「福島の現実ー福岡百子の声」

このブログでは、福島の仮設住宅、借り上げ住宅、施設、幼稚園、小学校、中学校へ必要な支援品を送る活動を続ける福岡百子さんの声と共に、津波、震災に加え原発事故で被災された方々の声をお伝えします。


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                    福岡百子






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【亡き人への感謝を】

亡くなられた尊いみ霊、肉親、友人、知人、すべての方々のご冥福をお祈りする8月が参りました。
すべてのみ霊に向かって、私たちは心からご冥福をお祈り申し上げたいと思います。

 近年、悲しい事件や殺害で亡くなられた方々があまりにもたくさんおられます。
本当に恐ろしい世の中になりました。どうしてこんなに不安な世の中になってしまったのでしょう? 
何事も原因があるはずです。結果は原因があってなるのだと思います。いつか皆様と原因
について話せることができたら、と思っております。
皆様、私たちは両親があって命をいただきました。私たちは1人で育ってはいません。
母の母胎で見守られ、父も母も祖父母も、そして医者も看護師もあなたを見守り、生まれる
その瞬間まで、どんなに心配し、母は死ぬほどの苦しみと、多くの犠牲を経て、産み育ててきたことでしょう。
あなたの名前には両親の思いがどんなに込められていることでしょう。そのことを日々感謝しておられますでしょうか? 

ちなみに私は太平洋戦争が始まる1カ月前の昭和16年11月7日に生まれました
(7カ月の早産で未熟児でした)。
もともと弱かった母は、私を妊娠した時、医者から堕ろすようにと言われたようでしたが、
“命をかけても産んでみせる”と言い、産んでくれたようです。保育器が無かった当時、母はたらい
に湯を入れて私の顔や肌を見ながら、紫色になると湯に入れつつ、苦労しながら育てたそうです。
だから名前の百子は100歳まで生きるようにと願って名をつけてくれたとのことです。
私は自分の名を書くたびに母に感謝しています。また、私は赤ん坊の時から虚弱で、現在に至るまで、
その後遺症を持っています。原因不明の病もあり、それなりに子供の頃から体の不調はあたり前として過ごしてきました。時代が今ほど医学は進んでいなかったために、私の病名はわからないで、普通の生活を送れてきたことは、今にしてみれば、感謝です。
自分の人生を精一杯、心から楽しんで挑戦して、悔いなく生きてきましたので、病名が分からないでいたからこそ、皆様と変わりない生活をし、仕事も結婚もし、今日に至れました。
しかし、ここ数年、体が急に弱ってきたのを感じていました。

昨年末、呼吸困難となり、初めて私は膠原病、難病であったことを知らされました。
全身の分泌腺が冒されて乾くシェーングレン症候群と、全身に痛みが生じる線維筋痛症。
初めて子どもの頃から味わっていた体の不調の謎が解けて納得しました。そして私は悟りました。
何事も体験しなければ、その人の苦しみも悲しみも分からない、ということを。難病になってみて、

呼吸困難になってみて、手足が不自由になってみて、孤独になってみて…初めてその人の悲しみ、
苦しみ、喜びが何であるかを知る。地震に、津波に、原発に、家を失ってみて、子どもを失い、
家族を失い、失業して…初めてその苦悩、悲しみ…を知る、悟る。人は体験しなければ、その人を理解することはできないと思いました。
私は生まれてから今日までの私のすべての体験に感謝しています。難病は辛いです。時に苦しいです。
でもなってみて初めて理解ができるようになりました。今は体の不自由な方、病人の方が同胞、仲間と感じ、その方々への支援が気になるようになりました。

皆様、お盆に当たり、私たちを産み育ててくれた両親、祖父母、多くの恩人、友人、特に亡くなられた方々を思い起こし、感謝し、私たちを守っていただきましょう。お盆を、亡くなられた方々への感謝の日と致しませんか? 今日は福島の方々も思い出し、彼らの癒えぬ心に寄り添っていただけませんか?

【被災者の声】

浪江町の請戸

「震災の日、高校3年生の孫は友人と浪江町の(全町が津波にのみ込まれた町)に遊びに行ってました。
津波が来たので、車で行っていた孫は友人の親戚3人を助け、友人の祖父母がいないのに気がつき、
再び車で祖父母を助けに行って、津波にのみ込まれてしまいました。災害後、放射線量の関係で2カ月間、自衛隊も警察も遺体探しに入ることができませんでした。
2カ月経ってやっと自衛隊等による遺体捜索が始まりました。私たち住民は見つかった遺体との面会と名前の確認をしました。

話によると、孫の車は鍵がかけられており、そっくりしていたそうです(「そっくりと」は無傷でそのままの状態のこと)。
そして友人と祖父のご遺体は傷を受けることなくそっくりしていましたが、2カ月経っていたため、
塀にくっついてミイラの状態になっていたそうです。
(酷な表現に、私はこの言葉を書くべきか悩みましたが、被災者の言葉ですので、そのまま記させていただきました。申し訳ございません)。
私の孫と友人のおばあちゃんの遺体はいまだに見つかっていません」。

〈大熊町の方〉

「津波の後、私たち住民は遺体探しに入ることはできなかった。2カ月過ぎて、自衛隊、警察が捜索に入り、探し出された順から私たちは名前を知ることができた。いまだに見つからない人は大熊町で100人いる。
大熊、双葉、富岡、浪江、浜通りの人は見つかっていない人が多い。

今は毎月、月命日の11日に、警察、消防士が海を掘って探しているが…。今は住民も入れるが、どこにいるかわからない」。
「ああ今、福岡さん、思い出したくない......!」
(彼が災害後、しばらくの間、「毎晩夢を見る。罪悪感に押しつぶされそうで寝れない」と話していたことを思い出します。「私たちが逃げる時、樹木にしがみついて助けを求めていた人がいました。その姿を毎晩夢に見ます。助けられなかったこと、見捨てて逃げてしまったことが罪悪感となっている」と。)

福島の方々は「忘れられていくこと、“お金をもらっているでしょ”と冷たい視線を浴びることは、耐え難い。
実際は賠償金をもらっていないのに、レッテルを貼られてしまっている。どうしようもない」と言います。

〈南相馬、小高町の方〉

「小高は7月12日に避難指示解除になりました。私は今まで住んでいた仮設住宅をきれいにして、
町の検査を受けて、鍵を渡して、小高の自宅に帰ってきました。12、3戸の人が帰ってくる予定です。
これからが大変です。小高は地盤が傾いています。だから家も傾いています。
小高町は家を解体している人が多い。修理費は出ません。前に東電からもらったので何とかしようとしています。
小高区の人はいまだ帰っていません。何も無い。病院が1軒。
診察が始まったが、1週間に2回診察するのみです。何も無いのでこれからが大変です」。
「放射線量? それよりも野生動物たちとの戦いです。せめて自分たちの食べ物くらいは自分たちで
しなければ、と始めたのですが、3日前にサルが集団で来て、やられてしまった。イノシシも荒らした。
いつまでも甘えていてはいけないし、他人の世話になっててはいけないので、自分たちで食べる野菜は各自作ろうとしています。今まで助けていただいて本当にありがとうございました。」

私が「これからが大変ですね?」と言いますと、「そうなんです。これからが大変です!」
(福島の被災者の自立は大切ですが、私は今後も彼らに寄り添っていくことの必要性を心に感じ、
「私たちはいつまでも友達ですからね」と申し上げました。)

【本の紹介をさせていただきます】

縁あって著者の赤塚雄三氏(東洋大学名誉教授)よりご本をいただきました。

『再考 福島第一原発事故――被災者に寄り添って考える――』
(定価1300円+税、2016年6月18日
発行、注文は仙台出版サービスセンター 電話022-264-0151)

『巨大津波災害から学ぶ』

(定価1900円+税、鹿島出版会、2013年4月20日発行)



〈お問い合わせ〉

福岡百子 
携帯メールf.mom.1941@ezweb.ne.jp  携帯電話080-5547- 8675  FAX 047-346-8675
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましてはAM11:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします。なお、すぐにご返事ができない時もありますので、申し訳ございませんが、再度ご連絡くださいますよう、お願い申し上げます。)



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