2011年04月06日(水)

ライアン・ガンダー展/太宰府宝物殿

テーマ:アートとか映画とか
$ababaとmusic

桜の季節ですね!最近屋内にいても、なんかそわそわしちゃって、外に出たくなってたまらない今日この頃


前々から見たいとおもっておりました
太宰府天満宮アートプログラム vol.6 ライアン・ガンダ―展 'You have my word'
に行ってきました



http://www.dazaifutenmangu.or.jp/ryangander/


そもそも太宰府って宝物殿っていう場所があるのは知ってましたが、そこでアートプログラムと題していろいろなアーティストを呼んでいたのは知りませんでした
結構ふつうに有名なアーティストもかつてやっていたようですね



今回のライアン・ガンダーは誰じゃらほいといいますとイギリス生まれの若手作家で、コンセプチュアルアート、いわゆる現代アートでも結構王道なところで最近活躍している人です


展覧会概要の情報からでは、
ハウス・コンストラクティヴ美術館(スイス、チューリッヒ)での個展、グッゲンハイム美術館、セントラルパーク(ともにアメリカ、ニューヨーク)での展示プロジェクト、日本国内では国立国際美術館(大阪)による作品収蔵および展示、サントリーミュージアム[天保山]でのグループ展への参加など

の経歴があって、今年5月まで沖縄県立美術館・博物館にて作品展示、メゾンエルメス(東京)で個展を今年の7月に開催の予定とのこと  ばりばりやってますね




今回なんとか会期終了ぎりぎりに間に合いました 宝物殿の展示のなかに混じってライアンの作品が点在しているため、ボリュームは少なめ あとやはりその作品の性質から、ライアンの作品のくる直前には毎回立て看板で、これはライアンの作品ですといった注意付き。


それもそのはず、作品のひとつにConsequence of evidence (証拠の帰着点ーそれは本当にあったんだよー)というのがあるのですが
それ自体は割れた展示ケースのになっていて、明らかにその中からもともと宝物殿にあったであろうものが、なくなっている というそこまでが作品です

これは不在の強調というライアンが繰り返し用いる手法らしく、鑑賞者はそれを見て「何があったのか、何がおこったのか」を意識せずにはいられなくなるという、、




これはほんとうは作品説明なしのほうがいいんだろうなあと、見てびっくりして係の人に思わず聞きにいくくらいが本当はよかったのかなとか思いました

でも、そうでなくてもライアンの狙いは達成されたんだろうなと思います 現に宝物殿にはほかにもたくさんの宝物が展示されていましたが、少なくとも俺の頭にはあの割れた展示ケースにあったであろう刀の姿を一番想像して、一番まじまじと割れた展示ケースを見つめていたから



おかしな話なわけです、何も入ってないケースを一番じっくり見ていたわけですからね
ほかの宝物こそじっくり見ろよみたいな  そういう面白さがありました



ほかにも同じ手法を使った作品が多かったので、不在による存在の強調というある意味スタンダードな手法をこれでもかと見せてくれた感じ なんか鑑賞の勉強をしていた気分でした



あとは野外に作品がいくつかあって、それを探すために、太宰府天満宮の敷地のまだ通ってないところとか、さりげなく脇にあるいろんな石碑などをじっくり見る機会になったのはすごくよかった


ここからはネタバレですが見つけた野外のやつの写真です↓


ababaとmusic

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どれも一見するとなんじゃこれって感じですね どの作品もテーマというか、ねっこの思想は似ています

つまりこっちを能動的にさせる仕掛けなのかなと こちらがもっと考えながら、片足どころか両足つっこむくらいで作品に触れたら、たくさんのことが浮かんでくるっていうような、そんな感じ


質問シートの作品があって、ライアンが日本人に向けて神道を中心として質問をつくって答えるやつがあったんですが、答えていて思ったのは、そういう精神的な内容の質問を日本人がつくったとして問われるとあんましなんとも思わないんですが、この作品群の文脈のなかで、日本人でないライアンが問うと、自分たちが普段“不在”にしていたことを、浮き上がらせてるなあ、と思いました



つまりは普段自分たちはたくさんのことを不在、なかったこと、わかったことにして生きているということが浮き彫りにさせられたなと 普段これだけ電気を使っているのに、電気のちからを、電気の姿を、無線LANの仕組みなどを意識したことがあったかというような、




でもそれと同時に思ったのは、不在もあっての生活の営みなわけで、古来日本は理解できない現象をそれこそ八百万の神だったりもしくは妖怪の仕業だったりして、畏れていたけれども、それは裏を返せばそれらの存在をつくってしまうことで、理由のわからない、不在なできごとに理由を与えて、不在を不在のままにして、日常を送っていたともいえるんじゃないかなとか思ったりしました



まあいつもどおり、内容にとりとめがなくて結論もありませんが、こう思っちゃったから仕方がない 思ったことしか書けません当たり前ですが


しかし今おこっている一連の問題 これは不在でいいやとすましてはいけない問題だとも思う 深くは語りませんが、
ものすごいいろんな種類の情報があふれているので、大変だけど一つ一つ見て、決して放棄だけはしないようにしなければならない、と強く感じました








まあ最後はやたらと小難しく書いてますが、桜も見れていい時間を過ごすことができました 神社っていうのは、なんかほんとうにいいなあと思いました




$ababaとmusic


おまけ:大濠公園の今日の風景 この風景自体には何の罪もない いい空間でした
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