「・・・元来(ぐわんらい)この大じんは ひどがね高利(かうり)をあつむれば わけるがごとき金(かね)のいづみ 宝(たから)さかつている時は さかつて使うざしきのさわぎ しよく台の火はかヾやけども やみをかヽぐる目なし鳥(どり) ・・・
(田螺金魚、『当世虎の巻』)
もうバブルのころは記憶の彼方になった。そんなもの二度と来ないと思えるような「失われたン十年」だが、懲りないのが人間、ずいぶんと先になって同じ事を繰り返すのかもしれない。
泉が湧くようにカネが涌き、盛大に使う。まるで闇のなかの目なし鳥のごとく周囲がみえない。そうして、泉は枯れ、ひどい落ち込みの季節がくる。
闇をかかぐるとは、迷うということ。手探りで探し求めるさまをかかぐるという。
人は好景気のとき何をかかぐったのであろうか。その真逆の局面で、それを考えてみるのもよいかもしれない。
なぜなら、この薄暗がりの不景気のなかやはり、手探りで目なし鳥のごとく探してきているものがあるからだ。
それは景気の回復か?
好不況にかかわらず、あかるく照らす燭台は立っている。それが見せてくれるものを見えなくしているもの、それに気づかないと、いつもかかぐるだけとなろう。
テーマ:田螺金魚(当世虎の巻)


