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2012年03月29日(木)

さーくーらー、さーくーらー♪

テーマ:日記
妹から誕生日に電話。「誕生日おめでとう!」と。
まったく人情の機微に富むヤツにはかなわない。

そして花見に行きたいねと。花見といえばやっぱり京都へ。
コースを見繕っとくわと電話を切ったのだが、さてどうするか。

欲望のかたちが明確な人っていうのは付き合い易い。相手をしていて楽である。
そして欲望のかたちが明確な人は強い。
自分はぼんやりさんなのだけど、旅に出るときにはけっこうくっきりはっきりしている。

まず、何がしたいか、どこへ行きたいか、何を見たいかというのと同時に巨大な欲望がムクムクと入道雲のように現れる。あまりに大きくなって心が張り切れそうになる。そうなったら、その時点でその旅は9割方成功しているといっても過言ではない笑

たぶん好きな人に会うっていうのはそういう点ですごくはっきりしていて良い。そのコが自分が行ったことがない場所に住んでいるとなれば、もうそれだけでその入道雲は巨大化するわけだ。そしてそれを中心に予定をあれよあれよと組んでしまう。ああ、生きてて良かった!

まあそんなわけで、そんなときには、予定を立てる、計画を立てるときっていうのがすげえ楽しいわけだ。まあ、いろいろブチこむね。そうやって計画を立てるといろんなイメージが明確になってくる。その過程が非常に重要で。
実際、ロングレンジの旅に出て、海外だといろんなトラブルが起こったりするわけだけど、「そこに行きたい!」っていう気持ちが強いと、五感だろうが無意識だろうがその瞬間に総動員しているらしく、神様のご加護もあって、なんとか辿り着けたりする。

そんなときの強さというのは、意思の強さというだけではない、何か自分の周りにひとまわりデカイ自分がいてそれと一体化しているというか、そんな感じがする。それが強運を引き寄せるような気がする。

日常生活でも同じで、たぶんいくつかの、ショート、ミドル、ロングタームでそれぞれの目的ができるとそれを計画に落とせばいいだけなのだけど、一番難しいのはなんたって欲望を巨大に入道雲のようにムクムクさせることで。ムクムクさせるっていうのが難しい。神のみぞ知るっていうか。ムラムラすることはあるんだけどね苦笑。なんかそれとは次元が違うというか。

で、京都花見ツアーである。昨年は、「そういやオレって枝垂れ桜って見た事ねえな。40年も生きているのに…。このまま見ずに死んでいくのか、オレ?(←大げさ)。枝垂れ桜が見たい!!どーしても見たい!!」っていうのがあって。

とりあえず、清水寺も小学校の修学旅行以来行ってないし、高台寺もなつかしいというところで。

4月10日(日)
<午前> 清水寺 

$ニャンちゅうなブログ-清水寺

$ニャンちゅうなブログ-清水寺 その2

<午前> → 高台寺 圓徳院 (残念!すこし盛りを過ぎてた)

$ニャンちゅうなブログ-高台寺

$ニャンちゅうなブログ-圓徳院

<正午頃> → 円山公園 

$ニャンちゅうなブログ-円山公園

<午後> → 二条城

$ニャンちゅうなブログ-二条城

$ニャンちゅうなブログ-二条城 その2

と洛東(祇園周辺)と洛中を攻めてみたわけで。なかなか充実してたのだけど。
さて、今年はどうしようかな。妹と姪っ子連れなのでこんな無茶な回り方はできないから、一点集中でお得感があるエリアって。春休みの期間でというとどこがいいかなあ。

2012年の桜は、平年より少し遅め。4月の第1週目の半ばから見頃となり、8日(日)、9日(月)が満開かと思われます。第2週目までは楽しめそうです(見頃情報は日々、多少変化します)。

だそうで。醍醐寺にしようかな、高台寺の桜もリベンジしたいしな。うーむ、でも今週末だとまだきびしいな。他にいいとこないかしら。京都桜情報のリンクを一応貼っておこう。

京都の桜情報 2012:京都新聞
2012年03月26日(月)

エゴ

テーマ:ブログ
『ナイト・トーキョー・デイ』を観始めた。
田中泯が出ている。



彼のセリフの間が心地よい。あまり偏ったモノの見方かもしれないけど、彼の踊りと彼のセリフの間はどこか似ているように思う。自分に気持ちのよい「間」を作っているのだろうけど、それが相手に自分を判断されるのを待つ間でもあると。

異邦人の目をもって東京を眺める。
海外から帰るとき日本航空以外の便で帰ると、日本の案内的なプロモーション・フィルムが、席の前についているモニターに流れることがある。日本到着の直前だけど。

築地だとか、普段日本人が意識することがないところを異邦人の目で撮ったフィルム。あたりまえだけど、あたりまえでない日本をそのとき日本人が知るというか。
たぶん初めて観るとちょっとしたカルチャーショックを受ける。
そうか、こういう見方があったのかと目からうろこの部分もあり。

自分がこの10年のうち、得た極意はなんだろうと。
そういう極意は全部自分でなく人から得たものだけれど、
その一つ目は、物事をよく観察すること。
そして二つ目は、自分のペースでっていうこと。
正直この2つだけだけど、この2つで充分だったと思う。

後の先を取るっていうこと。
それはこの2つのことから成り立っているのだと思う。

自分は晒す。
しかし自然体なようで観察をしている。
カウンターというのとは少し違うような。。
合い気なのだと思う。

会話も同じだし、踊りも同じだし。たぶん歌とかも同じ。
結局、「自分が、自分が!」っていう気持ちの人っていうのは、相手に理解されることはない。全部相手次第だと。相手が理解してくれなければ意味なんてない。
そしてそれぞれの理解を受け入れて、新たにそれを受けて考える。
そういう試練にあえて自分を晒す。

そして出したもの。
それに新たに相手が反応してくれれば嬉しい。そしてさらに。。

ペイフォワードなんだと思う。
自分が疲れてしまってやられてしまう、それも一興。
相手に自分の何かを少しでも貰って貰えればそれで結構。

ある意味それもエゴイスティックで、
そしてそれって究極にエゴイスティックなのかもしれない苦笑。

だが、それも本当は甘い考えで、他者の、異邦人の目にしてやられるのだ。
実際には。リアルな現実とはそういうものなんだろう。
2012年03月25日(日)

真ん中作品

テーマ:ブログ
盗難防止のスーツケース。



フィルムの古い感じがいいなあ。
こういうフィルムの色ってデジカメで出せるとカッコいいと思うのだけど。

そういえば、トムとジェリーによくこんな発明品のアニメーションがあって、30分のマンガ3本中の真中の奴。好きだったのだけど、考えてみればアメリカってこういう発明が好きなのね。サイズがデカいイタズラ的な。こんなことしたら笑える的なものを本気で作ってしまうところがすごい。

暇なんだろうかともおもうけど、たぶん無邪気な好奇心?あと人を楽しませたい的な感じ?でも今はこういう感じのゆるい製品ってもうないんだろうなあ。
60年代風の大らかなデザインっていうか。

おっさんがわざとらしく持ち手をしかも身構えながら握る感じのユルさがええわ。

あ、これブリティッシュなのね。http://britishpathe.com/video/beat-the-bandit
でも、発音はアメリカ英語だしなあ。イギリス人がアメリカ人をおちょくる感じかな?

ハートフルなデザインなクルマなら買いたいわ。86もいいけれど。
どうせ、乗り捨てられる物なんだったら、
「あの時代のアレ、かっこよかったよね。いまじゃもうないのが残念…」
っていうデザインのものを作るのが粋ってもんだと思うのだけど。

YouTubeトムとジェリー 真ん中作品 「ステキな自動車」
2012年03月14日(水)

プリンシプルとはストーリーを作る能力なのだ

テーマ:ブログ
小学校3年生のとき、工作で空き箱の中に遊園地を組み立てるというのがあった。

材料は自由。
小学校3年生といえば、8歳とか9歳。自分は早生まれなので8歳だった。
女のコはもうこの頃にはまあ個人差はあるのだけど結構できあがっているのだけど、男のコの場合できあがるまであと1年か2年くらいかかるわけで。

工作なんてそういうのが如実に出る。たぶん、それはストーリーを作る能力の差のような。それを物語と言っていいのかどうかわからないけれども、でもたぶんそれって、大人になる上でのコアになるというか。今考えるとそんなふうにも思う。児童心理学はよく知らないのだけれど。

たぶん、それが出来る前なので、意識は雑然としていて、というか目先にしか意識が言っていないような子供だったのだろう。自分はとくに手も遅かった。今思い出すと、自分が作ったものは30cm×40cm角くらいの箱のなかに3つか4つぐらいしか遊具がなかったような気がする。ジェットコースター的なものと、ブランコ的なものと。塔のようなものと。雑然とすらしていなくて、スカスカだったわけで。同級生のコたちのを見ると、いろいろ作っている。今でもあのスカスカな箱をたまに思い出す。

デジカメを持つようになってから、人が撮った写真にも自分が写真を撮ることにも興味が出て来ていろいろ眺めたりしているのだけど。始めはそれは構図なのかなあと思ってて、前景、中景、後景を写真撮るときに一応考えて撮っていたのだけど、どうもそれって、それだけではなくて、構図を考えるのは、ストーリーを自分の中で一瞬のうちに考えて撮るためのステップだったような気がする。
複数のポイントで事態が進行していて、フレーミングしたときにそれに気付くというか。あるいは、複数のポイントを見て、それをカメラのファインダーの中に入れるときに頭の中でストーリー化しているというほうが近いか。

写真を見てて、最近よく感じるのは、主題が1つだけっていうのは、正直見ててやっぱり飽きる。その人が意識していないものまで、実はけっこう現場では無意識では見ていることがあって。
いま、ちょっとググッてみたら写真は引き算だと。オレはまったく違うと思う。それは古い考え方というか。そこを切ってしまうのはほんともったいない。

スカスカな箱にはストーリーはない。

前にプリンシプルについて考えたことがある。
日本語にはないプリンシプル。日本語は原理。原則。根本。主義。信条。なんかどれもいまいちしっくりこない。プリンシプルのない日本 by 白洲次郎って本があった。おいらも読んだけど。
そのときは、プリンシプルっていうのは考え抜くことだと書いた気がする。
考え抜くっていうのはなんだろう?

スタンバーグ(Sternberg, R.J.)は、高い知能をもつ被験者は低い知能の被験者と比べ、「問題の枠組み化」に時間をかけることを発見した。
「問題の枠組み化」とは問題を定義し、分析し、それについて述べることである。


たとえば、ある障害がある。
それの問題は何か。それを分析する。原因を突き止める。さらにその根本原因を突き止める。それに対する対策を考える。

たとえば、ある問題がある。
その問題が起こっている背景は何か。どういうものがあればそれを解決できるか。基本設計。そのモノに持たせる機能は何か。機能設計。順次ブレークダウンしていく。

「障害修正」あるいは「機能追加」そういうのは得意なのだ。そこにも考え抜く作業はある。だけど、プリンシプルというのはそこから更にジャンプしたところにあるように思う。地平そのものが違うというか。たとえば、iPhoneとかWindowsとか。最低でもそのライン。さらにもっと深い地平にあるのはTVだとかジェットエンジンだとか電話とか。そのあたりになるともはや常人では無理なのでそこは置いておこう。

なんかね、もしかしたら空想力なのかもしれないと最近思えてきた。そしてそれをストーリー化する能力というか。そして更にそれを実際にいろんなものから引っ張ってきてスクラッチから工作する力とか。それってある意味、遊ぶ力でもあって。その遊ぶ力というのが、個人そのものの力、個の力のような気がする。日本だと学校教育でできるだけ排除しようとしているもののなかにあるというか。アメリカ見てるとそんな気がする。

ストーリーを作る力というのは、化学や物理ではなく、工作によって培われるんだと思う。昔の中学校では、技術・家庭って呼ばれてた授業。正直、入試にはまったく関係ない授業のほう。理系の科目ができればいいっていうのではなく。

日本はなぜ、国際科学五輪で勝てないの?(クリックで飛びます)

基本的に大学の理系の3,4年次で学ぶものと高校までの学問とは全く違っていて。
実験道具すらないから自分で作らなくてはいけないこともある。それは、理系離れとかいうレベルの話ではなく。要は、問題すら自分で作り出さなくてはいけない。それすら与えられるものではないわけで。
ストーリー作ってモノを作り出すという能力というのは、むしろ工業高校とか高専とかで培われる能力のほうがより近いのだと思う。いわゆるお勉強ではなく。

なんかそういうところをあたりまえのように見失ってるよね、日本。
そして自分も実はそうなのだ。会社にあってもスクラッチからものを作った記憶がない。

あまりに範囲が大きいのだけど、たぶんプリンシプルというのは、そういうものすべてを含めた総合力であって、基本となっているのはやはり、「無からストーリーを作り出す力」なんじゃねえかと思う。

自分が子供の頃は、仕事から退いたじいちゃんが孫にモノの作り方を教えたりしてたのだけど、遊び道具を作ってて。今ではそういうこともなくなってしまっていて。ほんとは、子供が今塾で習うのはそういったもののほうがいいのになあと。少なくとも土日はそういったものをやったほうがいいんだろうけど、まあ今の安全・清潔・リスク回避なんていうのが至上命題になっている現状だと無理な話で。汚れても多少ケガしても平気だっていう時代だったから、戦後復興も高度成長もあったのだけど、今はそれすらないわけで。正直、この国はもう終わっていくんだろうと思う。でも、最後にネバれる根性さえあれば逆転可能なんだと。少なくともそうは思いたい。もういまや根性論くらいしかないわ。そして意地と。やっぱ、基本はソレなんだよね、おいらが最も嫌いで最も持ってないヤツ苦笑。
泥臭さがないヤツは逆に今はカッコ悪い。男は特に。最近、坂本教授のCMとか活動とかよくTVなんかで見るけどなんだかすげえかっこわりいよ、トレンド(死語)っぽくて。上っ面な感じがするんだよなあ。まあ、今や逆に時代は一回転してそういう時代なんだと思う。プリンシプルって、もっと突っ込んで言うと汗かいてしか得られないものだとおもう。白洲次郎氏ってカッコいいんだけど、やっぱいろいろ読んでると汗かいてる。そこがカッコいい。
2012年03月11日(日)

無間道

テーマ:ブログ
時効警察を観てた。

その前に維新・西田薫議員卒業式で不起立教員を愚弄、PTAの抗議を受け謝罪っていう記事を読んで。そしてその問題のブログも。

時効警察のいいところは、日常の些細なところをつっこんでいるあの感じで。
ほんとはみんないろいろあるんだよ、たいへんな問題とか、人に言えない大きな悲しみとか。そういうのも含めてね、それぞれの人の生活があるわけで。

少なくとも、昨年の今日に多くの人のそういう生活がいきなり無くなってしまったわけで。犠牲者の多寡でなにかが決まるわけではないのだろうけれど。

インファナル・アフェアっていう映画を観たときに、
無間地獄というのについて「はっ!」と。
無間道っていう中国の題名なのだけど、香港映画なので。
この世は無間地獄だっていう映画なのだが。

輪廻思想を前提としているのだけど、はたしてそれを地獄と思うか極楽とおもうのかっていうのは、あたりまえのようにその人次第なのだけれど。
そんなふうな個人の尊厳を演台の上から語る人っていうのは。。
ああいう台の上にあがってしまうと、遠くを見渡せるようで、実は逆に目の前にあることしか見えなくなるってことがよくあるらしいんだよね。

自分のオヤジは町会議員だったのだけれど、演台の上に上がるのが大嫌いで。
こういう卒業式なんかの場で喋らなくてはいけない場合も、生徒と同じ床の上で同じ目線で話をしていたと。自分はオヤジは大嫌いなのだけど、そういう人としての基本的な筋を通す姿勢というのは尊敬している。

それぞれの人にはそれぞれの生まれ育ってきた道があって、それぞれの生活があって、それぞれの喜びや悲しみがある。それとは別に多数決で決められた正義というものもある。
それはそれ、これはこれ。当たり前のような生活の中でそういう社会的な賞罰も含めてのそれぞれの人の生であるわけで。

こんなふうに何かを言えば何かが返ってくる。言いようのない怒りを覚えたり、わけもない自己嫌悪に陥ったり、他者を恨んだり嫉んだり、こらえようの無い悲しみに打ちひしがれたり、しょうもないことで腹立ったり、そんなこともあたりまえのように享受できていること自体、生きている自分にとっては幸せなことだとしか今は思えない。だから、いろいろあってもこの世は無限に続いて欲しいのだよね。

心からご冥福をお祈りいたします。

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