愛ちんのぶろぐ

愛ちんのぶろぐ

   
2013年3月、夫、多発性骨髄腫確定診断(腎不全合併)。  2014年3月まで入院治療後、ほぼ寝たきりで退院。

そこからリハビリの毎日でQOLの底上げを図る。  現在は無治療寛解中。両手足の痺れ、感覚麻痺あり。   介護を楽しむ細腕のツマのつぶやきです。

申請につき
絡みない方は自己紹介程度の1文をメッセージください。

とくにプロフもブログもない方!

いきなり申請だけ来ても、承認できません。

業者とか自己満の健康法・啓発系なんかの売込みお断りです。

近所の公園へお花見行ってきました。

まだ咲き始めで、満開にはなっていなかったけど。

 

 

写ってないけど、ハハオヤも一緒です。

 

出店もあって、

イカ焼きとお好み焼きと焼きそばと

イチゴ飴に姫りんご飴をを買いました。

 

人は多くて、みんな浮かれてて

シート敷いてお弁当食べてたりしてました。

 

ウチはそれはできませんので、帰宅してゆっくり

「買い食い」を楽しみました。

こういう出店の食べ物って、

絶対美味しくはないんだけど、でも

食べたくなっちゃうんだよなぁ。

 

桜って、なんというか

1年のうちのひとくくりというか

お正月だったり、誕生日だったり

そんな区切りと同じように感じます。

 

また1年頑張ろう、また来年桜見よう

そう思いながら。。。

 

前回1月の外来の次、昨日、外来受診してきました。

 

まずは「再発なし」との見立てでホっとしました。

ありがたいことです。

 

そして、O先生の退職におけるこちらの動向について。

 

O先生、土曜の午後だけ、

ここ、もともとの大学病院で外来を持つことが決まったそうで、

いったん、次回の8月は、同じこの大学病院で受診することになりました。

 

O先生「新病院は、行って外来初めてみないとどんな感じかわかんないんだよね」

 

ということでした。

 

オットに関しては

O先生「即ケモはあり得ないし、当分は土曜午後の大学病院でいいかもしれない」

 

そのほうが、この、10年来お世話になってる大学病院で安定的に受診できるから。

O先生についてってしまうと、その部分が心配らしい。

 

O先生「だって僕だってさ、あと何年診れるかわかんないじゃん?死んじゃうかもしれないし」

 

オット&ツマ「それ言ったらこっちだって"死んじゃうかもしれないし"じゃん!」

 

と皆で笑ったんだけど。

 

でもまぁ、笑い事ではなくって

病気が現在ある・ない関係なく、

人って死んじゃうことがあるんだよな、という、

まぁ、一般論の深刻系の話をして

「お経とかって心安まるよね」なんていう発言もO先生から出て

わちゃわちゃお喋りして

「ハッ!」と外来中だと気づき、

「じゃ、また8月にここでね!」となり

受診終了。

 

O先生、生きてきて一番といえるぐらいのつらいことがあったそうな。

でも今は元気になりつつある。

 

O先生「こんどドライブがてらそっち行こうかな」

オット・ツマ「お参りね、ウチの菩提寺、いいとこだよ」

 

ふふふ、と笑い、強いなぁ、と思う。

 

我々も、「目先の元気」で良いから楽しくいこう。

次の外来は8月。

そこでまた、転院となるかの話をします。

なんとなくだけど、「土曜午後の外来」を持ってる限り

同じ病院で受診するような気がする。

 

 

 

先日、オット実家へ行ってきました。

朝6時半シュッパツ。

 

今回はツマのハハオヤはお留守番でした。

 

いつもはトイレだ休憩だと

そうとう時間をとるのですが

今回はノンストップで行けまして、

予想より1時間も早くに到着。

 

オット妹氏のわんわんが出迎えてくれましたが

そりゃもう他人認定で

この、オットに対する怪訝な顔。

 

オット父はまだらボケで

変なことを言います。

オット母は超元気で脳みそも健在ですが耳が遠い。

 

そのため、会話は、

内容がしっかりあるわけではなく、

自分の言いたいことを言って、

顔つきは「ウンウン」とうなずいていれば良し。

 

顔と顔を合わせて

雰囲気が楽しくて

あーだこーだと声かけあって

それが目的の里帰り。

 

15時にまた神奈川を出て

大抵、帰りはオットが具合が悪くなるんだけど、

これも多少の悪化で済みまして、

車内で寝てくれたこともあり

サクっと17時半には帰宅できました。

 

渋滞にもはまらず大変順調でございました。

 

おととい、きのうと、ものすごーい風が吹いてまして

目玉の大きいワタシはもう、目を開けて歩くことができず

花粉用のメガネ装着で外あるきしました。

今日は風がおさまってるのでよかった。

 

昨日はハハオヤを連れて

マイナンバーカードの受け取りに。

 

初期の段階でカード作成してあったのですが

 

ハハオヤ無くしたと言い張る

→かるーく探すけど見当たらない

→勝手に市役所へ電話して、紛失したと申告

→やっぱりちゃんと家にあった

→切って捨ててしまえ

 

という、老人あるあるな感じで大変面倒なことに。

 

市役所へ電話とか、そういう高等手段が使えるのに

脳内はお花畑なので本当に困ります。

その行動力、抑えてほしい…

 

あーだこーだで昨日再発行してきまして、

もちろんワタシが取り上げて保管してあるんですけども

また何かやらかさないか不安です。

 

はて

お写真はここ数日の朝食と

オットがお散歩に出かけました先週末の模様です。

 

さ、これからオットを透析病院まで送ってきまーす。

 

カリカリベーコンとフレンチトースト

 

 

ソーセージフランスとプチフランス

 

 

某醤油会社本社周辺

 

連休です。

金曜に、連休中に買い出しに行かず済むように

素材を多めに買ってきてあります。

3食作るわけで、いちいち

「どーすっかなー」と冷蔵庫に頭を突っ込んで考えてます。

 

これは黒米と、甘塩っぱく焼いた厚揚げです。

厚揚げはチーズと大葉が突っ込んであります。

 

今日は近所のお友達から、

まるごとのキャベツにサニーレタス、小松菜、ブロッコリーを頂きました。

どうにかしなければ。

作り置きとかできる、カンタンに出せる、

何かアイデアないですかねぇ。

 

それから。

 

私のFBに、嬉しい足跡を発見しました。

おはようPさん!!

 

ハハオヤの面倒をみるようになって数年たちました。

 

ネグレクトの気がありますし、

今でいうところの発達障害があるハハオヤに手こずってます。

 

身の回り、身なり、全て気にしません。

顔を洗うとか歯を磨くということをやらない。

物乞いのホームレスのような身なりで汚い服、髪もボサボサ、

すみかはゴミ屋敷。平気。

食事は食べたいものだけ、気が向いたときに食べる。

人と会話ができず、相手が何を話しているのか

聞き取れないし聞こうともしない。

自分の思ったことだけを発言する。

空気は読めない。

逆ギレ、暴言、無視、嘘つき。

 

老人性の部分も重なって、それは酷いもんです。

 

あまりにも酷いのですが、

少しずつ矯正し、とりあえず少しは身の回りに気が行くようにと

こちらとしては努力しています。

やっと今日は重い腰をあげ、

「花を買ってくる」といって、昼間、出かけていきました。

 

まるで野生動物のような人の扱いに疲れます。

せめて人間になってほしいなぁ。

もう無理かな。

 

 

 

 

 

 

5日(月)の昼から雪がハラハラと降りだし

6日(火)の朝にはこんな状態になりました。

 

凍ってしまうとどうしようもなくなるので

朝一、雪が柔らかいうちにと

ブラシで道を確保

 

オットは監督として玄関で見ていましたが

「やる」と数分間ゴシゴシしてくれました。

 

玄関先、オットが立ってるところから道のほうへ

かるーく坂なんですよね。

オットの腰が引けてるのはそんな理由です。

今日はとても冷えました。

夕方、窓の外をみたら大きなお月さまが。

写真だとこんなに小さく映ってしまうけど…

 

今日は35年来の友人が連絡を寄越した。

食道がんが寛解になりそうだという。

病んでから4年弱。寛解となればさぞ安心だろう。

 

そいつがいう。

 

10年前におまえの旦那ががんになったとき

ふーん、たいへんだなーとしか思わなかった。

自分の店に来る客も、けっこう多くの人が

「がんになった」というが、

いつでも口先だけで「大変ですね」と、

眉間にしわをよせてみせて言っていた。

 

自分ががんを発症して初めて

とんでもなくいろんな感情が押し寄せて

不安とか、闘病とか、家族とか、そして

「がんになった」と俺に伝えてきた多くの人が脳裏に浮かんだ。

 

こんなに大変なことだったんだ。

 

おまえはどっしりと構えて

なにごとでもないような顔してたけど

こういう感情が裏にはあったんだと気づいた。

そして、とんでもなく多くのあれこれを、

こなしてきていたんだなぁ。

 

あのときはすまなかった。

 

かるーく流してきたという、私へ対する自分の態度を詫びた。

いやべつに、そんなにどっしりはしていませんけどー。

 

病気って、なってから初めて分かる

ものすごく多くのこと、そういうことがある。

だから、病気知らずの人は、「そういうこともあるのか」と心に置いて

そして、病気になっちゃった人は

そこで知ったいろんな感情を持って

 

心健やかにがんばっていこうじゃないか、と思うのでした。

 

今日はでっかい満月のようだ。

お月さま、Pさんのことも治してくれるよね。

 

 

 

ご無沙汰の愛ちんです。

ここでは、普段投稿しなれているインスタやFBと違って

作文がしっかり必要になるので…

 

まとまった思考も綴る時間も必要だし、

でもそこまでして頑張って言いたいこともないしと

なんとなーく過ごしてました。

 

2013年3月にオットが多発性骨髄腫発症して1年入院の上

退院が2014年3月。

2024年1月16日、

本日のD医科大学S医療センターでのチェックでも再発は認められず、

フリーライトチェーンその他問題なしとの見立てを頂きました。

 

移植もしていないのにありがたいことです。

 

主治医のO先生も、あれから10年かぁ…と感慨深げで

「へんだなぁ、なんでだろうなぁ」とでも言いたげです。

2013年の時点で調べ上げた諸々の

患者の可能性を示す数値とは、

今はもう、いろいろ変わってきていることでしょう。

 

さて、そのO先生。

なんとこの3月で退職ということ。

えーーー?とビックリ。

 

まだまだぜんぜん未定ではあるものの、

今の大学病院より、もっと我が家の近くにある総合病院に来ることになるようです。

新たに科を立ち上げるとのことでした。

 

また、このO先生の「センパイ」という医師も

いつの間にか我が市の総合病院へ移っていたそうで

なんだか血内関連の上級者たちが近くにどんどん集まってきている!

 

「どーするかねぇ?」と、O先生はのんびりしたもんですが

オットは「ついて行きます」と珍しく即答。

歳も同じで、昔からの友達のような感覚もあって

人間性、よい人なのです、O先生は。

 

とはいえ、ついていけるのか?どんな状況になるのか?っていうことが

まだまだ分かってないので

とりあえず、また3月に話そう!ということになりました。

 

O先生は大学病院では激務だったみたいだし、

寝られてるのか、休み取れてるのか、ごはん食べてるのか

愛ちんはいつも心配してました。

教授とか准教授っていう肩書きで

臨床以外のたくさんのこともあるだろうし。

 

ちょっとゆっくりできる病院で働けるといいよね。

わたしら、ほら、歳も歳だしね。