サッカーU-20の講評がネットに上がってた。

 

日本代表は試合中メリハリがないと。

 

ただただサッカーをやっているだけで、戦略が見えにくかったと。

 

俺もいくつかのスポーツ指導に当たったことがあるけど、何と申しましょうか、どストレートに言ってしまえば、日本国内地域で上手いと言われている奴に限り阿呆なんですよね、主観ですが(日本代表にもなる位の精鋭なら戦略も頭に入ってるに決まってますが)。

 

要は国内だとフィジカルだけで勝ててしまうから、戦略がいらない。こうやればもっと大差で勝てると言っても、勝てれば良いじゃん?で終わる。調子に乗っていると言ってもいいと思う。

 

そこに、国内でももっと上手い奴とか、外国との試合とかになると当然フィジカルだけでは通用しなくなってくるわけですよ。

 

そこで何故だになって、コーチ陣がやっと教えると覚えようとする。これでは遅れが生じて当たり前。だんだんやる気無くす。これパターン。

 

特にスポーツやっている子は極めて不良度が高いと申しますか、大人の言うことなど聞く耳持たない子が多く、負けてしまっても戦略が無かったからと伝えても、苛立ちだけが残り戦略が頭に入らない子もいる。

 

この悪循環はどうやったら途切れるのかと思うけど、体育会系の悪しき伝統も頭の凝り固まりに貢献しているのではないかと俺は思っているのだけど。

 

とにかく、スポーツは頭を使うのだということをそれこそ頭に叩き込んでほしい。

 

ほれ、某〇子のバスケでも言っていたじゃない。

 

「バスケは馬鹿でもできる。でも、バスケは馬鹿では勝てない」

 

ってね。

 

いい言葉だと思うよ。

 

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俺が意見しようが何も変わらない。


そう!何も変化(影響)を与えないんで、ぶつぶつ書きます。


そもそも、何をどうしたいのかよくわからないこのシステム。


なんで、みんなの意見を見ながら主観を書きます。


気になったのは大きくこの3つかな↓



・管轄行政・組織体系の変更

・株式会社等の参入緩和

・人材雇用の在り方



では、最初の「行政・組織の変更」について。


こども家庭省・・・出来ませんでした。


厚労省、文科省に加えて今回から内閣府も保育に参入。


こども園も統一できず、既存幼稚園も残ることになりそうです。


まぁ、そもそもなんで保育園と幼稚園を一体にするって話が出てきたのかよくわかりません。


幼稚園にも保育機能を持たせて待機児童を解消させる狙いがあるとは聞きましたけど。


だったら保育園増やせばいいんでね?とかね。


保育園と幼稚園て子供預かるところは一緒だけど、中でやっていることは違う部分もあるしね。なかなか統一は難しいと思いますけどね。


小学校と学習塾的な差?どっちも子供に勉強教えているのだから統一しようっつても、いやいや・・・みたいな。


いや~予算が無くて保育園増やせないんですよねっつっても、2つめの株式会社等参入を幅広く認めるわけだから、保育園出来てくでしょ?幼保改革しなくてもと思う。

んで、2つめの「株式会社等参入」について。


営利団体が参入する事によって、利益重視になって保育の質が落ちるっていう反論があるみたい。


でもそれってそんな保育園に預けなければいいって話じゃなくて?保育園て強制入園じゃないじゃん。私立なら選べるし。逆に競争原理が働いて保育の質が良くなる気がするんですけどね。質が悪くても入園させないといけないほど待機児童は深刻なのか?


最後の「人材・雇用」について。


非正規をどんと増やす計画のよう。これには反対。


いくら雇用を増やしても非正規、ましてやバイトばかりじゃ、なり手いないし、プロフェッショナルじゃなくなるし、日本経済が潤うなんて笑える話。


加えて、ちょっと話が大きくなるけど、行政が保育する義務を放棄できるようになるそうで。公務員保育士が減るんじゃないかなと。


その分、民間保育士が増えれば別に問題ないのだろうと思うけど、やはりそこは正規で、生活出来ていけるようにしてあげてほしい。


そうでなく、あくまで非正規を増やすのであれば、「成長への貢献」とか「将来の日本経済社会の担い手」とかいう文言は消してほしい。バイトごときで成長に貢献しないし、担い手なんてもってのほか。


あと最後に、行政の保育義務放棄の話だけど、直接責任負わなくても、間接的には負った方がいいに決まってるよね。民間だけの責任じゃ危うすぎる。


なので、公設公営しなくてもいいので、民間での事故も行政がなんらかの責任を負うべきだよね。設置させた責任。補助金を払う責任。


さて次は小中学校教育について思いをはせてみるか。

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渡剛くん。いや渡剛代表理事様。運営団体はアットスクール(来年NPOになるらしい)。


以前にも紹介したけど、俺が学生時代に考えた事業を実現している団体です。


主な事業は一人親家庭支援事業(多分)。


あまりにも考えていた方向性が似ていたので、存在を知ってから気になっているGUMOLです。


そんな中、代表の渡くんのブログに衝撃的発言が。


「アットスクールのことを考えているのは1日に45時間」


・・・バイトですね、それでは。


確かに日本人は無性に働く人種ですから、その点は改善点だと思います。


しかし、代表ともなる方が、45時間しか考えていなくて、はたして部下がついてくるのか?


実際、考えることに関しては業務を行っているのとは別。24時間365日考えていても問題はありません。仕事はなるべく時間内に終わらせることが重要ですが。


加えて、


「ごうはボランタリーすぎる」


と言われている点も衝撃でした。


日本では良い事とされているボランティア精神。学生は意地にもボランティアしようとします。それが就活のステータスになるかららしいです。


しかし、ボランティアは大概が無償です。有償ボランティアもあるらしいですが、私はそれはアルバイトと同義だと考えていますので、ボランティアには当てはまらないと思います。


世界中でもボランティアは好意的に思われているようです。特に米国ではボランティア含むNPOが国内で認知されているようです。


しかし、渡くんが目指していたのは「社会企業家」だったのでは?というので引っかかた点。実際問題ボランティアは日本では認知されないという点で少し肩を落としました。


社会企業家であること。すなわち、私の考え方では、組織を経営していく者(社長等)と同義だからです。組織を経営していく以上、資金は必要不可欠。ボランティア(無償)でどのように経営していくのか?これは1年前渡くんに出会って以来心配に思っている事でした。今でもボランティア精神は消えていないようで、それはそれで良いことなのですが、それでは組織が潰れてしまいます。寄付や補助金で経営していけばいいという考え方なのかもしれません。しかし、1年間アットスクールを運営してきて、資金の重要性を感じられたはずです。補助金に頼っていては、いろいろと規制がかかるでしょう。寄付金はまだまだ日本では認知が低いのでないかと想像してます。


加えて、確か創業時にもすでに補助金を政府から受けていたはずです。これはすなわちみんなの税金。税金をもらった以上は常にその目標に向かってまい進しなければ納税者に説明のしようがありません。さらに、その運営団体の代表でもある。日本は大体8時間労働。最低でも8時間はアットスクールに注力してほしいと納税者は思うでしょう。補助金をもらってしまった以上、アットスクールを成功させなければならない責任を負っています。


「何もしなくてもいいから、常に団体を事を考えていないといけない」


と理事の方から言われていたようですが、確かにそのとおりであり、結局は納税者への責任を代表が負っているので、それだけでも大した根性です。それだけの根性があるのですから、なりふり構わず事業に邁進してほしいと思います。


以前、能島さんという方に「NPOの運営の在り方」をお訪ねしたときに、


「社会性を伴っていても、無償でなく、有償でやっていける状態になりたい」


能島さんは正直かなり考えられていると思いました。事業のことだけを考えてなく、運営も考えている・・・簡単に言えばこれになると思います。


昔、欧米で働いていた人に言われたことがあります。


「日本ではボランティアは好意的に思われているが、欧米では差が激しい。無償=無責任ととられている面もある」と。


確かにこの近代社会においては、責任は金銭取引がないと生まれにくい。ドタキャンしても、サボっても、活動に失敗しても「ボランティア(無償)だったから」と許される面がある。それが有償になると途端に責任が生まれ、その責任を果たそうと活力が生まれる社会の仕組みが出来ていると思うのです。


そのボランティア精神が、アットスクールへの思いを薄くしているのではないか?と勝手に想像して、勝手に心配になっているのが今のGUMOLです()


一人親家庭は確かに経済面で苦慮を強いられています。それに応えるのがボランティア精神だ。こういう発想であるのなら否定はしません。むしろ肯定です。しかし、そのために無責任者になってほしくはないのです。


世情に応えられなくなったら解散する。責任を負う。これを簡単に仕組み化するのが有償だと思うのです。付加価値により事業を展開→利用者減→収入減→運営不可→解散。


なんだかんだ箇条書きしましたが、私の思いはとにかく潰れないでほしい、成功してほしいの一点なんです。正直、一人親支援は行政には限界があるからです。そして、アットスクールはその問題に対して事業を行おうとする若き集団。これがこけたら、多分一人親支援事業のハードルが上がると危惧しているからです。逆に軌道に乗れば、同業者が出てくると思いますし、アットスクール自体全国展開していくでしょう。そうなれば一人親が一般世帯と同じ環境に近づく。渡くんの理想であり、私の理想でもあるのです。


学習塾に相談所に学童保育。内容が分からないので何とも言えませんが、形式上は理想郷です。


さらにスタッフが充実していると書いてある!出来ないことは出来るスタッフに任せ、代表は堂々と責任を負ってほしいと思います。


頑張ってください!今でも全国の一人親世帯が困ってます。いち早く手を差し伸べられるように。

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3月に入り、若手小中学校教師の方々と出会う機会が多くなりまして。


実際、一番困惑と言うか、不思議な気持ちになるのが、教師から「GUMOLさん」とか「お願いします」だとかの敬語を使われることと、俺より年下ということ。


年下=敬語で全く問題ないのだけど、如何せん教師というものは威張って権力を振りまくクソッたれな人種だという価値観が消えない俺にとっては、その教師が敬語やら年下で先輩と呼んでくる点、実に不思議な気持ちになるのです。


と言っても、教師というやはり特殊の職業だからでしょうか。俺に対しても全然年下とは思えない堂々とした態度をとってくるやつもいます。「何様のつもり?私は教師だよ!」という雰囲気全開といいましょうか。そういうやつとはやはりいつになっても付き合いたくないものですね。義務教育時代もそうでした。


でも、「GUMOLさん。本当に中学は大変ですよ。正直なめてました」とか、教師が俺に相談とか、考えもしなかったことが最近起りまして、


「いやいや、Hくんには期待してるし、実際すごくうまくまとめられているからそのまま自信につなげてほしいよ!」などと、この俺が教師にアドバイス。やっぱ教師も普通の人間なんだなとか思います。教師という社会的地位を外せば、単なる年下で、単なる20代前半の若者。


でも実際授業とか見学すると、もうそれは教師そのものだったりする。ちゃんとクラスをまとめられていて、話もうまく、飴と鞭がしっかりしている。


「うわ・・・教師や・・・」


なんて、あれ?俺怒られてる?的感覚に陥るのは指導がうまい証拠だと思うんですよね。


まぁ中には授業進行が上手くいかず、見ているとこっちがなんか恥ずかしくなり、

「・・・お、俺に代われ!!!」


と言いたくなる新米もちらほら。


でも逆にそういうやつほど情熱だけは人よりちょいあるかなと感じる面も多々あるので応援したくなったり。


「俺のおじさんたちはこんなことやってんだよなぁ。いや~実に教師にならなくて良かった」


と、教師でも真剣に仕事をしようとすると問題が山積過ぎて手に負えないのが現状。適当な教師も結構いるが、逆に適当じゃないとやっていけないような気もした。そんなんじゃいけないのだけど。


でも、その教育界の荒波に挑んて行こうとする若手教師は是非とも乗り越えて信頼される教師になってほしいものです。


というか、俺に相談するのはどうかと思うと言う事が一番言いたかった。

金銭的、時間的、物理的に充実した教育を受けられない人は日本中にまだまだ多く存在すると思います。


僕の通っていた高校の生徒たちは、金銭的、環境的に整った教育が受けられなかった人の集まりだったと思います。

塾に通うにはお金が必要です。


家庭が火の車であるような場合においては、到底“余分”と言える塾には通うことは許されません。

金銭的には余裕があろうとも、家庭環境が不安定では、とても勉強する環境が整っているとはいえません。


そんな子たちが集まるような高校に僕は通っていました。

ゆえに、金銭的、時間的、物理的に教育を受ける体制が整っていなかっただけで社会から除外される可能性が日本にはまだ残っています。


高卒と大卒ではまだ学歴に差があります。

大卒でも有名大学か三流大学かで学歴に差があります。

いざ就職できてしまえば、後はその会社での働き具合によってその差は詰められるとは思いますが。


しかし、その就職活動においてその差が響くことは残念なことです。

学歴によって人生に差が出ることは、本当は許されることではないと思います。

学歴は無くても、能力があるやつは日本に多くいます。


僕の友達の弟の話ですが、
彼は、能力的にはとても優れていて、中学校の内申点も常に40を超えていたそうです。

彼の能力は中学校教師からもお墨付きで、愛知県一と言われる旭丘高校への受験を彼に進めていたそうです。


しかし、家庭の金銭的な理由で、旭丘高校の受験は断念せざるを得ない状況になり、変わって千種高校を受験し、合格しました。

そして、大学受験。

大学進学については、両親が高校在学中に離婚したこともあり、金銭的に無理な状況になっていました。

結果、彼は千種高校という進学校に通っていたにもかかわらず、高卒で就職。

親に頼んで、一つだけ大学を受験することにしました(センターも含めて)。


受験の結果、名古屋大学工学部に合格。

しかし彼は、入学を辞退し、今は中小企業で働いています。



日本は複雑な国です。


能力もない僕が地方私立の大学院まで進学。

かたや、名古屋大学に合格したのに、高卒就職。


地方私立の大学院程度の能力者又は旧帝国大学程度の能力者。

国益を考えれば断然後者が必要でしょう。


でも日本は学歴と言う名の元に、旧帝国大学程度の能力者を埋没させるのです。

不思議な国です。彼の方が僕より絶対役だつはずなのに。


加えて、僕は地方私立の大学院生ですから、需要は当然少なく、埋没する可能性は大です。

学歴は学力を計るだけのものであって、人間そのものの能力を表すものではありません。


しかし、誰もが東大に行けるわけではありません。東大入試相当の学力まで努力して勉強した人が入れるのです。

そう考えれば、学歴は一種の資格でしょう。


「学歴での就職の時代は終わった」「これからは資格の時代」

などと、言われるように多少なりましたが、学歴=資格なのですから、これは矛盾していると僕は思います。


学歴を問われなくなってきたという感覚を上記のキーワードからだと覚えますが、実際は学歴+αで資格も受け入れるという意味でしょう。

学歴無くとも資格があれば採用すると。


こんなことは今に始まったことではなく、昔からあります。

何を今更復唱しちゃっているんでしょうか?


なので、学歴は今後もずっと必要なもので、重要視されるもの考え問題ないと思います。



→書きたくなったら次回に続く→