2011-04-24 22:37:33
桑員地域拡大座談会なう!
テーマ:ブログ
今日は、美し国おこし・三重が主催する対話の場、「桑員地域拡大座談会」に参加してきました。
テーマは
”いたみを糧に、新たな「地域の未来」の話をしよう”
3.11の東日本大震災を通して、いのちを見つめ、自分達を見つめ、自分の居る地域を見つめる
そんな対話の場でした。
初めて出会う三重県、愛知県の方とのワールドカフェの中で出てきたキーワードは
「当事者意識」 「つながり」
当事者意識から生まれた様々なつながりが、今、僕たちに多くの何かを伝え、呼び起こしています。
そのつながりがどうして生まれたのだろうとずっと考えています。
そしてこの多くの人達がつながる今が「震災」という言葉の中で終わってほしくないと強く思うし、
終わらないという確かな実感もあります。
人は本質的に、献身の心が奥底にあるんだという想いを実感。
でも、それが常に目を覚ましているわけではなく、何かをきっかけにしないと湧き上がらない部分もあるなあということも同時に感じています。
同じ東北で、つい1、2ヶ月前、大雪の中でお年寄りが雪かきをしている最中に転落して
亡くなられたというニュースをよく耳にしていました。
しかし、その雪かきを誰かが手伝いに東北地方へ支援に駆けつけた
という話は恐らくほとんどなかったのではと思います。
自分の日常でも、こんなふうに条件によって動いているような気がします。
何が、人を突き動かすのだろう。
それを考えていると、今日のキーワードにも出てきた
「当事者意識」
なのかなあと感じます。
twitterの中で、ビートたけしの言葉が紹介されていました。
「だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、
被害者のことをまったく理解できないんだよ。
じゃあ、8万人以上が死んだ
中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、
そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。
それは死者への冒涜だよ。
人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。
そうじゃなくて、そこには
「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。
本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね」
一人ひとりの「みんな」が今呼び覚まされている哀しみと当事者意識。
この気持ちをつなげ、つながる場がもっと増やしたい。
「つながる」
ということへの願い、想いが誰しもの内にあることを感じられる今だからこそ。

テーマは
”いたみを糧に、新たな「地域の未来」の話をしよう”
3.11の東日本大震災を通して、いのちを見つめ、自分達を見つめ、自分の居る地域を見つめる
そんな対話の場でした。
初めて出会う三重県、愛知県の方とのワールドカフェの中で出てきたキーワードは
「当事者意識」 「つながり」
当事者意識から生まれた様々なつながりが、今、僕たちに多くの何かを伝え、呼び起こしています。
そのつながりがどうして生まれたのだろうとずっと考えています。
そしてこの多くの人達がつながる今が「震災」という言葉の中で終わってほしくないと強く思うし、
終わらないという確かな実感もあります。
人は本質的に、献身の心が奥底にあるんだという想いを実感。
でも、それが常に目を覚ましているわけではなく、何かをきっかけにしないと湧き上がらない部分もあるなあということも同時に感じています。
同じ東北で、つい1、2ヶ月前、大雪の中でお年寄りが雪かきをしている最中に転落して
亡くなられたというニュースをよく耳にしていました。
しかし、その雪かきを誰かが手伝いに東北地方へ支援に駆けつけた
という話は恐らくほとんどなかったのではと思います。
自分の日常でも、こんなふうに条件によって動いているような気がします。
何が、人を突き動かすのだろう。
それを考えていると、今日のキーワードにも出てきた
「当事者意識」
なのかなあと感じます。
twitterの中で、ビートたけしの言葉が紹介されていました。
「だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、
被害者のことをまったく理解できないんだよ。
じゃあ、8万人以上が死んだ
中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、
そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。
それは死者への冒涜だよ。
人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。
そうじゃなくて、そこには
「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。
本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね」
一人ひとりの「みんな」が今呼び覚まされている哀しみと当事者意識。
この気持ちをつなげ、つながる場がもっと増やしたい。
「つながる」
ということへの願い、想いが誰しもの内にあることを感じられる今だからこそ。






