信仰者の境涯は、どうあるべきか。
第一に「何があっても恐れない」ことである。
心を紛動されないことである。
世の中には偽りがある。それらに、いちいち心を動かされるのは、あまりにも愚かである。また不幸である。絶対にウソがないのは妙法である。日蓮大聖人である。ゆえに、広宣流布に生ききっていく人生が、もっとも賢明である。信仰しているゆえに、いやな思いをすることもあるにちがいない。人一倍の苦労もある。しかし、全部、自分自身の修行である。
大聖人は「一生成仏」と仰せである。成仏するためには、必ず三障四魔という関門を越えなければならない。超えれば一生成仏であり、永遠にわたって仏の大境涯を楽しみきっていける。ゆえに何があろうと恐れず、楽しく、勇んで、前へ前へと進むことである。
第二に、「いつも希望を燃やす」人生である。希望ほど強いものはない。妙法は「永遠の希望」である。何があっても希望を失わない人こそが幸福者である。
第三に、「どんな時でも楽しめる」境涯である。
死んでいく時にさえ、心から笑いながら「ああ、おもしろかった。さあ、次はどこへ行こうか」と、楽しんでいける。それが信心の境涯である。
何があっても楽しめる大境涯ー信心は「歓喜の中の大歓喜」(御書788ページ)なのである。