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福山市の石鎚山
まだまだある福山市周辺の石鎚山、もうここへは何回調査に来たかも分からないが
今回は1泊2日で回ってみた(^_^)。
どの石鎚山もなかなかはっきりとした位置情報が無く、事前の情報収集と経験だけで
行ってみたが今回は時間ロスすることもなく順調に発見することができた(^_^)。
そして今回の旅もいろいろな石鎚山へ訪れて思う事はどの石鎚山にも先人の強い思い
が込められている事、こういった事を見つけ出していくのも自分にしかできない事であり
1件1件慎重に訪問してみた(^_^)。
福山市神辺町湯野 要害山の石鎚神社
要害山への登山口は天満神社にある
本殿の裏に進むと登山口
看板には「要害山入口」と記されている
登山道は整備され登りやすい
数分で要害山の山頂である
ここはお城の跡のようであり
この看板には石鎚神社も記されている
山頂の小さな石碑には「要害龍王」とある
雨乞いの意味だろうか?そして福山には竜王山が多い
片隅には三角点
そしてこれが石鎚神社
まず思う事は建てられてる向きが不自然な事
「石鎚神社」
中に入ってお参りできるのだが・・・
もう何年も手入れされた様子もなく
石製の石鎚大神と石鎚蔵王大権現が残されている
残念で仕方ないが今の自分にはどうする事もできない
1つの木箱が残されてあり中には立派な
玉持ちの御神像が収められていた
この木箱は背負えるようになっているので
お祭りが行われその時だけ担ぎ上げられていたと思う
残り2体の御神像はどこへいったのか?
そして木箱には「誠心講社」と記されている
石鎚神社の向く遥か彼方には石鎚山
方向は正確である ! !
現在ではこういった先人の強い思いすら
気が付く人は少ない、誠に残念である
福山市神辺町観音山南東の石鎚神社
この石鎚神社の登山口は深品クリーンセンターにある
深品クリーンセンターの西にある池の横に入り口がある
ここから入っていく
少し進むと門があり左に階段がある
ここを登ってフェンス沿いに右へ進む
左上に岩盤がむき出しになっている部分が見える
これが石鎚山である ! !
見えにくいが右の木の中に石鎚神社がある
ここが石鎚神社への登拝口
お正月に付けられたのか注連縄が張ってある
すぐに大岩の前に水が溜り祠が祭られてある
八大竜王だろうか?正確には分からなかった
整備された道を数分登ると
ここが石鎚神社である
山の山頂ではなく、さっき見えた大岩の所である
石の上の常夜灯
積み重なる岩そのものが石鎚山のようである
石鎚神社と彫られてある
こんな風に石鎚山を表しているのも始めて見る
文字の向く方向は東向き
文字の彫りは深く風化もない
金幣は銅製だろうか?痛みもない
棟札には昭和46年とある、
そして本教や遥拝所の文字はなかった
福山市神辺町大字下竹田にある荒神社へ
Googleは「荒神社」とでるがヤフーは「石鎚神社」とでる
ここが荒神社だが
建物には何も記されてない
鳥居に神額は無く「大正15年」とある
中央の常夜灯は「金毘羅大権現」とある
そして一段上に石鎚神社の石碑が ! !
どうもこの石碑そのものが石鎚神社のようである
そして石碑の向く方向は東
右側には「奉登拝八十度諸願成就」
これは石鎚山登拝80回という意味だと思うが
本当の石鎚山だろうか?この時代に可能だろうか?
もしかしたらこの裏山が石鎚山なのか?
そして「大正十三年五月」鳥居より古い年号
左側には「大取締 猪岡五良三郎 八十三才」
福山市坪生町 清水山古戦場跡の石鎚神社
ここが石鎚山登拝口
登り詰めるとこんもりと森がある
森の中へ道は続いている
3つの祠があり、左の祠が石鎚山
中には3寸の石鎚大神が祭られてある
看板は2つしかなく石鎚山の看板は無い
左の龍王さんの看板は
左の祠なのか、中央の祠の事なのか分からない
ここに石鎚の文字は無かった
すべての祠の向く方向は南
「やはりどこの石鎚山もすばらしい~ ! !」
という事である(^_^)。
旅する石鎚信仰者