ミシェル・クワンの近況
いつも読ませていただいているtemarriさんのブログ記事を、
許可をいただきご紹介させていただけることになりました。
http://blogs.yahoo.co.jp/temarri
temarriさん、ありがとうございます。
LAタイムスの記事を翻訳されたものです。
新しい道を歩む彼女を応援したい気持ちがありながらも、
「アイスリンクから去るときが来ています」
この言葉を目にしたとき、何とも胸が締め付けられるような感覚に陥った。
改めて自分の中での彼女の存在の大きさを認識した。
そして記事の最後の言葉に、勇気付けられる自分も。
いつか、またリンクに戻ってきてほしいな。
そのときは是非往年の名作を演じてほしい。
「East of eden」や「Field of gold」が見たい・・・・
そんな叶うかわからぬ夢を抱きつつ、「いつか」を待っていたいと思います。
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ミッシェルクワン、フィギュア―スケートをやめても人生は続く
最後の試合から6年が過ぎ、ミッシェルクワンが、フィギュアスケーターは、自分がなりたいと願っている人間性の一部でしかないことに気づいて以来かなりの時間がたつ今頃になって、かつて起きている時間のほとんどを占めていたこの競技が、睡眠時間にまで侵害するようになった。
「今になってフィギュアスケートの夢を見るようになりました」31歳のミッシェルクワンこう話す。彼女は現在、文化交流に励み、教育と文化の普及の促進に努めている。「スケートをしている時にはスケートの夢を見たことがありませんでした。目が覚めている時は滑っていたのに。本当にとてもおかしなことです」
トーランス出身の彼女は、世界選手権で5回、全米選手権で9回の優勝を果たし、オリンピックでも1998年の銀メダルと2002年の銅メダルの二つを獲得しているが、そうした試合を通して彼女の代名詞ともなったスパイラルを、この夢の中で滑っているわけではない。また、独特のやり方で芸術性とスポーツ性をうまく融合させて滑っているわけでもない。この独創的な組み合わせのおかげで彼女ののべ43回にも渡る勝利が輝きを増し、2週間前のフィギュアスケート殿堂入りももたらした。
「夢の中ではいつも挑戦することへのプレッシャーがあるのです。私はいつも遅れて、急いで靴ひもを結び氷上に飛び出して行きます。おかしいですよね」
特に奇妙なのは、今ではクワンはめったにスケートをしないということである。5月にタフツ大学の国際学科の学位を取り、その2カ月後にワシントンに移ってきた。競技をしている間には踏み込む時間のなかった興味を掘り下げるために。その頃は、彼女の世界はスケートリンクの大きさしかなかったのだ。
彼女はスペシャルオリンピックの理事をやり、大統領の所轄のフィットネスと栄養会議のメンバーであり、2月にロサンゼルスで開催されるスポーツにおける女性というセミナーのIOCの共同議長でもある。また、現大統領や前大統領と昼食を取り、最近ではホワイトハウスの南側の芝生に立って、ファーストレディーであるミシェルオバマ夫人のフィットネス促進活動である[レッツムーブ]運動の宣伝のためにジャンピングジャック運動の回数を数えていた。
しかし、彼女はいまだに謙虚で、ホワイトハウスのホリデイパーティーの入場のための行列で、大統領とファーストレディーが彼女の名前を呼んでくれたことや、今では以前には中華料理屋を経営し、現在はアーテシアとオンタリオにリンクを所有する移民の末娘が、自然に合衆国のリーダーや文化の指導者と交流できていることに目を見張っている。
「振り返ってみると、考えられないような素晴らしい人生を生きていると思うのです」 南カリフォルニアに住む家族や友人を訪れた時、彼女はこう話した。
「変化にとんだ人生で、私はそそのことがとても気に入っています。自分の居場所を見つけようとしている感じなのです。いまだに、私はいつも自分がどこに属しているのか、どうやったらインパクトを与えられるのか、長い目で見て自分は何をしたいのかというようなことを探しています」
まだ、早熟な10歳にもならないジャンプ小僧だった頃からずっと、20代の全般も含め、スケートはずっと彼女の情熱の対象であった。彼女の願いに反して、体に故障(腰部の損傷と、古傷である股関節の怪我の悪化)が起き、2006年のオリンピックを欠場しなければならなかったが、そのため、滑れなくなる前に、次に何をしたらいいのかを考える時間があった。
「私も含め、多くの選手たちが、スケーターが自分の本質なのだろうかと悩みながら、アイデンティティを見つけるのに苦しんでいるのではないかと思います。学校に戻れば何とかそれを見つけられるのではないかと思いました。でも、そこには、期待した以上に、私が興味を持ち、追求したいことがありました。
「私は今31歳で、アイスリンクから去る時が来ています。私には学びたい、そして、学び続けたいという考えがあります」
競技をしながら、UCLAでいくつかの講座を取ったが、学問とスポーツのいいバランスを見つけられなかった。その後、デンバー大学にフルタイムで通い、そこからフレッチャースクールに行った。そこで、教授たちがアメリカの政治と外交政策について系統立てて教えてくれたのだ。
先生や校長たちに子供の肥満について話す時や、世界中の若者たちに、共通の目的や願いを見つけるために乗り越えるべき言葉の壁について話す時にこうした学習はすべて役に立った。いまだに、自分のすべての関心をどのように結びつけたらいいのか確信を持てないが、しかし彼女はあらゆる人生勉強を自分の物にしようとしているところだ。
「スケーターの時はいつも生徒でした。フランクキャロルからにしても、ローリーニコルからにしても、学んだことは、アーティストはどういうものか、どのようにフィギュアスケートの芸術性を理解するかということでした」 長年のコーチと振付師について、彼女はそう語った。「人は成長するし、し続けるものです。もし私がまた19歳か20歳になれるなら、スケートをするでしょう。スケートを愛していますから。でも、人にはいつか、体のほうが『ちょっとヨガでもやった方がいいんじゃない』と声を上げる時が来るものです」
初めて全米選手権で優勝した(1996年)土地 であるサンホセで授賞式が行われるのはとてもいいことだと思うと彼女は話した。
「一回転して最初に戻った感じですね。とても感動的です。この競技への愛がそこにあります。ここまで来る道のりの中で、たくさんの素晴らしい体験をし、素敵な人たちにもたくさん出会いました。振り返ってみれば、もちろん、できなかったこともたくさんあります。でも、私は進み続けてきました」
すべて完璧というわけではない。2週間前、姉のカレンクと姪のおリビアとソフィアと一緒にワシントンを訪れた時、ナショナルモールの野外リンクに滑りに行った。クワンは、使い古され、鈍ったトーピックがついたスケート靴をはいて足を滑らせながらノービスのスケーターのように滑ったが、あらゆる瞬間を楽しんだ。
「たくさんの人たちが私を見ましたが、きっとこう思ったでしょう。『あれ、あの人滑り方を忘れている』」
いいや、彼女はフィギュアスケートを忘れてはいない。そして、フィギュアスケートも、決して彼女を忘れないだろう。







1 ■泣きました・・・
おひさしぶりです。記事の紹介ありがとうございます。転載元のブログ主さんいも深く感謝します。クワンはもう滑らないのでしょか・・・?
最後の
「「たくさんの人たちが私を見ましたが、きっとこう思ったでしょう。『あれ、あの人滑り方を忘れている』」いいや、彼女はフィギュアスケートを忘れてはいない。そして、フィギュアスケートも、決して彼女を忘れないだろう。」
で涙腺崩壊しました・・・。