1/10(火)は朝から快晴。

床屋に行ってから妻に髪を染めてもらった。

 

 

昨日に続いて、浅草(partⅡ)と向島の正月風景を探すサイクリング。


 

□「隅田公園 パークサイドテラス」(墨田区向島5-1)
 
野口雨情の碑、

墨堤(ぼくてい)植桜の碑が在りる。 

 

ジュウガツザクラ(十月桜・八重、バラ目バラ科サクラ属)

フユザクラ(冬桜・一重、バラ目バラ科サクラ属)

 


□ 黄檗宗(おうばくしゅう)牛頭山「弘福寺」(向島5-3-2)

 

1673年に創建。江戸時代には鳥取藩池田氏の菩提寺だった。

隅田川七福神の布袋尊(ほていそん)、

風邪除けの信仰を集める咳の爺婆尊(せきのじじばばそん)を祀る。

 

チャノキ(茶の木、ツツジ目ツバキ科ツバキ属)

 

 

□ 天台宗宝樹山遍照院「長命寺」(向島5-4-4)

 

創建時期は不詳。隅田川七福神の弁財天を祀る。
正岡子規は、1888年の夏に境内に在った桜もち屋・月香楼に仮住まいしていた。
ここ桜橋の畔(ふもと)に在る長命寺の桜もち屋や、言問橋の畔に在る言問団子屋が並ぶ。

 

訪れた時、幼稚園のサヨナラをやっていたので撮影は遠慮した。

 


□「白鬚(しらひげ)神社」(墨田区東向島3-5-2)

 

951年に近江国比良山麓(現・滋賀県高島市)に鎮座する白髭大明神の分霊を祀って創建。
隅田川七福神の寿老人を祀る。

 

 

□ 曹洞宗晴河山「法泉寺」(東向島3-8-1)

 

創建時期は不詳(約800年前)だが、1532年に再建との記録。

約八百年前に奥州を支配した葛西三郎清重が建立。1532年に再建。

延命地蔵尊、

右下にツワブキ(石蕗、キク目キク科ツワブキ属)

 

 

*

 

 

□ 都立「向島百花園」(東向島3-18-3)

 

 

1804年に開園。当初は新梅屋敷とも江戸花屋敷とも称した。

百花園の命名者であった絵師・酒井抱一、門の額を書いた狂歌師・大田南畝ら著名人が愛した庭園。


隅田川七福神※ の福禄寿を祀る。

 

隅田川七福神・・・三囲神社=恵比寿・大黒天、弘福寺=布袋尊、長命寺=弁財天、向島百花園=福禄寿、白鬚神社=寿老人、多聞寺=毘沙門天。


春の七草を愛でる。


セリ(芹、別名・白根草、セリ目セリ科セリ属)
ナズナ(薺、別名・ペンペン草、アブラナ目アブラナ科ナズナ属)
オギョウ(御形、別名・母子草、キク目キク科ハハコグサ属)
ハコベラ(繁縷、別名・ハコベ、ナデシコ目ナデシコ科ハコベ属)
ホトケノザ[仏の座、別名・田平子(タビラコ)、キク目キク科ヤブタビラコ属]
スズナ[菘、別名・蕪(カブ)、アブラナ目アブラナ科アブラナ属]
スズシロ(清白、別名・大根、アブラナ目アブラナ科ダイコン属)

 


ソシンロウバイ(素心蝋梅・唐梅、クスノキ目ロウバイ科ロウバイ属)

 

白梅・紅梅(バラ目バラ科サクラ属)

 

ヤブツバキ・ワビスケ(ツツジ目ツバキ科ツバキ属)

 

カシワ(柏、ブナ目ブナ科コナラ属)・・・枯葉を落とさずにそのまま冬を越す

オバアチャンも長生きしてね

ビックリマーク今日の一枚

 

狂言塚の碑・・・二世河竹新七(⇒古河黙阿弥)の追善


芝金顕彰碑・・・歌沢節芝派の名跡

 

 

冬枯れ百景

 

 

 

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□「石浜神社」(荒川区南千住3-28-58)

 

住所は荒川区南千住だが、

隅田川白鬚橋西詰にあり浅草七福神の1つとして数えられる。

 

 

724年に創建。当初は石濱神社朝日皇太神宮と称した。
末社は浅草七福神※※ の寿老神、真先・招来稲荷神社、江戸神社、粟島水神社、白狐祠など多い。


富士講(左端)・庚申塚。

 

※※

浅草七福神・・・浅草神社=恵比須、浅草寺=大黒天、矢先稲荷神社=福禄寿、鷲神社=寿老人、吉原神社=弁財天、
待乳山聖天=毘沙門天、今戸神社=福禄寿、橋場不動尊=布袋尊、石浜神社=寿老神。

 


 


□「西浅草八幡神社」(台東区西浅草2-14-5)

 

1700年に豊前国(現・大分県宇佐市)の宇佐八幡宮の御神霊分神を勧請して創建。

 

 

□ 懐石料理店「瓢庵(ひさごあん)」(浅草3-34-11)

 

右端にホトトギス(杜鵑草、ユリ目ユリ科ホトトギス属)

 

□ とうふ・懐石料理「川風」(浅草3-34-11) 

 

 

□ ねぎま鍋・大江戸料理屋「浅草一文 本店」(浅草3-12-6)


 

今日のウォーキング5,700歩。