退院日 朝食後、ホテル「シュライバー」から車でお迎えに来て頂き、送迎してもらいました。ホテルの元の部屋に戻り、「無事帰って来れた」とベッドで横に。
---退院~帰国まで--- 退院後は指定された日時にボーゲン病院に行って診察を受けました。
ボーゲン病院での診察1回、プロスパインでの診察1回でした。
普段は、基本的に頸椎用ソフトカラーを着けて生活しました。当初は極力頸を動かさない様にロボット風に動いていたため肩が凝ってしまいましたが、ベルタグノーリ先生の診察時に「もっとリラックスしていいですよ」とアドバイスを頂いてからは、ある程度柔軟に動かす様にしました。
頸椎ADRにおいては、術後間もない時期でも自然可動域の70%程度まで動かしても良く、ソフトカラーはそのストッパーとして機能させることが目的の様です。
固定術の場合、術後一定期間は頸椎の動きをカラーで厳重に制限せざるを得ないのですが、ここにもADRの利点がありました。実際に柔軟に動かしても疼痛は勿論、違和感すらなく、その後当然肩凝りも軽減しました。
ボーゲン病院での診察は、内科医による問診が中心で、その時の症状によっては内服薬を処方するというものでした。その後のプロスパインでの診察は、ベルタグノーリ先生による診察で、頸部の状態をチェックして頂いた後、今後の症状回復の見込み、職場復帰時期の見込みなどを説明して頂きました。
ADRに関する専門的なお話も少々御聞きすることが出来ましたし、雑談も交えて終始和やかな雰囲気で診察して頂きました。
その後プロスパインで主にdataの解析をしておられるハビヒト先生とお話することができ、ADRに関する様々なdataを教えて頂きました。
また、ADRを含めたmotion preservation technologyに関する医学書を紹介され、購入することに。書籍代は安く「おまけ」してもらい、見開きにはベルタグノーリ先生から直筆のメッセージを頂きました。これから勉強です。
その他ホテルでの生活ですが、退院してからしばらく胃腸の状態が悪く、食欲が減退していました。原因は分かっていたのですが、病院食から開放されてのピザを夢見ていたので少々辛かったです。その頃、ちょうど町のパレードの日が迫っており、それに合わせてイタリア人経営のアイスクリーム屋さんが再開されました。そのアイスはとても美味しく、全身にしみ込む様な感覚で、以後通いつめました。帰国日が近づくにつれて胃腸の状態も回復しました。
ドイツ滞在中の精神的支柱は家族、同僚など、私の周りにいてくれる人たちでした。日本で待ってくれている人がいる、という気持ちは常に私を励まして目を前に向けさせてくれました。
帰国日 手術後13日目。
昼食後にミュンヘン到着時と同様、専用のベンツでお迎えがあり、ミュンヘン空港へ向かいました。
道中車窓から見た、BMWの巨大な工場、原発からの巨大な煙など、行く時に見た同様の景色があり、印象的でした。1時間足らずでミュンヘン空港へ到着し、搭乗手続きへ。松崎さんと「次は日本で会いましょう」と約束し、握手。
進行する脊髄麻痺の中、私に残った一縷の希望を現実の形にしてくれた恩人との握手。僅か1ヶ月前に知り合っただけの私に限りなく尽くしてくれた、恩人との握手。日本人には握手の習慣はありませんし、私自身も握手の記憶は僅かにある程度でしたが、この握手は一生忘れないであろう、心から感謝の握手となりました。
搭乗前に、病院で渡された肺塞栓予防用の「ヘパリン」を打つべくトイレへ。トイレでこそこそとヘパリンを腹部へ皮下注し、注射器をゴミ箱へ破棄。この動作が何か悪いことをしているかの様で気持ちが高揚し、犯罪者気分に。皆が自分を見ている様な気がしましたが、単なる自意識過剰でした。
日本の家族、これまで支えてくれた人たちに帰国の連絡をし、松崎さんに手配して頂いた電動カートに乗ってANAの搭乗口へ。
予定の飛行機に乗りましたが満席に近く、「後ろの席で寝転んでやれ」という私の邪な野望もあえなく砕け散りました。CAに「頸椎の手術後であり、痛くなったら5分で良いのでどこかで寝転ばせて欲しい」と申し出るも笑顔で却下。航空会社からすれば「ビジネスクラスを買えば良い」というのが本筋なので、こちらも作り笑顔で席へ。
10時間以上の座ったままのフライトは少し疲れましたが、頸に違和感はなく、無事帰国できました。次の国内フライト、高速バス、タクシーを乗り継ぎ、自宅へ。帰宅時はもっと感動すると思っていましたが、「ただいま」と普段と変わらない帰宅。上手くいった時はこんなものなのだろう、と。これにてひとまず予定通りのADR完了となりました。