ぶちまけ、数々の冷笑・侮蔑に邂逅して参りました。
しかし、小生にとってはこのような外聞に関する評価は、モーニング娘。のメンバーの進退と同じくらいにどうでも宜しい事であります。

そういう訳ですから、本日も恥を忘れ、ズボンがズリ下がってヘアーがポロリしている事も忘れ、歯にニラが引っかかっている事も忘れ、ただひたすらに、痴的なことを考察するのにいとまが無いのです。
低俗・変態・不健康、大いに結構。
風俗・SM・不感症、ちょっと無理。


曇天の空が広がる此処京都の、バカデミズム溢れる某研究室で、本日も小生は悶々としておりました。
しかし。
空に雷鳴が鳴り響いたその瞬間、古典的マンガの如く頭の豆電球に灯が灯り、一休さんよろしく鐘の音が鳴り響きました。


「合コン」とは何なのか!ガラガラピシャーン!(注:雷鳴)


人は何故、所謂「合コン」と呼ばれるものに参加するのでしょう。彼が「合コンしてよー」と友人にせがむとき、そしてその友人が「おれの連れが合コンしたがってるんだけどさー」とバイト先の女の子に話すとき、そしてその女の子が「ねー、合コンの話あるんだけど。よくなくない?」と数人のケバい御学友に話すとき、そこにはどのような心理が働き、そしてどのような心情が交錯するのか。


これは明らかにアインシュタインの一般相対性理論よりも、シュレディンガーの猫の話よりも、ギブソンの生態学的視覚論よりも、遥かに謎を含んだ大問題であると、わたくしこの様に考えるのであります。


小生が考える限りでは、合コンに参加するに至るには、三つの要素が必須であります。

[合コン参加の三要素]
1.孤独感
2.性欲
3.妄想癖

1について。
まずはこれについては、独り暮らしの現代人ならばほぼ誰もが潜在的に持っている感覚なので、説明する必要もないかも知れません。人は物理的に独りである場合、精神的に独りである場合、外部との強い結びつきを求めます。
これは、逆の状況を考えてみるとよく分かるでしょう。
例えば、もしあなたが家族や恋人、あるいは友達と住んでいる場合、他人(自分以外の人間という意味)と意思疎通を図りたいという欲求は希薄化され、あまり合コンに参加したいとは思わなくなるでしょう。
孤独感により、一種の急性愛情飢餓状態に陥る事が、合コンの能動的参加を促すのです。

具体的な経験に照らして考えてみてください。
例えば、学校や職場の仲間数人(異性含む)と打ち上げがあったとしましょう。
夜中には解散するつもりの飲み会が、途中で話す内容がなくなってもダラダラと帰らず居残ってしまう経験はないでしょうか?
または、飲み会のあと、帰宅し、無駄にパソコンをつけ、無心でエロ動画をダウソしてしまった経験はないでしょうか?
しかも先ほどまで飲み会で爽やかに接していた異性と似た女優さんの動画ばかりを敢えてセレクトしてしまった経験はないでしょうか?
そして三回ほど逝ってしまう経験はないでしょうか?


・・・ちょっと最後のほうは偏った例になってしまいましたが、気にしないで下さい。
ともかく、これらは間違いなくあなたの孤独感がそうさせているのです。




残り、[合コン参加の三要素]2の性欲と3の妄想癖についての考察は、次回「合コソ心理学入門(下)」に続く(かも)。



(※)夏目漱石「草枕」の冒頭、
「山道を登りながら、こう考えた。 智に働けば角が立つ。 情に棹させば流される。 意地を通せば窮屈だ。 とかく人の世は住みにくい。」より盗用。
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2005-06-19 16:01:36

族族ワンダーランド

テーマ:童貞社会学
日本人はよく「族」という言葉を使って、人をカテゴライズしたがる癖があります。

暴走族、ガングロ族、薔薇族、ヒルズ族・・・etc.

これらは、目に見える形での彼等の特徴を表したものに過ぎませんが、
もし、現代人の性格や行動原理にまで目を向けるならば、更に多様な族が
発生すると考えられます。

例えば、以下のように・・・。



『金本位族』

「お金」というパラメータが世の中と人生の全てを決定する絶対不変の要素であると考えている。
同種族間での共食いが生業であり、また幸せの源泉でもある。
成功という言葉を愛し、合理性を全ての行動の基準とする。
忙しい事がステータスの一つであり、また精神面での美徳でもある。
大して忙しい訳でもないのに自分は忙しいと信じきり、そうしてあくせくと行動する自分に酔いしれる事を何よりも好む。
論理至上主義で、物事を理詰めで考えて事ができるが、同時に、理詰めでしか思考できない。
小説も、演劇も、あらすじの緻密さと完成度の高さこそが議論の対象となる。
次に挙げる価値本意族がよりどころとする価値や幸せなども、最終的には金で手に入れる事ができると考える故に、自分達のほうが価値本意族より優位であるという意識がある。



『価値本位族』

精神面での幸せが人生の全てであると考え、それのよりどころとなる「価値」こそが最終的には他の全ての要素を凌駕すると考えている。
個々人がそれぞれ自分の信ずるところの「価値」を愛し、また、お互いのもつ「価値」を表面上認め合ってはいるものの、結局のところ他人の信ずるものに関しては全く興味がない。
お金に基づく行動原理の全てを非難し、蔑視する。同じ種族に属する者が金本位族と取引きしている姿を見た途端に軽蔑の眼差しを向けるが、自分が生活するために金本位族と取引する事は、自分の「価値」を守るためには不可抗力な事であるとして何の疑問も罪悪感も抱かない。
自分の信ずる崇高な「価値」は、たとえどんな大金でも手に入れる事ができないものであると信ずるが故に、自分達の方が金本位族より優位であるという意識がある。



『ナアナア族』

何事も、道を一本に絞って突き進むよりは、全てをバランス良く器用にこなす事を最大の目的とし、「信条をもたない事」を信条とする人々である。
二元論者を馬鹿にして楽しむ事が多い。
如何にスマートに生きるかが最大の関心事であり、何かを盲信するという事は最大の恥であり、美徳に反するダサい行為であるとみなす。
表面的には他人の考えの最大の理解者であるかのように振舞うが、常にそれを反面教師とするべく身構えており、自分以外は基本的に馬鹿であると信じている。
金や価値といった、行動原理となり得る具体的な目標物を常に変化させたり、時には全く設定させないことで飄々と生きる自分に酔う。




もっといろいろ考えられそうですね。

もし、他に皆さんが知っている「族」がいれば、
是非教えてください。

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