従事者が患者様に“寄り添う”とは
テーマ:日々のこと今回は"寄り添う"とは何か、のお話を少々。
私達在宅医療・介護の世界には、病院や施設から転職してくるスタッフが多くいます。
その志望動機によく耳にするのが
「もっと患者様、利用者様に寄り添いたいから」
という言葉です。
志があり、かつ献身的なその姿勢に心が打たれることもありますが、
ここで少し注意しなければならないことがあります。
一寸事例を紹介しましょう。
数年前の出来事でした。
他の訪問看護事業所の看護師Aが、末期がん患者Bさんに関わっておりました。
その事業所では居宅介護支援(介護保険制度でのケアプラン作成)をおこなっていない為、
私達は訪問看護としてではなく、居宅介護支援として関わることになりました。
早速訪問し、B様のご自宅へ入りましたが、奥様と並んで看護師Aが、
「B様は私にだけしかダメ(心を開いているのは私だけという意味か)なので・・・」
としてB様へのお部屋にいれてもらえませんでした。
B様はとてもデリケートな状態にあり、看護師Aだけに心を開いているため、
という事だそうです。
そして聞けば、ここ数日毎日B様宅を訪れて、何時間も" 寄り添い続けている"との事。
そして私達が訪れたこの日も、すでに訪問から4時間以上が経過し、
かつそれ以前も何時間という単位で、びっしり"寄り添っている"との事でした。
さて、一見献身的な看護師としてすばらしくも感じることが出来そうなA看護師ですが、
果たしてB様にとっては" 効果的 "なケアが提供できたと言えるのでしょうか。
少し分析してみましょう。
A看護師の思考は次の通りでしょう。
「患者様Bは末期状態にあり、不安と苦しみに怯えており、
家族も同様、だから看護師としてそばについていなければダメなはずだ。」
即ち「患者=常時援助なが必要な弱者」という図式ができあがっているわけです。
そして看護師がそばに居続けることが最良のケアと考えているわけです。
かつ、通常は30~90分ですから、訪問看護提供時間にも問題があります。
その2時間後、私達はこのB様に会わせていただくことが出来ましたが、
「不安を助長する」など、A看護師の心配事は一切起きず、
スムーズに介入させていただく事が出来ました。
要するにA看護師が思っていた以上にB様は「しっかりしていた」のです。
私達医療従事者は「家族」ではありません。
あくまでも支援者に過ぎず、その支援とは、患者様の自立支援であり、
生き方、生き様をお支えするのが私達の仕事なのです。
よって「残された貴重な時間」を、
我々従事者が関わることによってその時間を奪ってはならないのです。
患者様が自ら、残された時間を家族と共に最良の時間へと創り上げていくことを
あたかも舞台の「黒衣」のように、さりげなくご支援させていただくことなのです。
得てして心身の平穏を目指し、背中をなで続け、なかなか落ち着かない患者様を目の前に、
そばを離れることが出来ず、途方に暮れる看護師達も少なくはありません。
もしかするとお世話をすればするほど患者の自律心は遠ざかり、
より従事者へ依存的となり、心身の平穏からも遠ざかっていくこともあるかもしれません。
時には苦しむ患者をの背中をさすることを家族に任せて、戦略を立て直すことも必要なのです。
そして看護師が一手に背負うのではなく、
医師、看護師、介護師、ケアマネ、などの従事者達、
そして何より、患者本人、家族も共に目標に向き合い、
共に取り組むという姿勢も大切だと思うのです。
残念なことに、効果的ではなかった理由が自分の寄り添う時間が足りなかったからだとして
訪問看護を去っていく人材も少なくはありません。
残された時間をご本人と家族が如何に最良な過ごし方を出来るかどうか、
最小限の訪問時間と最大限の「思考」でお支えすることが
本当の意味での「寄り添う」ことであると考えるのです。
少し長くなりました。
反論、批判、諸々あることでしょう。
今後の議論はお互いの経験則のぶつけ合いではなく、
是非ともゼロベースで思考していこうではありませんか。
制度上、寄り添える時間が最も長いのは訪問看護でしょう。
良い看護とな何かを追求できる、最も最高の職業とも言えるかもしれません。
在"であろうと日々努力をさせていただいております。
その"効果的"とは一体何か、そこから考えなければならないと思います。



















