たたのブログ

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震災から1年経って改めて思うこと ブログネタ:震災から1年経って改めて思うこと 参加中
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震災にあってないからだ

直接被害を受けてないからだ


そう言われれば、言い返す言葉もない。

私にとってそれはテレビの中の出来事であり、

遠方の知人・友人の死者を結局私は知らない。

それでも

だからこそ

本当にそれでいいのだろうか、

と思うことがある。


「脱・原発」

と人々は軽々といい、有識者は当然のように煽る。


ホントウニソレデイイノ?


それはまるで禁句のように。

忌み言葉のように。

その言葉で新たな被害が生まれるかのように。


人々は疑問すら口にはしない。

少なくとも、私はこの1年、そのことを積極的に言ったメディアを見ていない。


原子力発電所を止めてしまった今になっても。

電気の供給源の割合の推移など誰も問題にしない。

人々にとって、問題はただひとつ。

原子力発電所がとまっているか否か、だ。


じゃあ、その代わりは?

その質問に、だれが答えてくれるのだろう。

どう考えているのだろう。


こうして、

今も。


こたつに入り

パソコンを開いて、

文章を打って、

見て。

電気をつかっているというのに。


次世代エネルギーが、とか。

風力発電とか太陽光とか。

もし、そんな風に考えている人がいるのなら、

それは、

東京電力以上に現状把握能力に乏しいように思う。


私は結局のところ、

全てにおいて、対岸の火事の気分だから、

詳細を調べたわけではないけれど。

きっと。

火力発電がそれを補っている、のだろう。


つまり。

今までより、はるかに。

ずっと。

二酸化炭素排出量は増えているわけで。

地球温暖化は加速して。


きっと。

ツバルとか。

オセアニア諸島の国々は

その国の寿命のカウントダウンを

知らぬ間に

どんどんと早められているのだろう。


でも、

ツバルの子供たちが

大人になるまでに国を失うことは

それこそ、対岸の火事だから、

きっと誰も興味をもってないんだろう。


自分がかわいそうだから。

他人は関係ない。


そうではないと、

震災の折、世界に評された国は

どこに消えたのだろう。


だから。

今すぐに。

火力発電から原子力発電に切り替えろ

なんて

思っているわけもない。


でも、オセアニアの子供たちに、


自分の国が大事だから、君たちの国がどうなろうと、

私には

興味ないんだ、と


公言できないうちは、



「脱・原発」 なんて、



軽々しく

口にしないで欲しい。


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霊能者のいうことは信じられる? ブログネタ:霊能者のいうことは信じられる? 参加中
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 「霊能者」とは、広辞苑によれば、「日常の世界と神霊の世界とを結び付ける資質を持った宗教的職能者。預言者、シャーマンなど」とある。ここで特筆すべきは、「宗教的職能者」と明言されていることだろう。即ち、霊能者であるための、前提条件として、霊的存在である神の存在が不可欠であり、そのためには宗教的である必要があるのだろう。預言者(神の言葉を告げるもの)と同義としているのも面白い。「シャーマン」が例として加わっていることは、「宗教的」という言葉をより広義に押し広げる。シャーマンの場合は神霊の世界の頂が神に限定しない。確かに宗教的存在ではあるが、言ってしまえば民族宗教的職能者であり、霊的存在は神でなくとも精霊やいっそ悪魔でも構わないし、道具でも動植物でもそこに宗教的意味合いが見出されればそれで事足りる。その「神霊の世界」の解釈の自由度こそが、詐欺まがいにこの語を用いやすくしているのだろう。

 霊能者のいうことは信じられるか。

 信じられる者は一通りしかないが、信じられない者は二通りに分けられる。

 即ち、①霊能者が結びつけられるとした神は信じられるが、霊能者は信じられない者と、②霊能者が結びつけるとする神そのものが信じられない者とがある。ちなみに信じられる者は、③神も霊能者もともに信じられる場合を指す。多くの場合は②もしくは③であろう。①は霊能者が未熟であるに過ぎない。と、くれば、霊能者が如何に自らの言葉を信じさせるかを考えたとき、方法は大きく2つある。ひとつは新たな神霊世界の構築しそれを信じさせることである。霊能者は神そのもの足りえないが、神が非存在であれば、神の言葉を語る者を神と呼んであるいは扱いを得ても大差ないといえる。もうひとつはシャーマニズムの応用であり八百万の神々を召喚することで、神霊世界を日常世界のレヴェルまで引きずり下ろすことである。神霊世界を相手に受け入れさせれば、そこからの言葉を非難することは難しい。

 例えば、先祖供養。~~しないとあなたの(死んだ)おじいちゃんが悲しむ、或いは悲しんでいる。

 と霊能者が言ったとする。これは広義の霊能者の言葉として矛盾しない。先祖は道教において神霊世界の存在といえるからである。この場合死んだおじいちゃんそのものを否定することは難しい。即ち、②は採用しがたい。あとは「おじいちゃん」と「霊能者」である自分がどう結びついているかについて、如何に説得力を持たせることが可能か否かが焦点となる。

 以上から、信じられない霊能者は、結びつけるべき神の選択、または神と自らの結びつきの証明。このどちらかが失敗していることに他ならない。ちなみに「占い」をする「霊能者」はおろかである。「霊能者」が話すのは神の言葉であり、絶対にはずしてはならないからだ。万が一外れた場合は、神からの言葉を伝え間違ったこことなり、霊能者失格である。であるから、「占」う「霊能者」などというhigi riskな存在はもっとも信じられない。


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成人の日の思い出 ブログネタ:成人の日の思い出 参加中
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成人式に出て、高校とかの同級生に会って。
「あんまり久しぶりって感じでもないなあ・・・」
市長?か誰かの、形骸的な話を聞いて。
そうそう、話している横で、ずっと手話している人が
いるのに妙に感動したことを覚えています。
話が終わればさっさと帰って。
せいぜいが2、3時間程度の成人式。


その中で。
「選挙ブース」のようなものが入口近くにあって
模擬選挙してみましょう。
ほんでもって、本物の選挙にも言ってね、的な。
で、模擬選挙してくれたら、
抽選で良いものあげますよ、的な。


で。後日。
「i-podあたりました」(当時はまだ二代目でした)
という電話が・・・!。


ポット・・・????


何があたったか把握できない自分。
来てみたものを見ると、携帯音楽プレイヤーでした。
多分。まだそんな有名じゃなかった時代だったと思います。
(でも友人に聞いたら知ってたけど。説明聞いてもよくわかんなくて、
結局、「とにかくいいもんだよ」と説明放棄されました。)


以来。音楽プレイヤーは手放せない存在となっています。
確かに、いいもんではありました。

ああ。別にオチなんてありませんけど、何か。

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