防衛省は16日、中国海軍のドンディアオ級情報収集艦1隻が沖縄県の北大東島周辺の接続水域に侵入したことを確認したと発表した。これを受け、外務省の金杉憲治アジア大洋州局長が劉少賓駐日中国公使に対し懸念を伝達した。防衛省は情報収集と警戒監視を続けている。

防衛省によると、中国の情報収集艦は16日午後3時5分ごろ、沖縄県の北大東島の北から接続水域に入り、約55分後の4時ごろに北北西から離れたという。沖縄周辺海域で実施中の日米印海上共同訓練「マラバール」に参加していた3カ国の艦隊を追跡する形で航行した。海上自衛隊の護衛艦「ひゅうが」が確認した。海上警備行動は発令されなかった
防衛省幹部は「中国は日米印の一連の共同訓練を継続的に情報収集している可能性が高い。特異な航行だ」と警戒感を示した。

中国海軍は9日未明、尖閣諸島(沖縄県石垣市)の久場島と大正島の間を北上するロシア艦隊の動きにあわせるように、ジャンカイI級フリゲート艦を接続水域に侵入させた。また、15日未明にも今回と同一の情報収集艦1隻が、インド艦艇2隻を追尾する形で鹿児島県の口永良部島付近の領海に侵入している。

中谷元(げん)防衛相は記者団に「引き続きわが国周辺海域の警戒監視活動に万全を期す」と強調。「中国側には再三、懸念を申し入れている。事態をエスカレートさせることがないよう、しっかりとした対応を望んでいる」とも述べた。





 

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防衛省は15日、中国海軍の艦艇が鹿児島県の口永良部島周辺の領海に入ったと発表した。同海域の領海に中国艦が入るのは初めて。中国艦はすでに領海を出ている。自衛隊に対して海上警備行動は発令されていない。政府は警戒監視を強めて情報収集を進めるとともに、中国の意図の分析を急いでいる。

防衛省によると、15日午前3時30分ごろ、中国海軍のドンディアオ級情報収集艦1隻が、口永良部島西方の領海を南東に進むのを海上自衛隊のP3C哨戒機が上空から確認した。同艦は約1時間半後の午前5時ごろ、鹿児島県の屋久島(鹿児島県)南方から領海を出た。海自は中国艦に「日本の領海に入っている」と無線で警告した。

防衛省幹部は中国の狙いについて「10日から同海域で行っている日米印共同訓練『マラバール』に参加しているインド艦艇2隻を追尾した可能性もある」との見方を示している。






政府は、今回の動きが国際法上認められる「無害通航」に当たるかどうかの分析などを急いでいる。中谷元防衛相は記者団に「非常に例が少ないことだ。今後も中国艦艇の動きに注目して警戒監視をしていきたい」と述べた。

中国海軍の動きをめぐっては、今月9日にジャンカイI級フリゲート艦1隻が尖閣諸島の久場島北東の接続水域に入ったのを護衛艦「せとぎり」が確認されている。外務省が中国側に抗議していた。


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韓国が不法占拠を続ける竹島(島根県隠岐の島町)をめぐり、同町が島内に建設を進めてきた調査研究施設が、近くオープンする。その施設に、ある写真が重要な資料として展示されることになった。それは、産経新聞社が昭和28年12月に竹島を上空から撮影し、翌29年元日付朝刊にスクープとして記事とともに掲載したものだ。現在、竹島には韓国が多くの施設を建設しているが、この写真にはそうした構造物が全く写っていない。つまり、韓国による「国家主権侵害」が本格化する以前、かつて隠岐の漁民が目にした竹島の「原風景」が写っており、「戦後、守備隊が日本の侵略から島を守った」とする韓国のウソを暴く資料としても注目されそうだ。

不当な李ラインに憤り、空から竹島取材

写真が撮影された28年当時はどんな時期だったのか。日本が第2次大戦に敗れたあと占領下でサンフランシスコ平和条約に調印したのが26年9月。翌27年1月、韓国が日本海の公海上に「李承晩ライン」を一方的に引き、竹島を自国内に取り込んだ。

日本は同年4月に主権を回復し、平和条約の発効で竹島が自国領と確定したが、韓国は竹島に近づく日本の巡視船を銃撃した。そんな頃だった。

写真は29年1月1日の本紙紙面(10面)を飾った。「波高き李ラインを飛ぶ」との主見出し。記事は「巡視船への銃撃、漁船の拿捕(だほ)、船員の抑留…暗い話題を生んだ李ライン水域には、水産日本の深刻な課題が横たわっている、外交交渉による解決への期待をかけられた日韓会談もその後再開をみぬまま、“暗い現実”を今年に持越して了(おわ)った」という書き出しで始まる。





産経新聞社が昭和28年12月に撮影した竹島。当時の紙面には「手前西島、後は東島=(本社双発ビーチクラフト機にて、高橋、疋田写真部員撮影=藤本航空部長、寺坂航空士操縦)」とある


同町は、竹島問題をテーマにした調査研究施設を久見地区に建設。条例上の名称は「竹島資料収集施設」だが、愛称は「久見竹島歴史館」といい、近くオープンする。

施設は木造平屋建て165平方メートル。調査研修室や一時保管室、ロビーなどを備える。忌部さんは「この写真を主要な資料として展示したい」と話し、A2サイズのパネルに仕立ててロビーに掲げる考えだ。

韓国の偽の神話を暴く証拠に

「この写真は、『独島義勇守備隊が日本の侵略から独島(竹島)を守った』とする韓国の“神話”を覆す証拠の一つになる」。島根県竹島問題研究顧問の藤井賢二氏はこう指摘する。

独島義勇守備隊は、傷痍(しょうい)軍人ら33人の民間人で構成され、1953(昭和28)年4月に上陸して常駐。56年12月に警察に引き継いで解散するまで、日本の巡視船の接近を阻止するなど独島守護のため活動した-。韓国では広く伝わる、このような“神話”がある。

だが、「この写真を見る限り、島は無人で、だれかが常駐しているという形跡もない。昭和52年に日本のマスコミの飛行機が竹島上空を飛んで取材した際は韓国政府は抗議したが、この写真の時は抗議などなかった」と藤井氏。

韓国には、日本からの独立戦争に勝って建国したわけではないというもどかしさ、悔しさがある。その埋め合わせとなるものの一つが、「独島義勇守備隊が日本の侵略を打ち破って独島を守った」という〝神話〟。しかし、「それが偽りであることを、この写真が示している」と指摘する

昭和27年、日本は本当に独立したのか

実際、昭和28年段階では日本側も、島根県と海上保安庁が共同で竹島に上陸し、不法入国していた韓国人を事情聴取したり、本紙記事でも触れていたように「島根県穏地郡五箇村竹島」の標柱を立てたりしており、韓国側の支配は確固としたものではなかったようだ。

また同年6月には、時化で母船が来ず食料がなくなり困っていた韓国人の不法入国者らに対して、隠岐高校の水産練習船の乗員が米を与えていた記録もある。

それにもかかわらず、韓国国会は政府に対し、独島に日本官憲が不法侵入した事実について日本に厳重抗議するよう求める建議文を採択。同年7月には、韓国官憲が日本の巡視船に竹島から発砲した。

一方の日本は、竹島に不法入国した韓国人に対し、退去勧告にとどめるなど実力での排除を避ける姿勢を続けた。

藤井氏は「当時、やりようによっては、日本が竹島の実効支配を維持できていたかもしれない。竹島問題は、米国の庇護のもとで対外摩擦を避けてきた戦後日本の象徴だ」と問題提起する。サンフランシスコ平和条約が発効した昭和27年、日本は本当に独立したのか-と。この写真は、そんな疑問をも投げかけている。

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