米大統領選の投票日が明日に迫った。クリントン氏は、結果を受け入れるだろうが、トランプ氏は、負けても裁判に訴える可能性が出ている。

 

トランプ氏は、デマゴーグー(扇動政治家)であって、大統領としての資質は全くないとの意見もあるが、彼は、善戦してきているのである。

 

2000年大統領選でもブッシュ氏がゴア氏に0.03%だけ上回ったことで、再集計し、ブッシュ氏が上回った。

 

その後に、ゴア氏が提訴し、機械でなく手作業を求めた。最高裁判所の判断をゴア氏が受け入れるまでに1ヶ月の混乱である。

 

コンピューターソフトを少し知る人なら分かるだろうが、ソフトに若干の手を入れれば、集計でごまかしができる。

 

経理ソフトを作成するプログラマーなら、顧客企業で売上入力しても、時々、集計されないように作ることができる。

 

途上国の例では、先進国が選挙のために集計システムを寄贈しても、有権者らには中のソフトは見えないから、公正に得票を数えられたかどうかという疑問が残る。

 

いや、投票までの選挙集会で、候補者は、感情に訴えるアジ演説を行い、裏では賄賂と互恵取引である。

 

こうなると、投票行為自体が、本当に国全体のためにしているのかどうか、疑わしい。

 

日本でも投票に現れた有権者数と、全候補者の得票数と無効投票数の合計は合わないことがシバシバである。

 

各地域で、公務員ら担当者;数百人が、同時に数えるのであるから、中には、間違いも起こるだろう。

 

それよりも、大きな問題は、現代の選挙制度には、落ち着いて国際政治・経済・産業政策・税制・医療制度などの様々の課題、特に他先進諸国の失敗について熟慮させる仕組みがないことである。

 

愚かな政治家の事件が報道される度に、そんな人物を選んだ有権者が問題なのだという反省の声が聞こえるが、これも全くの間違いであろう。

 

有権者にとっては、殆ど知らない立候補者ばかりが並んで、その中から政治家を選ぶのだから、「君たちは、判断を誤ってダメだ。愚かだ。」と言われても、有権者は、皆困るのである。

 

日本でも、何十年続けても、いつまでも愚かな政治家や愚かな事件、それも常識では考えられない問題が、ちっとも無くならないのは、制度の問題であることに気づくべきだ。

 

我々人類は、本気で有権者の集合体としての賢明さを導き出す制度を開発する必要があるのだ。

 

それは、聞いている有権者を感情的に興奮させるような「アジ演説」中心の制度ではなく「小さな会議(参加者全員が発言し、質問できる。反対意見も落ち着いて聞けて、それなりに納得できる会議)」のある選挙制度であろう。

 

産業の形も科学技術も、まだ、今ほど発展していなかった150年以上もの昔、欧米が開発したのが、現在の有権者にとっては、殆ど投票だけの選挙制度である。

 

現在世界に拡大した選挙制度(制度化されているのは、ほぼ「投票行為」だけで、議論は制度化されていない。)は、その有効性の観点から言えば、既に破綻していると、考えるべきではなかろうか。

 

解決策の一つは、勝抜き熟議選挙(DTE: Deliberative Tournament Election)である。