田峯(だみね)城の歴史~戦国時代まで~
菅沼氏は現在の新城市作手菅沼から興った一族ですが、その始まりは諸説がありハッキリしていません。
田峯城は文明二年(1470)、菅沼からこの地へやってきた菅沼定信によって築かれました。
定信は、田峯城を築くとともに、現在、『田峯観音』で知られる曹洞宗高勝寺も創建し、着々とこの地に勢力を築いていきました。
定信の嫡男・定忠は駿河の今川氏に属し、かつて富永荘の地頭職であった富永氏が滅亡すると、永正二年(1505)、定忠の三男・定則がこれを継ぎ、『野田菅沼氏』の祖となります。
さらに田峯菅沼本家は、今川氏のもと勢力を伸ばし、現在の新城市石田まで手中に収めています。
この時、郷ヶ原と呼ばれていた場所に城を構え、『新城』と称しますが、これが現在の新城市の地名の由来ともいわれています。
こうして田峯菅沼氏は、着々と東三河地方に勢力を広げていくことに成功します。
領土を広げ、分家を輩出していく田峯菅沼氏。
しかしこの田峯菅沼氏の勢いも戦国時代になると、土地柄のフクザツな事情に飲み込まれてしまいます。
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