【再掲・追記】「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉 | 幸福を実現するブログ

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『ペテロは「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。』

これは、マタイの福音書の一説です。

ぺテロは、イエスの存命時からの弟子のリーダー的存在でした。

ローマのキリスト教会の初代教皇とも言われてます。

その方が、イエスが詰問を受けてる際に、私は、あの人のことを誓って知らないと3度、述べたのです。

このような徳高き方でも、こうなることはあるのです。

人は、どうしても過ちをおかします。

過ちを避けられないことも、あると思うのです。

だから、人は、反省が必要なのです。

ぺテロは、その後、大いなる悔恨のため、イエスや人類の愛のために、ローマで逆さ十字の磔で殉教します。

人は、過ちをおかします。

だから、反省が必要です。

したくなくとも、過ちをおかすこともあるのです。

ぺテロのような聖人でもそうなのです。

だけれども、反省によって、神から許され、後にぺテロのように活躍することもできます。


冒頭の言葉の経緯を添付しますので、読んでください。

マタイの福音書抜粋
『26:2

「あなたがたが知っているとおり、ふつかの後には過越の祭になるが、人の子は十字架につけられるために引き渡される」。

26:3

そのとき、祭司長たちや民の長老たちが、カヤパという大祭司の中庭に集まり、

26:4

策略をもってイエスを捕えて殺そうと相談した。

26:5

しかし彼らは言った、「祭の間はいけない。民衆の中に騒ぎが起るかも知れない」。

26:6

さて、イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、

26:7

ひとりの女が、高価な香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、イエスに近寄り、食事の席についておられたイエスの頭に香油を注ぎかけた。

26:8

すると、弟子たちはこれを見て憤って言った、「なんのためにこんなむだ使をするのか。

26:9

それを高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに」。

26:10

イエスはそれを聞いて彼らに言われた、「なぜ、女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。

26:11

貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。

26:12

この女がわたしのからだにこの香油を注いだのは、わたしの葬りの用意をするためである。

26:13

よく聞きなさい。全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」。

26:14

時に、十二弟子のひとりイスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところに行って

26:15

言った、「彼をあなたがたに引き渡せば、いくらくださいますか」。すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。

26:16

その時から、ユダはイエスを引きわたそうと、機会をねらっていた。

26:17

さて、除酵祭の第一日に、弟子たちはイエスのもとにきて言った、「過越の食事をなさるために、わたしたちはどこに用意をしたらよいでしょうか」。

26:18

イエスは言われた、「市内にはいり、かねて話してある人の所に行って言いなさい、『先生が、わたしの時が近づいた、あなたの家で弟子たちと一緒に過越を守ろうと、言っておられます』」。

26:19

弟子たちはイエスが命じられたとおりにして、過越の用意をした。

26:20

夕方になって、イエスは十二弟子と一緒に食事の席につかれた。

26:21

そして、一同が食事をしているとき言われた、「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。

26:22

弟子たちは非常に心配して、つぎつぎに「主よ、まさか、わたしではないでしょう」と言い出した。

26:23

イエスは答えて言われた、「わたしと一緒に同じ鉢に手を入れている者が、わたしを裏切ろうとしている。

26:24

たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」。

26:25

イエスを裏切ったユダが答えて言った、「先生、まさか、わたしではないでしょう」。イエスは言われた、「いや、あなただ」。

26:26

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。

26:27

また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。

26:28

これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。

26:29

あなたがたに言っておく。わたしの父の国であなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」。

26:30

彼らは、さんびを歌った後、オリブ山へ出かけて行った。

26:31

そのとき、イエスは弟子たちに言われた、「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして、羊の群れは散らされるであろう』と、書いてあるからである。

26:32

しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」。

26:33

するとペテロはイエスに答えて言った、「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」。

26:34

イエスは言われた、「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。

26:35

ペテロは言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。弟子たちもみな同じように言った。

26:36

それから、イエスは彼らと一緒に、ゲツセマネという所へ行かれた。そして弟子たちに言われた、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここにすわっていなさい」。

26:37

そしてペテロとゼベダイの子ふたりとを連れて行かれたが、悲しみを催しまた悩みはじめられた。

26:38

そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。

26:39

そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。

26:40

それから、弟子たちの所にきてごらんになると、彼らが眠っていたので、ペテロに言われた、「あなたがたはそんなに、ひと時もわたしと一緒に目をさましていることが、できなかったのか。

26:41

誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。

26:42

また二度目に行って、祈って言われた、「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。

26:43

またきてごらんになると、彼らはまた眠っていた。その目が重くなっていたのである。

26:44

それで彼らをそのままにして、また行って、三度目に同じ言葉で祈られた。

26:45

それから弟子たちの所に帰ってきて、言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡されるのだ。

26:46

立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた」。

26:47

そして、イエスがまだ話しておられるうちに、そこに、十二弟子のひとりのユダがきた。また祭司長、民の長老たちから送られた大ぜいの群衆も、剣と棒とを持って彼についてきた。

26:48

イエスを裏切った者が、あらかじめ彼らに、「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえろ」と合図をしておいた。

26:49

彼はすぐイエスに近寄り、「先生、いかがですか」と言って、イエスに接吻した。

26:50

しかし、イエスは彼に言われた、「友よ、なんのためにきたのか」。このとき、人々が進み寄って、イエスに手をかけてつかまえた。

26:51

すると、イエスと一緒にいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、そして大祭司の僕に切りかかって、その片耳を切り落した。

26:52

そこで、イエスは彼に言われた、「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。

26:53

それとも、わたしが父に願って、天の使たちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。

26:54

しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか」。

26:55

そのとき、イエスは群衆に言われた、「あなたがたは強盗にむかうように、剣や棒を持ってわたしを捕えにきたのか。わたしは毎日、宮ですわって教えていたのに、わたしをつかまえはしなかった。

26:56

しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書いたことが、成就するためである」。そのとき、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。

26:57

さて、イエスをつかまえた人たちは、大祭司カヤパのところにイエスを連れて行った。そこには律法学者、長老たちが集まっていた。

26:58

ペテロは遠くからイエスについて、大祭司の中庭まで行き、そのなりゆきを見とどけるために、中にはいって下役どもと一緒にすわっていた。

26:59

さて、祭司長たちと全議会とは、イエスを死刑にするため、イエスに不利な偽証を求めようとしていた。

26:60

そこで多くの偽証者が出てきたが、証拠があがらなかった。しかし、最後にふたりの者が出てきて

26:61

言った、「この人は、わたしは神の宮を打ちこわし、三日の後に建てることができる、と言いました」。

26:62

すると、大祭司が立ち上がってイエスに言った、「何も答えないのか。これらの人々があなたに対して不利な証言を申し立てているが、どうなのか」。

26:63

しかし、イエスは黙っておられた。そこで大祭司は言った、「あなたは神の子キリストなのかどうか、生ける神に誓ってわれわれに答えよ」。

26:64

イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。

26:65

すると、大祭司はその衣を引き裂いて言った、「彼は神を汚した。どうしてこれ以上、証人の必要があろう。あなたがたは今このけがし言を聞いた。

26:66

あなたがたの意見はどうか」。すると、彼らは答えて言った、「彼は死に当るものだ」。

26:67

それから、彼らはイエスの顔につばきをかけて、こぶしで打ち、またある人は手のひらでたたいて言った、

26:68

「キリストよ、言いあててみよ、打ったのはだれか」。

26:69

ペテロは外で中庭にすわっていた。するとひとりの女中が彼のところにきて、「あなたもあのガリラヤ人イエスと一緒だった」と言った。

26:70

するとペテロは、みんなの前でそれを打ち消して言った、「あなたが何を言っているのか、わからない」。

26:71

そう言って入口の方に出て行くと、ほかの女中が彼を見て、そこにいる人々にむかって、「この人はナザレ人イエスと一緒だった」と言った。

26:72

そこで彼は再びそれを打ち消して、「そんな人は知らない」と誓って言った。

26:73

しばらくして、そこに立っていた人々が近寄ってきて、ペテロに言った、「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」。

26:74

彼は「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。

26:75

ペテロは
「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」
と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。』


【追記】
真理の徒でも、大きな過ちを犯すのです。
救世主に対しても、このような過ちを犯すのです。
ましてや、我々、凡人なら、過ちを悔い改めることに躊躇してはいけません。
自らの思いが、間違っていると少しでも、思うなら、真摯に反省をしなければなりません。
後悔先に立たずと言うかもしれませんが、反省は、その後悔をも消すことができる魔法の行為なのです。
神に許され、再起ができる唯一の道なのです。
また、自らの言葉を点検しなければなりません。
自ら、汚い言葉を発してないかということです。
嘘、偽りを述べてないかということです。
不妄語に、不悪口に不両舌に気を付けなければなりません。

もし、不悪口的な乱暴な言葉を使うブログは読まないに限ります。
それらのブログを読むと悪霊を招くことになります。

現代の悪魔は、活字を通してやってくるのです。

もし、ブログ記事が人を貶める内容に満ちていたら、読むに値しないものと判断しなければなりませんね。

さぁ、明日は学園の文化祭、楽しみだなぁ。
本当に幸福の科学学園は現代の希望だ!
主が「主の宝」と言われた子供たちの成長が楽しみでしょうがない。
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