奇譚・桜の森の満開の下 感想というか考察というか… | 人生イロイロ。萌えもイロイロ。

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声優、BL、映画に本。ついでにペット自慢まで書き連ねます!!!

坂口安吾の桜の森の満開の下観に行って来ました!!!
詳しくはアーティストジャパンさんよろしくっ!!!
http://artistjapan.co.jp/report01/


見てもらえれば分かる通り尋常じゃないメンバーです。
花園直道さんなんていつか…いつか…と思っていた方なのでラッキーでした。
息苦しいまでに押さえ込んだ美しい所作や動きに感動しました。
花園さんが桜の精の役なのです。
そしていいむろなおきさんがその桜の精の傀儡…というか動の部分。
原作だと

桜の森の満開の下/作者不明
¥価格不明
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山賊と女と元妻で女中の3人しか出てこないのですが、舞台だと山賊…というか山賊になる男と坂口安吾と女と傀儡と桜の精。
坂口安吾が出てきたがために話が複雑というか感じ方が変わりました。
安吾の一人称なのか三人称なのか神の視点三人称なのか…です。

新版 小説道場〈1〉/光風社出版
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小説道場の何巻だったかは覚えていませんが、視点によって書ける情報と書けない情報があるのだと知りました。
確か高校生くらいの時かな~。
なのでこの舞台を観ていてどうしても二通りの感じ方がしっくりくるので不思議だったのでした。
これは安吾の一人称なのか神の視点三人称なのかで違うのだなと。

まずは神の視点三人称から。
オープニングを観ていて思ったのが、まるで精神病院のようだな~でした。
患者である「男」と精神科医である「安吾」だなと。
ずっと困惑顔の男の話を書き留める安吾が精神科医のようでした。
しかも衣装が白シャツに黒パンツという出で立ちの「男」の語りで物語は進行していきます。
ところが途中で語りは安吾へと変わっていくのです。
このあたりでおや…と思いつつ見ていると「桜の木には…何かある」の何かあるの部分は男と安吾が2人のセリフなのです。
この時の安吾のご満悦なしてやったり顔。。。
私からは安吾が男を支配し始めたように見えたのです。
そすて男は何かに誘われるようにも操られてようにも見える緩慢な動きで次元の壁を越えて「男」から「山賊」になります。
それを眺めながらほくそ笑む安吾の恐ろしいこととといったら!!!
精神病患者の妄想のように見えるのは山賊の肉体としてのいいむろさんと精神としての中川さんで2人で一つのような役割に見えたからでした。
都へ向かうための準備シーンも白シャツ黒パンツ姿の男のお着替えを手伝うのも、男が語ってる間の山賊なのもこのいいむろさんなのです。
二幕目の首遊びでも傀儡なのもいいむろさんだし首を取って女に渡すのもいいむろさん。
中川さん扮する男はやはり精神的な存在で肉体を伴って行動はほぼしていないのです。
桜の森に帰るときも気がつけば背負ったはずの女が「鬼」である傀儡に替わっている。
肉体と精神が戦うわけですよね。
そして心であった女を殺して肉体も滅ぶ…そうしたら精神が無事であるわけもありません。
そうなのです。
山賊=男の精神
傀儡=肉体
女=心
きっと男はナルシスト。
自分しか愛していない。
なので自分のある女に出会って首遊びなんてことにも平気で加担できるのです。
女が首に夢中で退屈だし、気持ち悪いし古巣に帰りたい。
でもナルシストだから頼られると嬉しい。
「お前がいないと行きていけない」なんて…ね。
周りを傷つけても無頓着であるからこそ平気で人妻寝とったり、ふと気まぐれに他の女を手折ったり捨てたりしてきてあちこちで恨みを買って生きてきたのかなと。
そして2人で一つの役割といえば、現実世界を操る安吾と妄想の世界を操る桜の精。
安吾は「男」を憎んでいて追い込んでいくように感じました。
話を聞いていたはずなのに、気が付くと安吾が語っていて男を誘導しているように。
安吾は闇属性のようで7人の山賊の妻たちを殺すシーンの書きっぷりを見るとむしろ妻たちも憎んでいるかのようにも見えます。
なので安吾は男に妻を寝取られるかしての復讐なのかとすら思わされます。
ラストシーンは怯え惑う男を残して安吾はさくさく退場します。
本当に舞台から降りて客席抜けて出て行くのです。
あれは男を物語に閉じ込め用としているのだと思いました。
あの感情もないような冷たい目で男を見上げる怖かったです。
最後には女も消えて男も消えて安吾の復讐はなったのだと思います。
つまり安吾は神の領域で男を操っていたんのじゃないかな~と思いました。



でももう一つ捨てがたい解釈があって…
これは安吾=山賊という一人称的な解釈なのです。
三人称だと桜の精のパンチが弱いというか…あんなに妖しくも美しいのに!!!
と、パンフを眺めていたら…
安吾と山賊が似ているという話を読んでいて安吾と山賊が同一人物説も唱えてみたくなりました(笑)
そして桜の精の美しさ凄みのある妖しさを活かせるように無理やり考えなくてもすとんと解釈が落ちてきましたねぇ。
桜の精は罪の象徴というのはでどうでしょう。
新たな罪人と入れ替わる事によって桜の森が護られ妖しさも保っていけるというか。
長いながい時空の中で桜の精でいるためには、消えることのない罪悪感とか贖罪の気持ちがあるからこその人の心を惹きつけるのだと思います。
この場合、桜の森に魅入られたのは安吾。
昔読んだ黄金さんの薄い本を思い出しました。
絵画の中の英二に魅せられて絵の中に次元の壁を超えていく大石さんのお話なのでした。
魅入られた安吾次元の壁を超えて山賊になったのです。
桜の精は男を手に入れるべく女と傀儡を使って取り返しの付かない罪を山賊に犯させようとします。
山賊は物は盗っても人は殺さなかったから。
実生活の安吾も人並みの誘惑にノセられることはあっても外れることのない人だったのでしょう。
生きるために仕方なく…でさえありませんものね、首遊びなんて。
普通の感性の人間がどこまで堕ちられるか…
7人の妻殺しも現世との別れというか…もう買える場所はないのだと真っ先に教えるための儀式のようにも思えます。
思えば男が終始困惑顔なのも、迷いがあるからなのでしょう。
そして山賊は安吾は桜の精と入れ替わるのです。
桜の精は立ち去り桜の木の中に入っていく男。
安吾も山賊が桜の精になったから消えたのかな~と。
女も傀儡も桜の精も安吾すらすべてが消えて静寂の中、全てを知っているのもただそこに在るのも桜の木だけ…
とても美しい世界だな~って思いました。

どちらかと言うと原作だけなだと一人称よりの世界だなと思いました。
狭い濃密な空間の中ですべてが消えて桜だけが在る。
どんな悲劇も惨劇も秘密も全て桜だけが知っているっていう。
ですが舞台を観てると原作にはないキャラが動き回るのでねぇ。
思えば原作には桜の精すら出てこないのですもの。
でもこの不可思議な桜の精の存在感だけは原作からは漂っていて。
いや、むしろ原作からは桜の精が増える分だけ森に木が増えそう!!!!
入れ替わるのは舞台であの柱だけの桜の木に中で出入りシーンがあるからかしら。
同じお話でもいろいろな解釈の仕方ができるからぐるぐる考えるのがすごく楽しいです。
そして舞台だと目も楽しい。
美しいものをたくさん見れましたし!!!


それにしてもあんごっけーの美しさときたら…
安吾の衣装見てて野暮ったい…と思っていましたが、造形の美しさが際立ってましたねぇ。
思えば京都公演観に行きたかったな~っ。
京都の雰囲気だけで物語に深みが出そうです。

純文学と一慶さんって本当にお似合いです。
朱日記も楽しみ!!!