2008年02月25日(月)

起きて見る夢

テーマ:ブログ

夢の中での出来事の認識は一瞬である。


誰しも、目覚め前の一瞬で見た夢が、現実に起こった出来事と、例えば、足の上に落ちてきた誰かの体だったとか、外から聞こえてきた鐘の音だったとかと、なぜそううまく繋がっているのだろうかと、そう思ったことがあるだろう。

実は、その瞬間に一連の夢が形作られている。そういうことらしい。


あの神秘的な共時性というものも、人のそういう能力と関係しているだけなのかも知れない。

無意識内では時間性はない。過去と現在が混然となっている、部分が等しいと全体も等しいというような非合理な規則が通用する世界でもあるということだ。


そういうものを内部に抱えた主体である我々が認識しているのが、我々の世界である。

非合理性というのは、私達の内部にあって私達の外にはない、実はそういうことだけなのかも知れない。


翻って考えて見れば、物事の道理を認識するのが、そういう輩である限り、まあ、物事を内からも見れる人もいれば、外しか見れない人もいるけれど、たいしてその正当性に違いはないのかもしれない。たかだか、それだけのことに目くじら立てたってしょうがない。



「人生は一瞬の夢である」。そういう知見というのは、誰でも持つものなのだろうか。だいぶ、あっちサイドに行ってしまっているような言葉で、こっちからは、月を見るようにしか眺められない言葉だ。私にはそんな知見はない。

でも、そういう言葉があるおかげで、夜道も歩けるということだ。


夜を過ごさずに済む幸せな人もいるらしい。そういう人は、夜には目をつむっているだけだとおもうのだが。

ずっとつむっていられるなら、それはほんとうに幸せなことだと思う。そういう人を、わざわざ、起こしてあげる必要はない。寝返りを打たれて顔を張られるのがオチだからだ。


と思っていたが、どうせ、寝ているのはどちらも同じだから大差はない。そういうことになるのかも知れない。

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