平原綾香CONCERT TOUR 2015~Prayer~



8月1日(土)広島公演(16公演目・通算306公演目)

@広島上野学園ホール 開場17時 開演17時30分


暑い! 暑い! 暑い! 

1日の朝、家を出発する時点で既に猛烈な暑さ、

初めて最寄りの駅までタクシーに乗ってしまった。

新幹線は涼しいけど、乗換の新大阪の駅は

暑くて頭がクラクラした。

それに夏休みの土曜日とあって人であふれ

クーラーの効いた待合室は座ることもできない。

乗換後の新幹線は涼しいけど、暑かったり、涼しかったりで

身体がおかしくなりそう。2時過ぎに広島に到着した時は

もうかなりのお疲れ。


広島もやっぱり暑くどこにも行く気になれず

駅で一緒になった姉と二人でカフェで休んで、

頃合いを見て、会場へ。



あーや 発見!


上野学園ホール 

見よ!この青い空!


開場を待つ間、暑かったこと。



いつものサイン入り大パネル


前置きが長いけど、コンサートはいつものように開演。

最初、少しおとなし目だったかな。

それだけ一曲一曲をしっかり聴いているってことだと思うけど。

あーやも後のMCで

「最初、ちょっと心配したけど切り替えが早く盛り上がって良かった」

と言ってました。

そうです。大丈夫、盛り上がるところはしっかり盛り上がりました。


今回は2点だけ触れます。


① 例の「サウンド・オブ・ミュージック」について

マリあーやはライトの当たらない後方の座席まで行き

大草原を楽しそうに走り歌い踊っていました。

前回も書いたけど、最近は後ろの席を意識的に廻り

笑顔と幸せをみんなに配達するマリあーやでした。


チャボは通路から2列目だったけど隣の方が遅れてきてその

時まだいなくて、あーやがそばに立って歌いました。


②「30公演 全部違う曲を歌うコーナー」


今まで

①埼玉・和光公演 「Amazing Grace 」

②東京・立川公演 「Reset 」

③福島・郡山公演 「花は咲く」

④群馬・前橋公演 「いのちの名前 」

⑤埼玉・越谷公演 「Hello Again,JoJo」
⑥神奈川・相模大野公演 「夢暦」

⑦長崎・佐世保公演 「虹色のアーチ」

⑧大分・日田公演 「なごり雪」

⑨熊本公演 「虹の予感」
⑩福岡公演 「夏の終わりのハーモニー」(「祝いめでた」)

⑪京都・城陽公演 「願い」

⑫奈良公演 「Great Harmony」

⑬神戸公演 「ラヴ・ラプソディー」

⑭宮城・仙台公演「大きな木の下」「あいのうた」    

⑮岩手。北上公演「星めぐりの歌」


そして広島公演

チャボはこの企画が決まった時、

広島の歌は「いのちの名前」か「一本の鉛筆」しかないと思いました。


今から10年前、戦後60年の年、TBSテレビ放送50

~戦後60年特別企画~

「ヒロシマ…あの時、原爆投下は止められた・・

いま、明らかになる悲劇の真相」がありました。


その時番組のナビゲーターを務めたのが

筑紫哲也さんと綾瀬はるかさん。

筑紫さんは亡くなられましたが、広島出身の綾瀬さんは

その後も番組の意思を継承し取材を続け一冊の本となっています。


この番組のテーマソングが「いのちの名前」。

久石譲さんのピアノであーやが歌い、

放送後問い合わせが殺到したんですよね。

「♪青空に線を引く ひこうき雲の白さは♪」

最初の一節を聴いただけで胸がいっぱいになります。

歌詞の一つ一つが心に重く突き刺さってきます。

この歌詞は広島にゆかりのあるものが聴けば

本来の歌詞の意味合いと別なものを感じ取ると思います。

以前、広島公演であーやが歌ったこともあります。


今回は既に6月21日の群馬・前橋公演で歌っています。

となるともう「一本の鉛筆」しかありませんよね。



1974年(あーやの生まれる10年前)

 1回広島平和音楽祭で美空ひばりさんが歌ったのが 『一本の鉛筆』。

会場が体育館だったため、暑い控室で出番を待つひばりさんに

クーラーの効いた部屋を勧めたら、

原爆投下の時の広島の方はもっともっと熱い想いをされたのだから、

私はココでいいですと辞退されたとか

こんなエピソードの込められた「一本の鉛筆」です。

 

その後、平和への絆コンサートであーやと元ちとせさんがコラボしました。

自分はその時の録画を繰り返し観ています。

今年は戦後70年、被爆70年の節目の年です。

その8月1日にあーやのコンサート広島公演が開催され

あーやが広島のために「一本の鉛筆」を歌ったこと、

それは必然だと思います。


自分は確かに二度にわたる直訴紛いの手紙を渡して、

「一本の鉛筆」を歌って下さいとお願いしました。

しかし、自分が思うにあーやの気持ちの中では既に決まっていたと思います。


あーやのことだから忙しい中できっと手紙を読んで下さったと思いますが、

あーやの気持ちをほんの少し後押ししただけだと思います。


手紙は個人的な内容もあるのでここには書けないけど、

上記の内容も含め、さらに次のように書きました。


広島に住む者、ゆかりのある者は平和に対して強い想いがあります。 

特に86日の前後は祈りの日々です。そうです「Prayer」です。

平和を声高に叫ばなくても「一本の鉛筆」にあーやの祈りを

込めて下さればとっても嬉しいです。


戦後70年・被爆70年の2015年8月1日、

平原綾香さんの歌った「一本の鉛筆」

あーやの想い・祈りのこもった渾身の入魂の一曲

息をするのもはばかれるほど聴き入りました。

歌い終わった後、チャボはしばらくは放心状態。

拍手まで一瞬の間があったのは

みんなが同じ思いだったのかもしれません。


歌い終わった後のあーやの涙と共に決して忘れません。



一本の鉛筆を想ふ 夜の蝉

                           三眠




広島で生まれ育ち今は離れた地にいるけど

そんな自分がいつも思うこと。



8月の青い空、街を流れる豊かな川、平和への祈り、広島カープ・・・・


そして青い空と美しい川に込められた人々の哀しみ


あーやもMCで言ってました

「ヒロシマの空が優しく美しいのは哀しみをいっぱい知っているから」