第2段階 仏教伝来。
弥生時代になる前、日本人の人口が激減する。
それは、寒冷化になるためである。
縄文時代6,000年前~4,000年前まで現在より3~4℃高いそのために、福井から青森に縄文時代の遺跡があるのも納得できる。暖房器具もない時代に北陸から東北地方に集落があるのは、温暖気候であるからである。
3,000年前から寒冷化になる。そのために弥生時代は関東から九州に移行するのである。
この時代に中国から、人口が流入する。
中国は3,000年前から秦が統一される2,200年の間、戦争が頻繁になる。
そのため、その戦乱を避けるために、日本に中国・朝鮮人が流入する。
彼らは、稲作とういうものを伝播してくれたが、戦争というものを争うことも日本に伝播と様々な病原菌を日本に入れた。
3,000年前の遺跡には、人を殺す武器がないのに対して、刀や盾という戦いの武器が発掘され、集落には、城壁や土豪後ができの後がある。
埋葬の遺骨もみると、胴体と首が離れたもの、槍や弓が刺さってその先端がそのまま骨に残ったもの、鈍器で骨が陥没したものがでる。
大陸人間は、特に黄河文明は牧畜狩猟民族である。戦うことが日常の文明であるのに、対し、縄文時代の日本人は採取漁撈民族だから、戦いを知らない民族が大陸の民族と戦ったら負けるのは仕方がない、そして、食べるものが違う民族の流入すると、必ず病原菌が蔓延する。インカ帝国はスペイン人により崩壊したが、その原因は軍事的なものより、病原菌と言われている。
弥生時代の遺跡で代表的なものは、吉野ヶ里遺跡である。まさに、戦国時代の戦争を前提にした集落であり、物見櫓・城壁・壕などがあり、縄文時代の集落とはまったく異なるのである。
そういった時代が紀元前1,000年から西暦100年前後になるが、その後、そういった戦争を前提にした集落がなくなるのである。
日本全国が遠く離れた地域のものが遺跡が出土しているので、交流によるモノの交易があったと推測されるし、城壁がなくなるのである。
縄文人の差別しない・戦争しない・勤労精神がそういったものが大陸人間にうまく融合したのではないかと推察される。
それが、稲作というものが入って共同作業で行うものであれば、日本独自の共同システムがよりよくなっていたのである。邪馬台国や大和朝廷の始まりは今もって謎が多いが大和朝廷の初期の遺跡である纒向(マキムク)遺跡をみると近畿・関東・北陸・山陰地方のものがあること、戦争に備えたものがないことから合議制で大和朝廷が運営されたのではないかといいうのが最新の考古学の推察である。
この根本には自然崇拝を根源とする縄文時代のアニミズム(万物に神が宿る思想)である。
日本人は遥か昔から自然を見つめ・観察して・その営みを大切にしたのである。
それが現在の神道の根源であり、日本の宗教・文化の基礎である。
そういったものが確立した中で大陸から良きことも・悪いことも流入しても見事に融合して、戦乱をやめて合議制にいったと推察する。
世界のどの文明を見ても農耕や牧畜が始まると文字ができると同時に戦いが始まる。
領土を広げることを始めるのである。我が国には文字は、公式には大和朝廷以前にはないがいろいろあったと言われる。
戦争のために文字ができるのなら、いらないとう選択をしたのではないかと思う。
家族のやりとり、集落のやりとりに文字はいらない。人と人の結び付きが良い状態であれば、文字伝達より直接あって会話したほうがいい。
人と逢っての情報伝達は5倍であるからである。人は文字よりも相手の表情や声のトーンや仕草で受け取るからである。逢っての言葉の認識は20%程度だからである。
平和であったから文字文化が遅れたと言えるが、戦争の文化が他の文明よりも遅れて文字文化が遅れたことは、いいのではないかと思う次第である。
人と人と傷つけ合う文明が先進文明と解釈するのは西洋思想歴史観の最も愚劣したものである。
それは、原爆や最新の武器の進化は今も続けられている、こういった文明がいい文明と言えるだろうか?
進化とは人のしあわせを追求するものならば、縄文人の思想の方が現代文明よりも素晴らしいと私は信じる次第である。
仏教の伝来の前に、縄文人の思想の確立とその後の弥生時代の大陸文化の融合がうまくいった中で入って来た。
絶妙のタイミングである。
仏教は、538年に現在の韓国の百済の聖明王(サイメイ)から欽明天皇(キンメイ)から日本に伝来された。
一つの文化の流入は、一国において混乱を招く、それが宗教であればそれは大変なことである。
古代の国家において新宗教が流入において混乱・内乱・戦争そして、国の転覆した国家があったのは世界史が見事に証明している。
日本でも、仏経派の蘇我氏と神道派の物部氏と争いがあった。
その時代は寒冷期と温暖期が短い間に繰り返された。
つまり、自然災害や天変地異があった時代であり、活火山は平安時代まで、どの地域でも現在よりも活動が激しい時代である。そのために、寒冷化が必然であった。
当時では、それが神仏がそれを司るという認識だから、他国の仏、自国の神と混乱したであろう。
しかし、他の文明や古代国家のように大規模な内乱や民衆奮起までは起こらなかった。
その根底には、日本人の根源が既に確立されていたからと信じる次第である。
次回に続く。
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