Broken Windows Theory | Hi な薬剤師の備忘録

Broken Windows Theory

割れ窓理論 という言葉をご存じの方も多いと思います。

詳しいことはリンク先を読んでいただきたいのですが、最近の日本はこの理論の発端である軽犯罪、いや犯罪というにはあまりにも小さく、その行為を見て不快感を覚えながらもありがちな風景の一つとして記憶することすらしない程度の行為がそこかしこに多発していると思うのです。


たとえば最近、車が通っていなければ平気で赤信号の交差点を渡ってしまう人たち。

若い連中に多いのかと思えば、中年のおばさんや老年に入ってきたおじさんにも散見されます。


またスーパーマーケットで、一度手にした商品を、買うのをやめて元の場所に戻すのではなく、そこらの棚に置いて行ってしまう。

場違いな商品

わかるかな。

おからなどの総菜が並べてあるんだけど、そこにスパイシーチキンスティックというチルド商品が置かれてる。

こういうのがあちこちのスーパーでみられるようになった。


一昔前なら公共の場で暴言を吐くと蔑まれたであろうコメディアンやプロボクサーが、何の制限も受けずに番組に登場して気勢を上げている。


これ見よがしの差別人事や、あからさまな褒章人事、上目遣いの事業計画がまかり通る僕らの業界もどうなのって思うこともあるんだけど、世の中が総じて品格を失っていると思います。


小泉内閣が達成した郵政改革。

地方の議員は「郵便局がなくなることなんかないんだって!」と叫んでいましたが、現実はどうでしょう。

既にかなりの郵便局が不採算を理由に閉局しました。

足の悪い老人たちは、どこまで行けば年金を手にできるのでしょうね。

郵便屋さんが通帳を預かって預貯金をしてくれる地元に密着した温かな付き合いは、ゆうびんとゆうちょが分かれたことで不可能になってしまいました。


国の機関だったときにできなかった不採算部門の切り捨てを民間に移行したから実施できるようになった。

身軽になった郵政三事業体は、小泉さんがや地方の頭の悪い議員たちが目を三角にし口角に唾をためて絶対にないと叫んでいた民業の圧迫へと歩を進めるでしょう。


規制改革という言葉はとても聞こえがいいです。

規制緩和という言葉と常に対となっているキーワードは自己責任ですが、これもなんかかっこいい。

要するに、自分で責任を負えるから制度による規制は不要ということです。

この流れの中で医薬品はカテゴリー枠を設定され、先ず医薬品から医薬部外品へと移行したものがあり、その後薬剤師や薬種商ではない別の資格が作られて、作用が優しい医薬品を医薬品として販売できるようにしました。


もしこの流れを進めたら、薬剤師に技術さえあれば医者が注射処方せんを出して、薬局で予防接種とか簡単な注射をしてもいいとか、そういった論議も起こせてしまいます。

事実、アメリカのいくつかの州では薬局で予防接種ができるようですし。


でも本当にこんな流れでいいんでしょうかね。

既成の概念にとらわれずに新しいことにチャレンジすることはとても素晴らしいと思いますが、今の日本は何か意味を履き違えているような、、、。


子供をスクーターの荷物入れに押し込んで遊びに行った親。

子供たちのスカートの中を盗撮したり、平気な顔で性の対象にする教師。

ストーカーの挙句に貸与された拳銃で自殺する警官。

国家防衛の重要機密をあきれた不注意で流出させる自衛官。

対テロ特措関連法は国民の総意じゃなかったと世界中に露呈させてしまっただらしない政府。


おそらく対外的に日本は品格を失った国民によって構成されている国家とみられているのではないだろうか。

昔を懐かしむという訳じゃないけど、こんなことをやっていたら本当に日本は三流以下の国になってしまうと思います。