拾い読みあれこれ

きょ~も適度に息抜き、よいかげん。ゆっくり歩いて遠くまで


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「おゝ、時化(しけ)るといへばとゝさんが、鮫蔵に浜へ行つて船を磯へ上げておけと、言付けてあつたぞえ。」
(黙阿弥、『志らぬひ譚(しらぬいものがたり)』)

海が荒れ、しけるとは時が化けると書く。いつ世の中、化けるやもしれぬ、しかし豹変するからといっていつも船を磯に上げておいては船の用をなさぬ。経験ある漁師のような観天望気の優れた力量が必要なんだな。

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「おれの慾(よく)の深(ふか)いより、おぬしの巧(たく)みの深いには、今度は実に感心した。」
(黙阿弥、『四千両小判梅葉』)

世の中、深さで人の欲を凌ぐほどのたくらみがなければ、深い欲とはつきあいきれないようだ。疲れることだろう。

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「ここといつて改めたいところはないが、さうかといつて、これだけでは物足りない心持を、どうすることも出来ない・・・」
(中里介山、『大菩薩峠』、第11巻、角川文庫1171、p.16.)

仕事を仕上げてみて、やれやれと思い、ホッとしながら、その全体を見直す。直すべきところもみつからないし、これでいいなと思いながらも、しかしどこかで、なにか足りないなという感じに囚われるときがある。そういうときは少し時間をおいて見直したほうがよいのかもしれない。

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「・・・、ことし中(ぢう)でのおかしい本だと云(いつ)て、店(みせ)の衆(しう)はてんでんに一冊づゝ持て居るよ。借て見な。おかしくてこてへられねへよ。」
(式亭三馬、『浮世風呂』、日本古典文学大系63、岩波書店、p.162.)

予報に反して薄ら寒い、曇りの一日、終日PCを前にして根を詰める。なんだか、そろそろ気分を解放してくれる、おかしくて堪えられないような本でも読みたいところだなあ。

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「・・・、たとひ、あなたがおたづねにならうとするほどのことを、私が一切存じてをりましたにしても、それを残らず申し上げねばならぬといふ責(せめ)は、私にないものと御承知下さいまし・・・」
(中里介山、『大菩薩峠』、第11巻、角川文庫1171、p.18.)

無理なお尋ねというのが寄せられることがある。仕事ならまだしも、そうではないケースでも経験する。こちらが尋ねてくださいと頼んだ覚えはないのに、応えようとしないのはけしからんとばかりにご気分を害されるらしい。しかし何ら責めはこちらにないんだけれど。

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イランを巡る国際情勢があって石油の値が上がっているようだ。化石燃料に頼る現状を見るにつけ、日本昔話にある「梅木屋敷」の話を考える。何千人もの人手を使い千町歩もの田の田植えを一日でしてしまう長者の話。ある年、人手が手を休めてしまう出来事があって植えきらず日が落ちてしまいそうになる。そこで長者は「黄金を張った扇」で「夕日に向かって戻れ戻れと」。太陽は戻り、田植えは終わる。

「しかしこの様な事をして自ら長者の威勢を試みるのは、勿体(もったい)ないことでありましたから、忽ちにその天罰を受けました。長者の幸運はこの時を絶頂として、それから次第に降り坂に向いました。今では子孫が悉(ことごと)く死に絶えて、何処に長者の家が在ったかも、もはや尋ねて見ることが出来なくなりました。・・・」
(柳田国男、『日本の昔話』、新潮文庫、p.90)

化石燃料はかつての太陽エネルギーの蓄積したものであろう。それをたかがこの、石油なら100年ほどの間に大量に使ってきた。そうしてピークオイルがいわれる時代である。カネの扇で戻れ戻れしても、戻ってこない時が来る。昔話では天罰は大地震であったそうな。災害とともに下り坂となる。

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「だから、言はねえこつちやねえ」
(中里介山、『大菩薩峠』、第22巻、角川文庫1182、p.123.)

やっぱりそうなったよ、ということがある。しかし承知でなさっていたのだから仕方ない。こちらは、これからは余計なことはいうまいと思うだけ。人は聞きたいことを聞き、聞きたくないことは聞かないものだから。

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ひとにうらやましがられるものは何かといえば、今の人ならカネにきまっているでしょ、と言うに違いない。しかし「長者の宝競べ」の昔話にはこうある。

「むかし肥後の菊池の米春の長者と、山本郡の駄原の長者とが、宝物くらべをしたことがあるそうであります。米春の長者は自分の住む米春の村から、山鹿の茂賀浦の阪口という所まで、田底三里の間に黄金の飛び石を敷いて、それを踏んで来ました。駄春長者は何一つの持ち物もなく、男の子二十四人を引き連れて出て来ました。米春の長者には子というものが一人も有りませぬ故に、之を見てうらやましいと申しました。それから後はそこの阪を、今に浦山の阪ということになったそうであります。」
(柳田国男、『日本の昔話』、新潮文庫、p.88.)

たしかに子宝というが、子を欲しても育てられるほどには経済条件に恵まれない人も多く、また富裕でも子を望まぬ人もいる。少子化であり、子は生まれてきても虐待の憂き目にあう場合もあることをニュースなどが報じる。いま、うらやましがる、浦山の阪はどこにあるのかなと思う。


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「すべて、物は、純な心を以て見ないものに、その美しさを示すといふことがありません。」
(中里介山、『大菩薩峠』、第11巻、角川文庫1171、p.10.)

美を感じるということには純な心が対応しているのだな。何かを美しいと感じるときは心が純になっていると考えられるわけか。美しい日本を感じとれる純な人々の死滅しないことを願いたい。

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「時代の趨勢を無視し、自分の今立つてゐる地盤の揺ぎを感じないで偏狭な党派的な殻の中に籠つてゐるべきでない、その場のがれの迎合や妥協の編制で糊塗すべきではない・・・」
(阪口玄章、「圭室諦成氏の日本仏教史概説をよむ」、福田久道編、『古事記伝の研究』、六芸社、昭和16年刊所収、p.222.)

いつも変化する時代のなかでそうなのだろうが、とりわけ激変する時代はとくに、自分が立っている地盤の揺らぎを感じる人も多いと思う。しかし同時に、その変化に頑迷な己の信念で対峙する、ある意味、しあわせな方もお見かけする。現実の変化にはうまく妥協しやりすごし、自身の依って立つところの揺らぎなどなさそうなのだ。しかし不確実な先行き、己が地盤という根本の揺らぎを感じている人のなかから、何か新しいものが出てくるのだろう。

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