2012-02-03 10:57:00

高峰秀子の人気劣えず

テーマ:ブログ
 私のOfficial Web Site“気紛れDIARY”に「滅法面白い『独占インタビュー高峰秀子』」という記事(http://blog.avexnet.or.jp/abe/diary/2005/10/15_17.html)をUPしたのは、2005年10月15日のこと。キネマ旬報05年9月上旬号に掲載された斎藤明美さんのロング・ロング・インタビュー(なんと20頁)をとり上げ、「斎藤さんとデコちゃん(高峰の愛称)のやりとりが、その場での息遣いとともにこちらに伝わってくる」と大絶賛したものでした。

 先立って改めて私自身の過去の記事を検証していたら、高峰さんのこの記事に13ものコメントが寄せられているのを発見しました。いちばん新しいのは、ことしの1月10日の投稿です。当時の“キネ旬”編集長関口裕子さんからもいただいていました。

 高峰さんが大女優だったことはいうまでもありません。同時に見事なエッセイストでした。『わたしの渡世日記』(上下、以前は文春文庫、現在は新潮文庫)などを通じ、女優として、またひとりの女としての生きざまに共感を覚える人たちが、彼女の亡くなったのちもふえ続けていることと思われます。

 1960年代の終わりから70年代の初めにかけてでしょうか、高峰さんは、丸の内のビルの一角で骨董屋をやっていました。骨董屋の女主人なんて、おおむね手持ち無沙汰なものですよね。立ち寄ると、気軽に話相手になってくれました。

 私はというと書画骨董にはまったく不案内でしたけど、、、、。

 私は、高峰さんよりむしろご主人の松山善三さんと親しくさせていただいてきました。スポーツクラブが同じだったので、いっしょに汗を流したこともしばしばです。しかし、高峰さんの亡くなったあとは、スポーツクラブにもぷっつりです。

 「これからはひとさまに不義理をして生きる」とおっしゃっていると、人伝てに聞いています。

 高峰さんの思い出をふたつ記します。

 60年代の終わりころ、羽田空港の入国審査でハワイから帰国された松山・高峰夫妻といっしょになったことがあります。高峰さんは手荷物を自分で持って前へ進むのが面倒らしく、行列の前が空くたびに足で蹴飛ばして動かしていたんです。

 あの大女優がですよ。

 人に高峰さんって無精者なんだなあと思われても平気だったんでしょうね。

 それはともかく、ふたりはハワイでなにもせずぼさーっとしているのが大好きだったようです。本はいっぱい持っていったらしいけれど、、、、。

 高峰さんはハワイ同様、香港も大好きでした。

 80年代初期、私が初めて香港に出掛けることになったとき、ひいきの店を教えていただくべくお願いしたところ、「陸羽茶室」などいきつけの店を列記したお返事をいただきました。

 その末尾にいわく「くれぐれもスリにご用心」

 私はその貴重な手紙持参で出掛け、お蔭でおいしいものをたっぷり味わうことができました。そこまではよかったのですが、帰国の際、空港のチェッキングカウンター前で高峰さんの手紙も入れておいたボストンバックを置き引きされてしまったのです。

 改めて高峰さんの「スリにご用心」のひとことが身に沁みた次第です。

 その手紙は、というわけで私の手もとには保存されていません。返す返すも残念です。



新装なった新潮文庫『わたしの渡世日記』。
安倍寧オフィシャルブログ「好奇心をポケットに入れて」Powered by Ameba


こちらは旧文春文庫版です。
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コメント

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1 ■高峰さんの

著書や松山さんの本(厚田村)は よく読みます!
 高峰さんと 松山さんの結婚するまでのエピソードは 感動しました!木下 監督に 松山さんが 相談するくだりが 実にドラマチックでした!

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