どうしても伝えたいこと~今回の震災を受けて~
2012-01-27 22:09:19 テーマ:ブログ久しぶりのブログの更新となる。どうしても書きたかったことがなかなか書けなかった。
本当にこれ以上セルフィッシュなブログはないであろう。ただ、今回の震災を受けて、どうしても払拭できない点についてちょっと触れたいと思う。
それは、‘ボランティア’についてである。
今回の震災復旧、そして震災復興においてはボランティアが果たした役割は非常に多いということは言うまでもない。これは自分自身本当に強く感じているし、まぎれもない事実であろう。
そして、今もまだまだボランティアが必要な地域がたくさんあるというのはさまざまな情報源から事実としてあるというのは言うまでもない。
自分が言及したいのはその点ではない。そもそも、ボランティアって何ぞや。という点である。
今回、自分自身も被災地に入り、災害ボランティアセンターのスタッフとしてボランティアをし、そして縁あってある事業の派遣スタッフとして働き始めた。
今になっても、自分自身が失業中であり自分の生活もままならないのに、被災地に行ってよかったのだろうか。ということに苛まされることはよくある。
しかし一方で、失業中だったからこそ、あのような人手が必要だった時期に(勿論今も必要ではあるが)かかわることができていた。というこのジレンマ。そして、実際のところ失業中の方がボランティアには多かったように思う。逆に学生があまり見受けられなかったのが残念。勿論、地域差もあるので何とも言えないが。。。
まだまだこのことについては、正直はっきりとクリアになっていない。
そうしたことは常日頃、転職活動をしながらもずっと引っかかっていた。
そしてもう一つ。。。
今回、被災地においてたくさんの方々と出会えた。そのことは自分自身の糧となっている。
しかし、最近、被災地で出会えた方々とは一定の距離を敢えて保ってしまっている。それは自分の勝手な信念から以外、何物でもない。
というのも、先にも述べたが、そもそも‘ボランティア’って何なの?っていうことである。
自分自身、学生時代からいわゆる‘ボランティア’活動にかかわってきたと思っている。その時、自分は‘ボランティア’に関しては‘使命感’であったり、‘義務感’が強かったように思う。
あまり、‘楽しみながらボランティアをする’ことや‘自分自身が成長するためにボランティアをする’あるいは‘成長するために団体を立ち上げる’ということは全く考えていなかった。(勿論、使命感・義務感を果たすために、自分自身が成長していかなければならないことは多々ある。)
とりわけ、‘楽しみながらボランティアをする’ということに対して、かなりの抵抗感が学生時代からあった。そのことが、どうしても、今回の震災ボランティア等々を経て拭い去れない点であるということ、改めて自覚した。
よく、このような言葉を聞く。
「震災があったからではあるけれど、こうして皆さんといったボランティア仲間と出会えてよかった。」
と。。。確かに、そうしたことは自分自身感じている部分はある。しかし、それが前面に出るというか、なんというか。それだけは絶対に僕にはできない。
そして、そうした仲間たちと被災地でワイワイしたりとかそういう気分にはどうしてもなれないの自分がどうしてもここにいるのだ。
確かに、被災地の方々を勇気づけるためにも、ボランティアの人たちが元気に活動することはもちろん必要なことだと思う。しかし、それは楽しいとかそういった感覚とは違う。
いや、元気に活動するためには楽しみが必要だ。という話は、論理的にはわかる。しかし、感情的には僕にはまだまだ理解ができていないのが現状なのである。とりわけ、今回のような状態ではなおさらのこと。。。
どうして、楽しむことができようか。というのが本当に正直なところである。。。
いや、ボランティアをされている方々、たくさんのそうした葛藤をしながら、そうした想いを持っているのであろう。そうした想いというのは、もっともっと様々な人たちと共有していきたいなって思う。
今回、自分が感じていることについていえば、そうした共有する時間が少なかったのも事実であるのだから。。。
そして、今思うことは、本当に自分がもどかしい。なかなか向こうにも行けず、いろいろお世話になった人たちにあいさつも行けず、真摯に話も聞きに行くことができない。そうした状況の中で、かつ活動している人たちが読むようなある意味で公の場でこのようなことを述べることは非常に情けない限りである。だったら、自分も行けよ!って話になるだろう。そう思う。
ただ、これもセルフィッシュな発言ではあるが、自分自身に自信が持てるまで行かないことを胸に誓っている。今回、正直なところそんなことを感じている。これについては自分の第六感であり、何とも表現できないのであるが。。。
そんなことをどうしても考えてしまっていて、色々な面で粗相をしてしまっていることが最近多いように思う。しかし、この想いだけはどうしても変えることができず、セルフィッシュな行動をとってしまっていることが多い。
と、まぁ、思っていることが皆様に伝わっているかどうか、不安であり、様々なご反応もありそうな気がするが、あくまでも独り言的な感じで受けてもらえたらありがたい。
次回のブログのキーワードは、今回のブログにも関係すると思うが、‘当事者’、‘第三者’、‘第一次情報者’、‘原体験は必要か’といったことについて言及したブログを書きたいと思う。
ではでは。







1 ■猛攻鉄壁さんへ(1
初コメです。
同意。
「そうしたい人」はそうすればいいし、
「そうでない人」は結局こうなる。
昨日、そのことで憤り狂った私です。
自分は「ボランティア」と呼ばれる立場ではあるものの、自分では誰かにあったとき「此処で活動している者です」と言います。
ボランティアではあるものの、こっちは命かけてたりする。だから離れる。相手は、私が離れた理由に気付かないのかも知れない。けれど、
ボランティアの
ボランティアによる
ボランテイアからのストレス。
コレが今、自分にとっては一番のモチベーション引き下げ要因であり、最も無駄なストレスとなっていることに変わりない。
初めから、1人で此処に来たんだ。
1人でやることになんの反意があるのか自分にはわからない。
楽しんでやる――、そうすればいい。
だけど自分にそれはない。
誰が見てるかわからない場所でボランティア同士だけでワイワイするのはいやだ。
それを待ちの人に見せるのも嫌だ。
自分が見るのも嫌だ。
町の人たちとそうするのならばまだ話は違う。
結局、嫌だ。
友達としてはいいのかもしれない。
だけど一緒に活動することはもうない。
命かける!って思ってる人間と
楽しみながらやる!って人間が
仲良くできるわけがない。