目標、方法、実践。
目標がなければ意味がなく、方法が正しくなければ非効率的で、実践しなければ成し遂げることができない。
ひとつでも欠けると足が一本短い三脚のように力なく倒れる。
好きな言葉だったので抜粋させてもらいました。
目標というのは無ければ人生漠然としてしまうし、方法が無ければ達成できないし、実践しなければ口だけ人間になる。
そのどれが欠けても達成することができないという意味だけれど、達成できない原因としてはそのバランスが崩れることにある。
バランスを取るためにはたえず自分を振り返らなければいけない。
前に進むたびに自分を振り返り、違った方向に向かっていないだろうか、やり方はあっているだろうかと振り返りながらじゃないと、終盤になって「なんか違うきがする」といって達成できないで終わることが多い。
定期的に自分と対することのない人生なんてにぶいノコギリのようにのっぺりとしてしまう。
ずっとがんばればもしかしたら目標達成できるかもしれないけれど、にぶいノコギリのように無駄に時間がかかってしまう。
そうならないためにも振り返らないといけない。
嫉妬と羨望の区別。
私は自分で性根の曲がった嫌な奴だなと思うことがある。
表向きは拍手をして賛辞を送り喜ぶ。
決してそれが全くのウソというわけではないのだけれど、100%の本心ではないことがある。
ようは人の成功に素直に喜ぶことができず、嫉妬心が現れる。
負けず嫌いと言い換えることができるかもしれない。
負けず嫌いというと聞こえがいいが、自分で感じるのはそれよりも気持ちが悪い。
結局は人が褒められたりするのが好きじゃないんだと思う。
でも、その後、追いつけるように努力をするのは自分のいいところだと思っている。
そもそもがそういう状況になる前に努力をして追い抜かれないように努力する。
そんな比較対象がいることで伸びる自分がつくづく気持ち悪くて嫌になるけど、それが原動力になっているのは事実で、ひとりでは伸びていかない。
例えば一緒にカメラを始めた友達とは切磋琢磨して楽しんでいるのに、内心では自分の方が先にコンテストに入賞したいと思っていたりとか、越谷では毎日みんなで写真を見ていて、そこで誰よりも認められたいから写真をたくさんがんばってみたりとか。。
原動力になってることは確かだからもしかしたらそれでもいいのかもしれないけれど、相手の良いことに対して素直に賛辞を送ることができない、羨望のまなざしではなく嫉妬の感情が強い。
結局考え方が主体的になりすぎて相手を思う気持ちが少なくなって素直に賛辞を送るということができないのかもしれない。
特段人の成功に関しては主体的というか、自分本意になってしまう気がしている。
本当は素直に一緒に喜び、そのうえでじぶんも頑張ろうと思えたらいいのだけれど…
刑務所と修道院の違いは不平を言うか感謝をするかだ。
私は自分の今の状態がツライと思うことがよくある。。
これも考え方ひとつだと思うのですが、仕事がうまくいかなかったりするともっとがんばらないとと思う自分と、なんでこんなことに・・・。と思う自分がいます。
もちろんその辛さに感謝をする時もあるけれど、それは振り返ったときとかに感じることで、やはり不平の方が反射的に出てきます。
それを表には出さないから変に思われたりはしないのだけど、そう思う自分に嫌気が差します。自分にうそはつけないというやつです(苦)
この本を読んだことで本性というか、人に見せない部分というのが改めて自覚ができて見直すきっかけになりました。
一回気づいただけで改善されることはないので、これからもずっと読書を続けていきたいと思います。














