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2011-02-27

愛 = 繋がり = 悲しみ

Theme: 模索&探求

前回の日記、ひどいですね。


2日後、読み返してみて、「暗・・・」って思いました汗


意味、分からないですよね。


なんて、ひとりよがりなブログなんでしょう。


すみません。


アイ燦々、日々燦々、YOGA燦々



でもね、自分の内側から出てきた感覚とは、真摯に向き合い、掘り下げることにしたんです私。


例えそれがネガティブな感覚であってもね。


楽観的に笑い飛ばしてしまう方法もあるのだろうけれど、掘り下げていけば、苦しくても、自分自身を納得させられるような結論が出てくるものだから。


私には、その方が合ってるんです。



「繋がり」の中で生きていくことに、「悲しみ」を感じるのは確か。


その「悲しみ」を消し去れるとは思わない。


ううん、消し去ろうとも思わない。


むしろその「悲しみ」が、 『如何に生きるか』 の模索を、私に促してくれてるから。


そしてそれが、「より良く生きるためのヨガ」を提供したいと、私を突き動かしてくれてる。


何ができるかなんて分からない。


でも、生きているのなら、自分に忠実に生きよう。


自分に忠実に生きた結果が、何かの役に立つのであれば幸い。


全てのものが、お互いに影響を与え合っている「繋がり」の中にいるのだもの。


どんなに小さな「行い」であっても、何かしらの波が拡がってしまう。


せっかくなら、「悪い」波よりは「良い」波を拡げられる存在であろう。


でもこの世界に執着はしない。


いつ離れることになっても構わない。


そのためにも、今出来ることを、今やっていく。



昨日、小さなスペースでやってる私のヨガクラスに来てくれた、T・T仲間のRHIEちゃん。


久しぶりに会った彼女の、ヨガをする姿はとても美しかった。


ランチでは、自然と夢を語ってしまってたね、私たち。


世界は美しくて、優しくて、温かい。


それもまた確か・・・だわね。


ありがとうキラキラ



p.s. 

沖縄では、「愛しい」と書いて「かなしい」って読むんだよ。

2011-02-23

繋がっていることの向こう側

Theme: 模索&探求

今日の日記は、もしかしたらネガティブです。


そして、たぶんまどろっこしい内容です。


読みたくない方は、読まないで。


自分の心の整理のために書くだけです。



アイ燦々、日々燦々、YOGA燦々




以前、ヨガジェネ さんに投稿した「私のヨガはじめ」 の文章の中で、


〔私と全て〕との繋がりについて書いたけれど、


本当のことを言えば、「全ては繋がっているんだ」と実感した瞬間、


深い深い底知れない悲しみがこみ上げてきた。


生きてる限り、その「繋がり」から逃れられないことを確信したから。


だから私には、「繋がりの中で生きていく」ことへの「決心」が必要だった。



ヨガの最終目的が、「解脱」である理由や、


ブッダが、この世に生まれてくることを「一切皆苦」と説いた理由は、


この底知れない「悲しみ」のせいなのかなと、思った。


少なくとも、今の時点での私はそう思う。



でもその「悲しみ」が、私に「何かをしなければ」と思わせてくれるのは確かで、


「繋がり」の中にいるのなら、どんなにちっぽけな自分にも「何かができるはず」と思わせてくれてるのも確か。


だからこそ、自分のヨガクラスを開いているのだし、


「社会の中でヨガができること」を、私なりに模索し始めてるのだもの。



・・・でもどこかで、「繋がり」から「逃れたい」と思っている私がいる。


逃れた先にあるところ、繋がっていることの向こう側にある【そこ】に、


できればずっと留まっていたいと思ってしまう。


だって【そこ】にいる方が、静かで、自由で、少し孤独で、とても平和でいられる。



・・・知ってるの。


留まりたいと望んでいるうちは、留まれないこと。


そのことが、また「悲しみ」の要因のひとつになってることも。



そんなんだからやっぱり、「繋がり」の中で、「悲しみ」とともに生きていくしかない、今の私なの。



2010-06-29

一歩、一歩

Theme: 模索&探求
TTにて、哲学の時間、「煩悩」について学ぶ。

講義を受けながら、一人で反省モードに入ってしまった汗

自分の中の「煩悩」や「利己」や「エゴ」。

それらを全て取払ってしまえたらどんなに楽だろう。

自分の中のそれらを発見してしまう度、

・・そんなところに潜んで居たのか・・・!

と、愕然としてしまう。


でもね、最近それを認めてあげることが出来るようになったの。

自分の中に「エゴ」や「利己心」があるということを。

それが「良い」とか「悪い」とかのレッテルを貼る前にね。

ー 私の中にエゴがある ー

それを、否定もせず肯定もせず、ただ「ある」という事実を受け止められるようになったの。

以前の私だったら「うわっ、エゴだ!最低!!」って、

事実を見る前に「否定する」ことをしてた。

今思えば、それもまた「エゴ」なんだよね。

「私はエゴを持ちたくない」っていう「エゴ」。

エゴから生まれた「エゴ」だ。


今は、「認める」ということが出来るようになり、無駄に「エゴ」を生み出さなくなっただけ成長したんだと思うの。

・・・そう、それが今の私。

今の私の現在地。

だから、この現在地を「出発地点」としよう。

そしてそこから、一歩、一歩、歩んでいこう。

どこまで行けるかなんて分からない。

ううん、辿り着かなきゃいけない場所なんてないんだろう。

でも少なくとも、「ヨガを教える」ことに、エゴを持ち込まない私でありたい。

一歩進んで二歩下がる・・・そんな日もあるだろう。

それで良い。

その日、その時の「今」にしかない出発地点、そこから見える景色を楽しもう。

その景色のずっとずっと先に、「エゴ」を手放せる地点が、あるのかもしれない。

・・・ないのかもしれない。

それならそれでも良い。

私はただ、一歩、一歩、歩むだけ。

$アイ燦々、日々燦々
2010-03-08

落とし穴

Theme: 模索&探求

アイ燦々、日々燦々


ヨガをやってると、色んなものが微細に捉えられるようになる。


見えるもの、聴こえるもの、触れるもの、味、匂い。


五感を司る感覚器官が活発になって、それまで以上に繊細に、物事を感じられるようになる。


それはとてもいいこと。


自分の周りで起こる様々な出来事を、おおらかに受け止められるようになっていく過程。



でも、「感じる」ことだけに意識を向けてばかりは危険。


それを最近身を持って実感してしまった。


ここ数カ月、日々感覚器官が活発になっていくなかで、知らず知らず「感じる」という能力ばかりが磨かれていたよう。


そのおかげで、見てるもののその向こう側の情報までが見えてしまったり、


耳に入ってくる音の持つ感情に耐えられなかったり、


科学調味料を舌が受け付けなかったり、


それまでは平気だった場所を体が拒んでどうしても近づけなかったり、


疲れている人から悪いものを貰って気分が悪くなったり・・・


気づいたら、感覚に振り回され、神経質になってる自分がいた。


ヒマラヤに籠って修行してるならこんな状態も良いんだろうけど、ここは日本の都会で私は一応社会人。


日常生活に支障が。。。



そんな「落とし穴」と呼ばれるものが、ヨガを深めて行く中でいくつかあると、ヨギーが書いた本にあった。


禅の世界では、今回のような状態のことを「魔境」というのだそう。


・・・怖い名前。


「感じる」という能力ばかりが先行し、それらを「受け取る」ことだけしていると起こるらしい。


身を委ね過ぎていたのね。


少しだけ、能動的になる必要があるってことかな。



とても良い経験だった。


きっと、日本の社会を生きていく上では「落とし穴にハマってる」でも、ヒマラヤでは「ヨガの段階を駆け上がってる」ことになるのではないかな。


・・・と、ポジティブな発想に置き換えてみる。


ただ、私は日本の社会で役立つヨガを模索していきたい。


現代社会の、社会性や既成概念を、一人一人が自分の力で穏やかに乗り越えていけるような。


そんなメンタルとフィジカルを育むヨガプラクティスを。



そのためにも、私自身はこれからも「落とし穴」という「落とし穴」にどんどんハマっていこう。


ハマろうとしてハマれるものでもないけれど(笑)


実感することは大切だから。


それは指導する立場になった時、きっと役に立つ。



ふふ・・・元気ね、私♪


そう、元気なの、とっても元気モリモリキラキラ


「落とし穴」から這い上がれるぐらいねあげ



明るいほうへ、明るいほうへ・・・はれ

2009-10-04

自分探し

Theme: 模索&探求


アイ燦々、日々燦々


ヨガを始めたのは3年半前。


私は、8歳の頃からダンスをやっていたので、体は柔らかい方だった。


だから、ダンスで使用していた間接や部位を使うアーサナは難なく出来た。


でもヨガは、それまで使用したことのない間接を柔らかくしなくては、正しく行えないアーサナがたくさんあった。


そのため、出来ないアーサナを出来るようになるぞ!っと、ややストイックにヨガに取り組んでるところがあった。


まるで、ピルエット (片足のつま先で回転するバレエの技の一つ) を練習してた時みたいに ・ ・ ・


でも、やっていくうち、何か違うぞ、と思い始めた。


これは、ヨガの練習じゃない・・・と


美しいアーサナをとることは、全然間違ったことじゃないけれど、


それを目指して練習するのは、ダンスの練習と何ら変わりないじゃない。


自分の動きが美しいかどうか鏡で確認しながら踊ってたあの頃と変わらないじゃない。


アーサナが美しく出来ることがヨガの道なら、中国雑技団の人達は、みんな私のグル(ヨガの師匠)だ。


私は、間違ったやり方をしてる。



そこから、禅や瞑想に興味を持ち、仏教の本も読むようになった。


知る人ぞ知る、ヴィパッサナー瞑想10日間コースも、京都に受けに行った。


そんな中で、ヨガの練習も自分の内側を見つめるものへと変わっていった。


そして、少しずつ少しずつ、見えてきたもの。


自分の本質。


もともとの私。


隠れていて、なかなか見えなかった。


隠していたのは、私自身。


仕方がない。


そうやってしか、私は順応できなかったよ、人生に。


これからは違うね。


この私が、本質の私が、全てを引き受けよう。


人生は、そのまま見つめた方が、素晴らしかったりするものだerc



今は呼吸を先行させて、アーサナをとるようにしている。


出来ないアーサナに執着しなくなったら、いつの間にか出来るようになっていた。


そうよ、これだからヨガを好きなの。


私の知りたいことは、全部私の中にあるってことを教えてくれる。


ゆっくりでいい。


ゴールなんてない。


こうやって、日々を味わうこと。


今の私が見つけた、私なりの、私のスタンスクローバー

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