2007-10-23 12:40:49
金魚のおいたち
テーマ:Aquarium Talk
『金魚』という言葉を聞いて、皆さんはどんなイメージを思い浮かべられますか?
夜店の屋台の金魚すくい。風鈴、うちわ、花火などと同じような夏の風物詩・・・。
誰もが子供の頃に一度は飼った経験をお持ちのはずの金魚なのですが、近年観賞魚としてのステータスは決して高くないのではと感じているのは私だけでしょうか?
レッド・プラティやパロット・シクリッドをご覧になって、金魚みたいだからいやというお客様の声を私は何度か耳にしたことがあります。
金魚ってそんなに平凡な生き物なのでしょうか?
金魚の飼育ってそんなにつまらないものなのでしょうか?
ある調査によると日本の約500万世帯あまりの家庭で金魚が飼育されているというデータがあり、この数字は他のどの観賞魚よりも圧倒的に高いものです。
ヒーターなしでも飼育できる手軽さ、身近な親しみやすさ、その可愛らしさが人気の要因だと考えられます。
熱帯魚が主力の当店ではありますが、ここ数年金魚の販売量は徐々に増えてきており、これからの季節は品揃えもぐんと厚みを増してきます。
特に『ピンポンパール』や『パンダ金魚』など、海外で養殖される比較的新しい品種が人気のけん引役となっているような気がします。
今回はそんな観賞魚の原点とも言うべき金魚の歴史をご紹介してみたいと思います。きっと皆さんがこれまで抱いてこられた、金魚に対するイメージが変わること間違いなしです。
1.金魚の祖先
中国の文献の記述によると、今からおよそ1700年前、とある湖で野生のフナの中から突然変異によって体色の赤いヒブナが現れ、これが今日の金魚の祖先であると言われています。
10〜12世紀の北宋時代には杭州の西湖畔の仏教寺院の池で飼育され、やがて宮廷でも観賞されるようになりました。しだいに家臣たちの間にも広まり、南宋時代には金魚の飼育や販売を生業とする者も生まれました。
13〜16世紀にはそれまで池で飼育していた金魚を陶器の水鉢で飼うようになり、明代には盆魚として水槽飼育が一般に普及し中国の風物詩にもなっていきました。
2.日本への伝来
日本へは今からおよそ500年前に現在の大阪の堺港に渡ってきました。
当時の日本は室町中期、戦乱の時代。そんな時代だからこそ「侘び寂び」といった心の安らぎが金魚に求められたのではないでしょうか。しかしながら当時はまだ養殖技術がなく、数年後には姿を消してしまいました。
その後、元和年間(1615〜1623年)に再び中国から渡来してきたものが養殖され、今日の日本金魚の基礎品種となりました。
3.江戸時代の金魚ブーム
江戸時代前期の金魚は、富豪や大名など一部の特権階級の贅沢品の一つでした。
しかし江戸中期以降になると、太平の世の訪れとともに町は活気づき、金魚は江戸文化の流行の一つになりました。
当時は数も少なく高価だった金魚を、いかに効率よく養殖するかが大きな課題でした。
金魚を愛玩魚として飼っていた大名などは、率先して家来に金魚の養殖を奨励しました。仕事にあぶれた武士も副業として金魚の養殖に精を出していました。
またその頃オランダなどからギヤマン(ガラス)製造技術が伝来し、ビードロなどの吹きガラスが流行しました。それらが金魚鉢として利用されるようになり、ますます人気に拍車をかけました。
当時のマスコミの役目をしていた浮世絵・浮世草子・川柳などには金魚がたくさん登場し、江戸の町に一大金魚ブームが沸き起こったことがうかがい知れます。
4.現代金魚の課題
金魚はすべて人為的に作出された改良種です。養殖された仔がすべて親と同じ魚になるとは限りません。生産の手を抜くとたちまち品種が崩れ、先祖返りを起こしてしまうこともあります。
現在日本で養殖されている金魚の品種は、約25種類あまりと言われています。新品種も多数紹介されてはいるのですが、コンスタントに市場に流通されていないのが現状です。
多くの手間と技術を必要とする新品種の作出は、10年以上の歳月がかかる大変な作業なのです。
もう一つ見過ごすことが出来ない点として、最近の金魚の体質が弱くなったと言われる点です。この業界に生きる者として大いに心を痛めている問題の一つです。
いずれにせよ金魚は日本に伝来して以来、それぞれの時代に観賞魚として、世界的に例を見ないくらい永い年数に渡り多くの方に親しまれてきたことはまぎれもない事実です。
そして古来金魚の飼育は,今以上に高いステータスを保持していたことも興味深い点です。
伝統ある金魚を、改めて見直して頂くきっかけになれば幸いです。
夜店の屋台の金魚すくい。風鈴、うちわ、花火などと同じような夏の風物詩・・・。
誰もが子供の頃に一度は飼った経験をお持ちのはずの金魚なのですが、近年観賞魚としてのステータスは決して高くないのではと感じているのは私だけでしょうか?
レッド・プラティやパロット・シクリッドをご覧になって、金魚みたいだからいやというお客様の声を私は何度か耳にしたことがあります。
金魚ってそんなに平凡な生き物なのでしょうか?
金魚の飼育ってそんなにつまらないものなのでしょうか?
ある調査によると日本の約500万世帯あまりの家庭で金魚が飼育されているというデータがあり、この数字は他のどの観賞魚よりも圧倒的に高いものです。
ヒーターなしでも飼育できる手軽さ、身近な親しみやすさ、その可愛らしさが人気の要因だと考えられます。
熱帯魚が主力の当店ではありますが、ここ数年金魚の販売量は徐々に増えてきており、これからの季節は品揃えもぐんと厚みを増してきます。
特に『ピンポンパール』や『パンダ金魚』など、海外で養殖される比較的新しい品種が人気のけん引役となっているような気がします。
今回はそんな観賞魚の原点とも言うべき金魚の歴史をご紹介してみたいと思います。きっと皆さんがこれまで抱いてこられた、金魚に対するイメージが変わること間違いなしです。
1.金魚の祖先
中国の文献の記述によると、今からおよそ1700年前、とある湖で野生のフナの中から突然変異によって体色の赤いヒブナが現れ、これが今日の金魚の祖先であると言われています。
10〜12世紀の北宋時代には杭州の西湖畔の仏教寺院の池で飼育され、やがて宮廷でも観賞されるようになりました。しだいに家臣たちの間にも広まり、南宋時代には金魚の飼育や販売を生業とする者も生まれました。
13〜16世紀にはそれまで池で飼育していた金魚を陶器の水鉢で飼うようになり、明代には盆魚として水槽飼育が一般に普及し中国の風物詩にもなっていきました。
2.日本への伝来
日本へは今からおよそ500年前に現在の大阪の堺港に渡ってきました。
当時の日本は室町中期、戦乱の時代。そんな時代だからこそ「侘び寂び」といった心の安らぎが金魚に求められたのではないでしょうか。しかしながら当時はまだ養殖技術がなく、数年後には姿を消してしまいました。
その後、元和年間(1615〜1623年)に再び中国から渡来してきたものが養殖され、今日の日本金魚の基礎品種となりました。
3.江戸時代の金魚ブーム
江戸時代前期の金魚は、富豪や大名など一部の特権階級の贅沢品の一つでした。
しかし江戸中期以降になると、太平の世の訪れとともに町は活気づき、金魚は江戸文化の流行の一つになりました。
当時は数も少なく高価だった金魚を、いかに効率よく養殖するかが大きな課題でした。
金魚を愛玩魚として飼っていた大名などは、率先して家来に金魚の養殖を奨励しました。仕事にあぶれた武士も副業として金魚の養殖に精を出していました。
またその頃オランダなどからギヤマン(ガラス)製造技術が伝来し、ビードロなどの吹きガラスが流行しました。それらが金魚鉢として利用されるようになり、ますます人気に拍車をかけました。
当時のマスコミの役目をしていた浮世絵・浮世草子・川柳などには金魚がたくさん登場し、江戸の町に一大金魚ブームが沸き起こったことがうかがい知れます。
4.現代金魚の課題
金魚はすべて人為的に作出された改良種です。養殖された仔がすべて親と同じ魚になるとは限りません。生産の手を抜くとたちまち品種が崩れ、先祖返りを起こしてしまうこともあります。
現在日本で養殖されている金魚の品種は、約25種類あまりと言われています。新品種も多数紹介されてはいるのですが、コンスタントに市場に流通されていないのが現状です。
多くの手間と技術を必要とする新品種の作出は、10年以上の歳月がかかる大変な作業なのです。
もう一つ見過ごすことが出来ない点として、最近の金魚の体質が弱くなったと言われる点です。この業界に生きる者として大いに心を痛めている問題の一つです。
いずれにせよ金魚は日本に伝来して以来、それぞれの時代に観賞魚として、世界的に例を見ないくらい永い年数に渡り多くの方に親しまれてきたことはまぎれもない事実です。
そして古来金魚の飼育は,今以上に高いステータスを保持していたことも興味深い点です。
伝統ある金魚を、改めて見直して頂くきっかけになれば幸いです。







