【桐壺239-②】古文解釈~光源氏と通い婚☆
おはようございますあいです。
いや~今日も暑いですね^^;
家の周りの草抜きしなくちゃならないけど、
なかなか暑くて、外に出る気しません><
さて…
【古文】
源氏の君は、主上の常に召しまつはせば、心安く里住みもえしたまはず。
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【これまでのあらすじ】
いつの帝の御代でしたか、それほど高い身分ではないのに誰よりも寵愛を受け、亡くなった桐壺更衣という妃がいました。忘れ形見である光源氏は、美しく才能にあふれ、12歳で元服の儀を迎えました。その夜、左大臣の1人娘が添臥として、光源氏の正妻に召されました。
今日は、光源氏と通い婚のお話です♪
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「通い婚」というのは、平安時代、もっともポピュラーだった結婚形態です。
私たち女性から見たら、
なんて、女性蔑視の時代なの!ヾ(▼ヘ▼;)
かなーり、腹立たしいシステムなんですが^^;
逆に、男性の立場からすると…
さぞ、大変だったでしょうねぇ;;
(^▽^;)
「通い婚」は、「たくさんの子を産む」という、人間の本能からしても、理にかなっています。
今の少子化社会をみても、そう思いますよね^^;
男性は、女性のお里の権力をかさに、さらに勢力を伸ばすため、多くの女性と関係を持ちたいし、
女性は、男性の勢力が増せば、家の反映にもつながるため、どんどん出世してほしい!
つまり、社会的にも、両者にメリットがあるわけで、
生理的にも、社会的にも、
「通い婚」が理想的なシステムだったんです。
特に、血統も良く、エリートコースに進むべき男性は、
多くの女性の実家から、オファーがあったでしょうね。
(●´エ`●)
このシステムを知っていないと、
光源氏って、いろんな女性と関係持って、
浮気者だから、好きくない!\(*`∧´)/
…という意見を持つ人もいるようです^^;
まぁ、好みは人それぞれなので、いいのですが、
「光源氏嫌い!ハイ終わりっ!」
そこで終わってしまっては、味わいも深みもなく、
源氏物語を10分の1も楽しめていないんです><
なので、このブログを通して、
古文目線を養うことにより、
なぜこんなに、光源氏が愛されたのか、ということを理解できる人が、増えていけばなぁと思います☆
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さて。
そんな「通い婚」システムであり、
通常は、結婚直後は、頻繁に通って当然です。
特に、光源氏は、まだこの時点で、奥さん1人ですし…
しかし、光源氏は、時の帝の寵児☆
Σ(・ω・ノ)ノ!
なかなか、奥さんの待つ左大臣の私邸へ、通えなかったようですね^^;
私の妄想では…
帝:「左大臣邸には、行かなくていいのか?」
光:「ええ」
帝:「でも、妻にも顔を見せてやらんと…」
光:「それはそうなんですが、なんか合わなくて…;」
帝:「そうか。まぁ、お前がいてくれると朕も嬉しい♪」
光:「僕も、父上のおそばがいいです!」
(ほんとは、父上のおそばにいる藤壺さまに逢いたくて…)
帝:「では、ここにいなさい。朕のせいにすればいい」
光:「はいっ!分かりました(*^_^*)」
通い婚システムが浸透している世の中で、
いくらかわいいからといって、全く里邸に行かせないなんて、不自然ですので^^;
私は、こんなふうに解釈しています☆
ちなみに、光源氏の正妻となった左大臣の娘(葵の上)は、
光源氏より4歳年上。
そして、光源氏が想いを寄せる、父帝の妃である藤壺宮は、
光源氏より5歳年上。
12歳の男の子からして、16歳や17歳の女の子…☆
藤壺宮を、母と思え、という父帝のご意思も、
ちょっと無理がありましたよねぇ;
!(´Д`;)
あいでした