変化を感じる主体とは何か? | 堀江直樹の無限上達への道のり

「変化を感じる主体は何か?」

 

 

 

今日は久々に体のことに関するブログを。

 

 

 

昨日、施術がてら人の体を触っていたときに感じたこと。

 

 

 

自分が施術するときに

 

 

 

「リズム」や「動き」が回復することを指標に行う。

 

 

 

 

このリズムは呼吸、蠕動運動、頭蓋仙骨リズム、チャクラ、生命のエネルギー的なリズム、

 

 

 

様々なレベルのリズムがあると思っているし、

 

 

 

それらを感知し回復することを狙いにしている。

 

 

 

宝石とかパワーストーンにも振動の周波数があるという。(時計も水晶の振動を基準に動くものとかがある)

 

 

 

触れることは振動の出会いであり、

 

 

 

振動が出会うことはそこで何かしらの干渉や変化が生まれることを意味する。

 

 

 

たまにそのリズムが止まっているように感じる人がいる。

 

 

 

そこで、触れながらその人たちのリズムが出てくるまで待つ。

 

 

 

そんなイメージ体系をもっていたけど、

 

 

 

何やらその感覚の押し付けになっている感じがして、

 

 

 

うまく行くときもあるけど、うまくいききらないそんな感覚がありました。

 

 

 

そこで大前提のチェンジをしてみました。

 

 

 

「動きが止まっている人を動かそう」または「動きが出るまで待とう」

 

 

ではなく

 

 

 

「もっと繊細な動きがあるのでは」

 

 

 

と思って、自分の大前提の動きを感知するチャンネルを変えてみたんです。

 

 

 

 

自分の大前提に相手を合わせるのではなく、大前提のないところから観る。

 

 

 

そうしたときにちょっと手応えがありました。

 

 

 

「調和」という言葉を僕はよく使いますが

 

 

 

今までは「相手を自分に調和させていた」んだなぁと痛感しました。

 

 

 

 

きっと、施術が上手で調和がうまい人は自然にやるんでしょうね。

 

 

 

だけど、そうやってみると動きが止まっている人は今まで固い人ってイメージもありましたけど、

 

 

 

すごく心が繊細な人なのかもなって思ったり。

 

 

 

さて、冒頭の問いにつながりますが、

 

 

 

「変化を感じる主体がなんなのか?」

 

 

 

 

変化の主体を何とするかで、感知できる領域が変わるなと感じます。

 

 

 

この体の感覚を感じるものは何と何が出会って感じるんでしょうね。

 

 

 

触る主体に触れながら自分のリズムも感じられる。

 

 

 

触れなくても自分のリズムを感じられる。

 

 

 

その主体とはなんなのか。

 

 

その自由度が増すことで様々なことを感知し、応用することが可能となりそうです。