今日で大伴坂上郎女は終わりですが・・万葉集に83首!と一番歌を残した
女性歌人です!!高校の先輩に~この人大好きって言ってる
先輩いましたけどね!!化粧をしてて・・ドロドロの恋が好きでしたよね!!
口紅が真っ赤でね!!wわたしが1年の時3年生だったのですが
万葉集研究会に誘われて沢山本を頂きましたし・・
なぜか?その恋多き女にわたしは好かれてましたね!w
高校の思い出はいい思い出が多いです・・。
最後は娘があの有名な大伴家持に嫁いで!!今の富山(越中)に
赴任になってその淋しさなんかも歌ってます・・
そして・・人生短いのだから・・宴会して楽しもうって境地に至ったみたいですね!!
大体恋き女性の終焉はこんな感じだと思います・・。
越中は面白いですね!!今の天皇家は越中の豪族の出ですからね!!
日本の発祥の地なんで・・親不知なんかも不気味で面白いです!
でわどうぞ!!
元興寺 奈良市中院町
大伴坂上郎女の親族(うがら)と宴する歌一首かくしつつ遊び飲みこそ草木すら春は生(お)ひつつ秋は散りゆく(万6-995)【通釈】今夜はこうして遊び楽しみ、お酒を召し上がれ。草木ですら、春は毎年生い茂り、秋には散ってしまうのです。【補記】草木を例えに出して人生のはかなさを言い、宴のこの時を思う存分楽しんでほしいとの心。
夏四月、大伴坂上郎女、賀茂神社を拝(をろが)み奉る時、相坂山を超え、近江の海を望見(みさ)けて、晩頭(ゆふへ)に還り来たる時に作る歌一首
木綿畳(ゆふたたみ)手向(たむけ)の山を今日越えていづれの野辺に廬りせむ我等(われ)(万6-1017)【通釈】手向の山を今日越えて、私たちは今夜どこの野辺で仮寝をすることになるのだろうか。
【語釈】◇賀茂神社 山城国の賀茂別雷(わけいかづち)神社(上賀茂神社)と賀茂御祖(みおや)神社(下賀茂神社)。かつては旧暦四月二の酉の日に祭礼が行なわれた。◇相坂山 逢坂山。近江・山城国境の峠。◇
近江の海 琵琶湖。◇木綿畳 木綿を折り畳んで幣としたことから「手向」にかかる枕詞。◇手向の山 神に幣帛を捧げる山。国境の峠などの場合が多い。ここでは逢坂山のこと。
【補記】天平九年の作。なお玉葉集に入集(結句は「いほりせむかも」)。
姑(をば)大伴氏坂上郎女、越中守大伴宿禰家持に贈る歌二首つね人の恋ふと言ふよりは余りにて我は死ぬべくなりにたらずや(万18-4080)【通釈】世の人が普通口にする「恋うる」というのでは足りず、私は死にそうになってしまったではありませんか。片思ひを馬にふつまに負ほせもて越へにやらば人かたはむかも(万18-4081)【通釈】私の片思いを馬にどっさり背負わせて、越(こし)の国の方へ遣ったならば、どなたか半分でも担って下さるでしょうか。【語釈】◇ふつまに 語義未詳。「すっかり」、「太った馬に(乗せて)」などの解釈がある。◇かたはむ 動詞カタフ+推量の助動詞ムか。カタフは他に用例なく不詳だが、「片棒を担ぐ」「一方に心を寄せる」などの解釈がある。「かどひ」(かどわかす)に同じかとも言う。
【補記】天平十八年、家持は国守として越中に赴任した。京より贈る歌一首 并せて短歌
わたつみの 神の命(みこと)の み櫛笥(くしげ)に 蓄(たく)はひおきて 斎(いつ)くとふ 珠(たま)にまさりて 思へりし 我が子にはあれど うつせみの 世のことわりと 大夫(ますらを)の 引きのまにまに しなざかる 越路(こしぢ)をさして 這ふ蔦の 別れにしより 沖つ波 とをむ眉引(まよび)き 大船の ゆくらゆくらに 面影に もとな見えつつ かく恋ひば 老いづく我が身 けだし堪(あ)へむかも(万19-4220)反歌
かくばかり恋ひしくあらば真澄鏡(まそかがみ)見ぬ日時なくあらましものを(万19-4221)右の二首は、大伴氏坂上郎女の女子大嬢に賜ひしなり。
【通釈】[長歌] 海の神様が手箱に大切にしまっておいて大切にするという真珠、
それにもまさって愛しく思っていた我が子ですけれど、
現世の道理であるからと、官人の夫殿の誘いのままに、遠い越の国をめざして旅立ってしまいました――
こうして蔦が別れ別れに伸びてゆくように離別して以来、沖の波がうねるように撓む美しい眉が、大船に乗っているかの如くゆらゆらと面影に見えて仕方なく、
このようにひどく恋しがっていたら、老境に至ったわが身、果たして堪え切れるでしょうか。
[反歌] これほど恋しい思いをすると判っていたら、おまえを真澄鏡のようにいつもいつもそばに置いて眺めているのでしたよ。【補記】天平勝宝二年(750)、夫の家持と共に越中に滞在していた娘の大嬢に贈った歌。制作年が明らかな作としては、坂上郎女の最後の歌である。悲傷
天平七年、大伴坂上郎女、尼理願(りぐわん)のみまかれるを悲しみ歎きて作る歌一首 并せて短歌
栲綱(たくづの)の 新羅(しらき)の国ゆ 人言(ひとごと)を 良しと聞(き)かして 問ひ放(さ)くる 親族(うがら)兄弟(はらから) 無き国に 渡り来まして 大君(おほきみ)の 敷(し)きます国に うちひさす 都しみみに 里家(さといへ)は 多(さは)にあれども いかさまに 思ひけめかも つれもなき 佐保の山辺に 哭(な)く子なす 慕ひ来まして しきたへの 家をも造り あらたまの 年の緒(を)長く 住まひつつ いまししものを 生ける者 死ぬといふことに 免(まぬか)れぬ 物にしあれば 憑(たの)めりし 人のことごと 草枕 旅なる間に 佐保川を 朝河渡り 春日野(かすがの)を 背向(そがひ)に見つつ あしひきの 山辺を指して 晩闇(くらやみ)と 隠(かく)りましぬれ 言はむすべ 為むすべ知らに 徘徊(たもとほ)り ただ独りして 白栲(しろたへ)の 衣手(ころもで)干さず 嘆きつつ 我が泣く涙 有間山 雲居たなびき 雨に降りきや(万3-460)反歌
留め得ぬ命にしあればしきたへの家ゆは出でて雲隠りにき(万3-461)【通釈】[長歌] 理願尼様は、故郷の新羅の国より、日本の国の評判が良いとお聞きになって、語り合い気を晴らす親族兄弟もいないこの国に渡って来られましたが、天皇のお治めになる我が国では、都にぎっしりと里の家はたくさんあるけれども、どのようにお思いになったものか、縁もない佐保の山辺に、泣く子のように慕って来られて、家も造り、長の年月、お住みになっておられましたのに――生ある者はいつか死ぬということに例外はないので、頼りにしていた人々が皆旅に出ている間に、佐保川を朝に渡り、春日野を後ろに見ながら、山辺を目指して、夕闇とともにお隠れになってしまいました。どう言ってよいのか、どうしたらよいのか、すべを知らず、うろうろするばかりで、たった一人、喪服の袖も乾くことなく嘆きつつ流す涙は、お母様のおられる有馬山の方へ雲となって棚引き、雨となって降ったでしょうか。[反歌] 留めることの出来ない命ですから、家から出て行き、雲に隠れてしまいました。【語釈】[長歌]◇栲綱の 「新羅」の枕詞。栲綱は楮(こうぞ)の繊維で作った綱のことで、色が白いので新羅の「しら」に掛けた。◇うちひさす 「都」の枕詞。◇しきたへの 「家」の枕詞。敷栲の意で、寝ることに関する語の枕詞となる。◇あらたまの 「年」の枕詞。◇草枕 「旅」の枕詞。◇あしひきの 「山」の枕詞。◇しろたへの衣 喪服。◇有間山 神戸の有馬温泉付近の山。当時坂上郎女の母は療養のため有馬温泉に滞在していた。
【補記】天平七年(735)、新羅から来朝して佐保家に寓居していた尼理願が死去し、留守を預かっていた坂上郎女が葬儀を取り仕切った。この挽歌は有馬温泉に滞在中の母、石川内命婦に宛てたもの。
勅撰集より
題しらず (三首)
潮みてば入りぬる磯の草なれや見らく少なく恋ふらくの多き(拾遺15-967)【通釈】あの人は、潮が満ちるとすぐ海中に隠れ入ってしまう磯の草だとでもいうのか。姿を見る日は少なく、恋しがる夜ばかりが多いよ。【補記】万葉集巻7-1394に作者不明記の同じ歌が載っている。また小異歌が「歌経標式」に塩焼王の作として載る。
志賀の海人の釣にともせる漁り火のほのかに人を見るよしもがな(拾遺15-968)【通釈】志賀の漁師が釣の時に灯す漁火のように、ほのかにでもあの人を見る手立てがほしいものだ。////////////////////////////////////////////////////////
越中は富山です!!この前行って
親不知に霊気があって震えました!!w
夜中の3時に親不知にいたんです・・wもうやだw
北陸道に属する。現在の富山県の県域に一致する。
かつては越国(こしのくに)の一部であったが、天武天皇の御代に越前・越中・越後の3つに分けられた。
一時期、万葉集の編者として知られる大伴家持が国守として赴任し、多くの歌を残した。
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